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二人で朝食を

昼食というのはある程度の関係性があれば共にできる。例えば職場の同僚だったり友達だったり大学の先輩だったり、特に意識が必要なわけではない。全く必要がないかと言えばそうではないが、薄い人間関係でも一緒にすることはできる。



それに比べて夕食はより深い人間関係が必要だ。これは飲み会の話ではなく、二人で共にするという意味で、だ。特別仲の良い友人やお世話になっている人、または恋人や家族などだろう。より長い時間を共にできる、より深い話ができる人に限られる。



では、朝食はどうだろうか。


これを共にするには非常に深い人間関係でなくてはならない。恋人だとしても友人だとしても、ほぼ一緒に住んでいるような、そのくらい深い人間関係でないと共にはできない。なぜなら一番長く時間を共有した先の出来事だからだ。



僕は二人で摂る朝食というのがとても幸せな時間だと思っている。


なぜなら、幸せな時間の先にしか二人の朝食はやってこないからだ。



濃密な時間の先に幸せな朝食はやってくる。

例えばどんなにつらく苦しいことがあっても明日が必ず来るように、朝食もまたどんなにつらく苦しいことがあってもその先に待っているのだ。朝食が幸せなことはきっとどんな幸福にも勝る出来事なのだ。



とある夜のことだ。恋人からの連絡が途絶えた。

僕は当然心配になる。何かあったんじゃないか、倒れていないか、風邪をひいていないか、あるいは暴漢に襲われていないだろうか。



でも実は、そんな確率はとても低い。

ほんとは寝ていただけ、なんてことはよくあることなのだ。



その日も案の定夜に連絡が途絶えた。きっと君はゆっくり休んでいることだろう。



僕が眠れない時には、きっと君はよく眠れているのだろうと思うと少し安心する。願わくば、僕のこともその美しい夢の仲間に入れてほしいと思う。


「また明日、おやすみ。」


そう呟いて僕は目を閉じた。

君が僕の夢に出てきてくれるようにと願って。



そして、いつか二人で朝食を。

ゆっくりとまどろみながら、僕は明日を待っている。











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佐々木慧太
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