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17.日本マドンナ
2009年8月3日。
前回初めてライブハウスでライブをした日である。
そのライブをしてから2週間くらい経ったタイミングでの出来事である。
バンドのホームページには他のバンドやライブハウスとのやり取りをする掲示板というものがあり、
そこに一通のメッセージがきた。
日本マドンナです
よかったら8/30 に渋谷asiaP昼でタイバンしませんか?
連絡ください●
(文章そのまま)
日本マドンナというのは8/3の初ライブで対バンした女子高生パンクバンドで、
パフォーマンスもさることながら、歌詞に生理やら下痢ピーやら過激な言葉を並べていたので強烈に覚えていた。
というかごめん、このバンドしか覚えていなかった。
そんな強烈なバンドから直々に指名をされ、
なんで俺らが?という気持ちが多大にあったのだがその理由は少し考え…る間もなく、考えが宙に浮かぶ間もなく即結論に至った。
それは僕らのライブパフォーマンスが原因であった。
そう、前回のライブで9mm parabellum bulletのコピーバンドを披露し、歌や演奏そっちのけで暴れ回った結果、
こいつらすげえと思われパンクバンドの仲間入りをしてしまったようなのであった。
だが、しかし、
漢としてのプライドなのか、ドヤっとした一丁前としての顔を見せたかったのか、コピーバンドとは言い出すこともできず、僕らはパンクバンドとしての旗を、お子様セットのオムライスに刺さっているかのような小さな旗をポケットにそっと忍ばせてそのオファーを快諾することにしたのであった。
ライブをしたのが8/3で、オファーがあったのが8/17。
そして肝心のライブは8/30であった。
もう2週間しかない。
ポケットにあるお子様セットの旗を、しっかりとしたのぼり旗にすげ替えるためにオリジナル曲を作るか?
それともお子様セットの旗一本槍で攻め込みに行くか?
考えるまでもない。
僕らはお子様セットの旗をそっとポケットにしまい、前回と変わらず9mm parabellum bulletのコピーバンドをすることにした。
そうして"2回目"の、そして"渋谷"の、そして"高校生縛りではない"ライブに出演することになったのだが、
これがいかんせんライブ中の記憶がない。
いつも通りの大暴れをして終わった気がする。
そして、ライブ終わりにはライブハウスのブッカー(その日のイベントにバンドを集めてイベントを作る人)のところに行き、
恒例の精算という名のお説教を受けるのであるが、その際に
「あれ…オリジナル曲とかは?」
と痛いところを突かれて
「いま作ってるし、何曲かあるんですが…今日調子悪くて…」
「そう…。」
と、訳のわからない返しをしてしまったことを今でも覚えている。
いや、だってさ、基本オリジナル曲しかしないバンドが出るイベントに場違いで高校生のコピーバンドが出てしまった感すごかったんだもん。
一応さ、こっちもバンドしっかりやってますよ感アピールしたかってん。笑
まぁ、そんな感じで高二の夏休みはライブで始まりライブで終わる怒涛の展開で幕を閉じたのであった。
ここからは後日談。
その日、僕らのことを呼んでくれた日本マドンナというバンドは、
その後に行われたRO69JACKという、ロッキンという夏フェスやカウントダウンジャパンという年末のイベントの出演権をかけたオーディションで優勝をした。
そしてロッキンやらカウントダウンジャパンやらのフェスに出演をし、
当時の毛皮のマリーズと同じ事務所に所属し、
なんとくるり等と対バンをするところまでいってしまった。
初めて出来た同世代のバンド友達のようなバンドがみるみる間にスターダムへと登っていくのを見てすげえなぁという気持ちもありつつ、俺もすぐにデカくなってやるという闘争心も燃えていた。
そんな日本マドンナは数年後に解散をしてしまうのだが、
最近活動を再開したようで是非一度対バンしてみたいと思っている。