ラフティングnote.2~ラフティングとの出会い~
私と「ラフティング」との出会い。それは1995年、東京の国分寺駅の近くにあった本屋でした。
当時大学4年生だった私は東京の国分寺市に住んでいました。小さい頃から将来は海外で暮らしたいと思っていた私は、大学4年生になり周りが就職活動で忙しくしている時に、本屋で海外渡航の為の情報を探していました。
1995年当時はまだ携帯電話もインターネットも無かった(普及していなかった)時代です。
その時の情報収集の手段といったら、本や雑誌の一択だけでした。
どうやったら海外で生活できるのか?ビザは?どこの国?なんて分からない事だらけの状態だったので、ただひたすらに本屋や図書館で情報を探していたのです。
その時にふと手にした海外移住関連の本にオーストラリアの事が書かれていたのです。
ワーキングホリデーというビザを取得すればオーストラリアで1年間住む事が出来る事。さらに現地で『ラフティング』という激流下りのガイドになり、労働ビザを取得して暮らしている日本人がいるという事を知りました。
「これだ!」と瞬間的に思いました。
海外で暮らすとなったら、きちんと職を得てしっかりと地に足をつけて長期間生活したいと思っていた私は、ほぼほぼ直感的に「オーストラリアでラフティングのガイドになろう」とその瞬間に決めたのです。
今考えても本当に「即決」でした。冷静に考えると他にも探せば色々な情報が見つかっただろうし、もっと魅力的な道もあったかもしれません。
しかし当時21歳だった私は、まったく迷いなく「オーストラリアでラフティング!」という決断をしたのです。
まだ生まれて一回も海外に行った事はない。英語も話せない。ラフティング自体も当然やったこともない。
そもそも「ラフティング」という言葉を知ったのもその時が初めてでした。
まだ日本ではラフティングなるものはほとんど認知されていたなかった時代です。28年前ですから。
でも、その時から私と「ラフティング」の人生は始まりました。
よく言われることですが、人生は決断の連続で成り立っています。10年単位、1年単位、1日単位・・・もっと言えば秒単位で私達は色んな決断をしています。
今、この文章を書いている瞬間の私も、様々な事をその瞬間瞬間で決断して文章を書くという行動を行っているわけです。
そう思うと、あの時の21歳だった私の「オーストラリアでラフティング!」という決断をしたのは本当に大きな人生の転機、ターニングポイントになりました。
しかも、深く考えることなく直感で「これだ!」と感じたのです。
不思議なものですね。
というわけで今回も軽くここまで。
人生は「決断」ってことですね♪
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