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操法訓練を即刻廃止すべき4つの理由

背景と前提

失われた30年、給与所得は下がり、物価は上がり、可処分所得の低下は止まるところを知らない。我が国の置かれた状況の中で、可及的速やかに生産性を上げなければならない今この時に、労働者の時間というリソースをせっせとドブに捨てている活動がある。それが"いわゆる操法訓練"である。本来、消火訓練とは私たちの生命と財産を守るための活動であるから、十分意義のあるもののはずである。ところがこの、"いわゆる操法訓練"は組織の消火能力向上に全くと言っていいほど役立っていないのだ。今回は筆者もかつて当番制で所属していた、企業内の自衛消防組織(以下自衛消防隊)に絞って、"自衛消防隊が実施するいわゆる操法訓練"及びその成果を披露する操法大会を即刻廃止すべき4つの理由を述べる。広義での消火器具の扱いのトレーニング自体は当然ながら賛成である。 なお自衛消防組織と消防団、公設消防の区分について簡単に表にまとめた。

操法訓練 (3)


理由1.ごく一部の人が消火に長けることの無意味

 ある日、火災がオフィスで発生した時のことを想定しよう。特に昨今ではテレワークが普及し、自衛消防隊の隊員も大多数テレワークしている。さて、タコ足配線かスマホ電池爆発で火災が発生したとしよう。防災訓練の模範演技では火災発見からものの一分で放水開始した、あの、エース隊員が居ない。出勤している社員は消火器を探すところから始める。一部の社員はオロオロするばかりで使い物にならない。まずこの時点で初期消火が遅れて火勢は増すばかり。消化器を一拭きするも、オフィスの紙類に着火していて火は衰えない。消火栓からホースを引っ張り出してくるも、自動ドアが閉まる・柱の角で折れる・ホースのジョイントがしっかり繋がれていない・ホース長が足りず届かないetc、とにかく放水を開始できない。あっという間にフロア全体へ延焼し、逃げ遅れ者を確認する間も無く避難撤退、公設消防の到着を待つ状態となり、建屋全焼して鎮火。・・・そこそこリアルなケースではないだろうか。
 つまり企業の自衛消防隊に限って言えば、火災発生時に、隊員が全員抜け漏れなく、出勤していなければならない。どれだけ自衛消防隊※が超一流の消火のプロであろうが、火災の現場に居なければ意味がないのだ。だから自衛消防隊だけが1秒を削るために一生懸命操法訓練をすることは無意味であって、全員が一定程度のレベルで消化器・消火栓を扱えることが防火活動においては肝要だと考える。 ※消防団の場合も、時間帯によっては、在宅/自宅近辺の団員が少ない場合があるだろう。

理由2.特定パターンの消火に長けることの無意味

 操法訓練は、決まった場所で決まった時刻に模擬火災が発生し、決まった場所に消火栓もしくは消防車が存在し、決まった手順と距離によって模擬消火をするものである。発火源近傍までホースは直線的に伸ばし、消火栓/消防車からの道程は必ず平坦で、柱、扉などの障害物は無く、足場は良く、ホース長は毎回必ずちょうどいい。もう、お分かりだろう。実際の火災は模擬訓練のように都合のいい条件で発生するわけではないのは自明だ。そのような模擬訓練をする意義には疑問を感じざるを得ない。 放水実施までに実際に起きうるあらゆる障害に対してパターン訓練を実施することの方が余程訓練として有効だ。例えば、オフィス内でのホース円回し(椅子や柱の角が意外に邪魔)、ホース長の不足確認、最低何人を消火栓から配置するか、配線等で足場の悪い場所はないか、そういった確認を兼ねて実地訓練をすべきだろう。理由1と重ねれば、この実地訓練を所属員全員が実施すべきだ。

理由3.規律行動のせいで大怪我をする

 さて、筆者が”いわゆる操法訓練”や操法大会と書いたことには意味がある。操法訓練には、規律行動なる悪弊が残っているのだ。規律行動とは、整列/気をつけ/休め/回れ右といういわゆる軍隊式のアレだ。この規律行動を、模擬火災の中で焦って行うものだから、大怪我をするのだ。これは実例だが、回れ右の足で、焦って回転方向を勘違いし、回れ左をして大腿四頭筋筋断裂(肉離れ)、止まれの時に踵を強く地面に打ちアキレス腱断裂などである。ちなみに、回れ右の足で回れ左、とは、下記②の足の状態で、左回転しようとすることである。やってみればわかるが、股関節が完全に極まるのである。

操法訓練 (1)

理由4.規律行動は火災現場では実施しない

 説明不要だが、実際の火災現場では消防士も消防団員も自衛消防隊も規律行動なんてしないのである。気をつけの姿勢で、背筋真っ直ぐ、「放水初め!」などとはやらない。であれば、規律訓練は実際の火災に全く役に立たない訓練であるということが普通に考えればわかるはずなのだが、なぜか系統だった秩序=規律行動と連想ゲームをする人が居るのだ。儀式の儀礼として規律行動を実施するのは否定しないが、操法は儀礼ではない。

自衛消防隊と操法大会のあり方

 以上、"いわゆる操法訓練”が無意味なものであることを述べた。またこの操法を披露する操法大会に至っては、その規律行動のみならず、大会で優勝するためだけの訓練が自衛消防隊あるいは消防団で繰り返されている。コロナ禍が生み出したテレワーク環境や働き方変革を踏まえ、結言として以下の提言をしたい。
自衛消防隊の訓練のあり方・・・自らが規律行動込みの操法訓練に打ち込むのではなく、組織の構成員全員が消火器・消火栓を問題なく扱え、誰が現場に居てもスムーズに初期消火ができるよう必要十分な教育訓練を自衛消防隊いんがリードすること。リソースをかけ過ぎても人生(生命)と財産の無駄。
操法大会のあり方・・・廃止。競うほどの操法能力が十分に発揮できるヒト・モノ・システムが火災発生時に整っているかの方が重要。消防訓練は大会で優勝するためではなく消防を実施するために行うべき。すでに消防庁の有識者会議であり方の見直しとなっているが、大会を実施する限り、大会のためだけのリソース投入をする集団は後を絶たないだろう。

※繰り返しになるが、純粋に消火器具を取り扱う訓練を、必要十分に実施することは重要である。

なおご意見等はtwitterから頂ければ幸いです。

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