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僕の生い立ち part2〜初めての関西〜
お久しぶりです!阿部 慶汰(あべ けいた)です。
今日は中学1年の「アベケイタ」について見てみようと思います笑
2020年2月、西大和学園の進学を決意
2月12日入学説明会
このとき初めて奈良県に足を踏み入れて、西大和学園まで行ってみた。
確かに大和路線に乗っていると久宝寺を超えた辺りから徐々に田舎っぽくなり山に入っていった。
まさに「山〜、川〜、西大和〜」であった笑←詳しくはpart1参照
ここで西大和学園に行くわけだが、校舎の広さに圧倒される。
そんな西大和学園のパーパスは
「次世代を担うリーダーを育成する」
めっっっちゃカッコいいと思いません?本当にこの時の岡田学園長の話に心を動かされましたわ。
※学校で迷うということはまず無かったがこのとき学校で迷って帰るとき誘導されながら帰った覚えがある笑
4月3日入寮式
4月3日また再び西大和学園まで行くがこの移動はただの移動ではない。
なんと僕の地元、東京に1ヶ月も帰れないのだ!!!
しかしこの時の僕は寮という新しい環境にわくわくしながらホームシックなど考えてもいなかったのだ。
そして執り行われた入寮式。この時初めて制服をちゃんと着て式典の大切さを理解した。
4月4日入学式
遂に正式に阿部が西大和学園中学校に入学する日が来た。
ここで入学許可という場面で呼名された瞬間「俺は今日から西大和学園を経て次代のリーダーになる」と決意を固めた。
そしてここから阿部の次世代のリーダーとなるためのストーリーの本編がスタートする。
多数の関西人に会う
僕は入学式後のホームルームの時の室長選で見事中学1年1組の室長となったのだ。ここで1年間組織の1番上に立つ楽しさと責任感を強く実感することになる。
その後、たくさんの関西の人に出会った。
学校では最初は結構関東人だからという理由で馬鹿にされていた。(まぁ最初から出しゃばってる自分が悪いんだけど笑)
カルチャーショックをたくさん受けたが今ではTHE関西カルチャーにうまく溶け込んでいる(⁉)
4月中旬ホームシックになる
最初の2週間くらいは修学旅行気分で毎日ガヤガヤやっていたがその後ものすごいホームシックになる。
毎日2時間半以上ソファで泣きながら電話して親と喋っていたなぁ。←今考えると結構恥ずかしいなぁ笑
そしてこのホームシックはみんなはすぐ終わったけれども、僕の場合はなんと9月まで続きました!(涙)
ここで家族の大切さや地元愛がめちゃくちゃ生まれたのは今でも覚えている。
阿部、人生を大きく変えたしんたかとの出会い
5月しんたかに出会う
5月に西大和学園アンバサダーという組織に入る。
この組織は生徒が有志で西大和学園のことを広めたい!と思って入るところである。
ここで様々な先輩、同級生と出会う。ここで出会った友達に色々と影響を受けていくことは今でも変わらない。
特にここで出会ったしんたか(https://note.com/shintaka061225)にとても人生を変えられる。(当時アンバサダーはしんたかが統括として取り仕切っていた)
アンバサダーで阿部活躍
アンバサダーって基本的に活動は学校説明会がある日曜日なんですよね〜。
そんなアンバサダーに入った僕はしんたかに知ってもらい、様々な経験をさせてもらった。特に楽しかったのは
・校内ツアー(学校内を生徒が先導して歩くツアー)
・質問対応(受験生の質問に答える)
の2つ。もともと社交的な性格ではあったのでこういうものが好きで自らのめり込んでいった。
阿部、暗黒時代(?)始まる。。。
夏休み明け阿部グレる
9月辺りから僕はグレ始めた笑
毎週寮の担任の先生から怒られるし、友達もだんだん僕から離れていった。
理由はきっとホームシック。このとききっと僕の心のどこかに「承認欲求」というのがあったのだろう。誰かに認めてもらいたい、そんな気持ちがあった。
しかし、誰にも認めてもらえずただ怒られる。
また、しんたかにもこの時マジギレされ怒られる。
阿部の暗黒時代(?)を象徴する出来事であった。
阿部、屈辱を味わう
11月、しんたかから次のアンバサダーを統括する後継者(Aさん)が発表された。
しかし、それは僕では無かった。
ここで僕は初めて2番目という屈辱を味わい、このままでは行けないと思った。
絶対にしんたかとAさんを見返してやろうと思った。
本来の自分を取り戻し始めた年明け
1月カメラにハマる
僕は飛行機が昔から大好きだ。だからしょっちゅう空港に行っては展望デッキに行って飛行機の写真を撮っている。
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お母さんと一緒に梅田のヨドバシカメラに行った時初めて新しいカメラが欲しいと思う。(自分が持っているカメラはオリンパスのE-PL3という2011年モデルのカメラ)
このとき欲しいと思ったカメラはCANON EOS90D、一眼レフのエントリーモデルの代表機だ。
このときからお金をずっっっとため続けて今に至る。(今はEOSR7にシフトチェンジ!)
ここでお金を貯めることの大変さ、お金の大切さに気づく。
3月終業式
たくさんの行事や出会いと共にあっという間に終わった中学1年生。
今思うとたくさん恥ずかしいこともしていたし、良い出会いがたくさんあったとも思う。
またこのとき担任に言われた言葉が今でも僕の中でずっと大事にしている言葉である。
「周りが見える人間になりなさい。」
これが僕のこの後の人生を大きく左右することになる。
僕が最後にクラスルームにお礼として投稿した文章がこれ↓
旧J1-1の皆さんへ
こんにちは。阿部です。
皆さん1年間どうでしたか?1年前を振り返ってみてください。まだ知ってる顔なんてほぼなかった新しい「新天地」で新鮮な気持ちで入ってきたJ1。そこで何の仕業かわかりませんがたまたま揃った47人。途中でいなくなった仲間もいますが、僕達47人はみな一つのチームとして今後一生残っていきます(多分)。皆さんは僕が最初の室長になったときの挨拶でなんと言ったか覚えてますか?「挨拶のできるような明るいクラスにする。」と言ったのを皆さんは覚えていてくれましたか?さあ今の自分と素直に向き合ってみてどうでしょうか?
僕が最後に伝えたいことは「感謝」です。
Aくん、Bくん副室長として支えてくれてありがとう。
Cくん、Dくん毎日クラスルームに時間割やその日に必要なものを書いてくれてありがとう。
Eくん、Fくんいつも丁寧に黒板を消してくれてありがとう。
これ以外にも様々なことをみんな一人一人がしてくれたおかげで1年1組は無事解散できたのだと思います。
皆さんは今年度の新しい目標は決まりましたか?
これから新たに後輩も入ってきます。皆さんはいよいよ先輩となります。
僕はこの1年間の経験を通して後輩に「メリ」と「ハリ」のある先輩になってほしいと思っています。
〇〇先生(←担任)の言っている「二つの謝」これを今後一生大切にしてまたみなさんが新たなクラスでも活躍されますことを心よりお祈り申し上げます。
最後になりましたが、クラスのみんな、そして井上先生一年間ありがとうございました。
2021年4月4日
39期1年1組元室長 阿部慶汰
その後思いもしませんでしたがこんな返事が担任の先生から返ってきました。
J1-1がどのようなクラスであったかは,解散した今からわかるものです。新しいクラスでの日々は旧クラスとの比較に始まります。J1での一年間があなたの「にしやまとでの6年間」の礎になりました。あとはあなたなりに生き方を作っていきましょう。私のえんま帳を紹介したことがありますよね。これからもずっとあなたの戦歴は手書きで記録し続けます。ずっと遠くから見ています。これまでにもクラス解散時にいろいろとサプライズをしていただきましたが,このスタイルは初めてでした。いろいろ考えてくれたのでしょうね。辛くなった時にこれを見るようにします。「にしやまと」生活はまだまだこれから。「もといち」の看板をこれからも磨き続けてください。たまにはしゃべりにおいで。
この担任の先生、普段はとても厳しいのですが困っているときには親身になって考えてくれるとても良い先生。僕は今でもこの先生が大好きです。
今ある出会いの3割以上はこの関西での出会い。色々な人、友達の感謝しかありません。
次回は逆転の中学2年の阿部を振り返ろうと思います。
今回はここまで。最後までお読みいただいてありがとうございました。