間
『間』
〈時間、空間、世間〉
いろんな言葉に使われているこの漢字。
〈間がいい、間が悪い〉
その使われ方はモノとモノの間を示すだけではなさそうです。
私は歳を重ねるごとにこの「間」のニュアンスに日本の情緒を感じるようになりました。
もしかしたらこの『間』というものが物質でなく、感覚として感じとれるようになったのでしょうか。
「間」という言葉には不確定な要素が含まれており、それだけでは規定できません。
何かと何かが存在した場合のみ発生します。
では〈間がいい•間が悪い〉は何から発生しているのか。
直訳すると〈タイミングがいい•悪い〉。
しかしこの言葉には〈運がいい•悪い〉というニュアンスも含まれています。
発生源は時間ですが、そこに運も含まれる。
「間」≒「運」。
運とは。
運は降りてくるものだと思っている人が大半かと思いますが、「間」という言葉を知れば「運」の正体が少し掴めるかもしれません。
運のいい•悪いはその時の人の感情や気持ちの余裕に少なからず依存すると私は思います。
何かに間に合わずソワソワしている状態•感情の時に運がいいと思えることは少なく、逆に運が悪いとこじつけられることを探して始めたり。
運を掴むためには自分の感情をコントロールする必要がありそうです。
そのためにも普段から何事も〈間に合わせる〉習慣を身につけ「間」≒「時」を制する、時間を守ることが大切なのではないかと私は思うのです。
人との約束もそうですが、自分との約束も。
それを〈間がいい•悪い〉と表現したであろう日本語の奥ゆかしさ。とても好きです。
もうひとつ私が好きな日本語の表現、〈人間〉。
人と人の「間」。
「間」のはずなのに人間と言って指すものは人、個人。不思議ですね。
「間」があると言うことは人は二人以上存在しないといけません。
逆説的に言えば一人では人間になれないと言うこと。
私たちは人と人の間につくられた不確定な存在なのかもしれません。
その不確定さが人としての味となり、人間となる。
あなたは人ですか。人間ですか。
私は人間として、情けをかけ合いながらいつまでも。
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