🧸ホロコーストから生き延びるきっかけになったテディベア
今回のnoteで、シェア(引用)しているJewish Boston(ジューイッシュボストン)
とは、イベントから文化、子育て、祝日、食べ物などに関する記事など、ボストンのユダヤ人コミュニティで起きているあらゆることを紹介するNPO法人だそうです。
Jewish(ジューイッシュ)とは日本語でユダヤ教徒。
※当方、Jewish Bostonの活動等に詳しいわけではないです。テディベア関連の記事(話題)としてシェアしています🙇🏻♂️
以下は記事とYouTube概要欄とをDeepLで翻訳したもの
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ちなみに、今後のアニメーション制作計画にある“キンダートランスポート”も、テディベア(ぬいぐるみ)が深く関わりますね。
The Teddy Bear
動画内のテディベアにまつわるところの抜粋↓
《芸術家であり、芸術部門で働いていたナチス将校は、ユダヤ人たちの奴隷労働を自分たちの目的のために使うこともありました。
1944年の秋、あるナチス将校がマイケルさんの母親に「クリスマスに自分の子供や友人の子供たちのためにテディベアを作ってくれ」と頼んだ。》 とあります。
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この時に作られたテディベアは今どこで何をしているんだろう?と少し気になってしまいました。ちなみに当時のドイツにはシュタイフ社の他に、ハーマン社やビング社と言うテディベア(ぬいぐるみ)メーカーがあったのですが、ビングは創業者がユダヤ人だった為、廃業に追い込まれてます。
ユダヤの人々にも家族があり子供がいるのに一方で「自分らの子どもの為にベアを作ってくれ」と言う将校の命令もふざんけんな!と思います。癒しや平和の象徴であるはずのテディベアということだけに、なんだかほんと悲しくなりますね( ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
冒頭の話に戻りますが、1939年の3月15日ナチスがプラハに進軍したその日から突然悪夢が始まります。価値のある物は全て奪われて、ユダヤ人であることの屈辱的なワッペンを付けての生活を余儀なくされ、差別や迫害をうけ、ついには父親も逮捕。その後すぐにマイケルさんと姉と母親との3人は テレジン収容所へ移送されました。
その頃にヒトラーはドイツ人が戦争に負けることを恐れて、ヨーロッパのすべてのユダヤ人を殺害することを命じます。
その計画を実行するためのアウシュビッツ収容所。1944年9月から10月にかけて、ほとんどのユダヤ人が強制的に移送されました。
そしてとうとうマイケルさんたちにも召喚状が届き、アウシュビッツへの出発前、母親は指定された集合場所から突然姿を消し、勤務先の芸術部門に駆け込みました。
マイケルさんの母親は芸術部門を率いる有名なオランダ人芸術家ジョー・スピアー氏を見つけ、アウシュビッツ輸送の召喚状を受け取ったことを話し、続けて「芸術部門を担当するナチの将校から“クリスマスプレゼントのテディベア”の制作を命じられているが、私(母親)がいなければ、そのテディベアを作ることはできない」と訴えかけ、幸いにもスピアー氏がナチスの将校に掛け合ってくれて、アウシュビッツ行きはギリギリのところで免れました。
子供たちを守る為にとっさの判断力で、一か八かの行動だったのだと思います。
※字幕と文字起こしの翻訳です。解釈が間違っていたらごめんなさい。詳しくはYouTubeをぜひ字幕付きでご覧下さいね。
テディベアを作ってくれた母に感謝。ホロコーストを生き延びたとき、私はまだ10代でしたが、その体験から人生の重要な教訓をいくつか学びました。
-マイケル グルーンバウム-
今回は、テディベアにまつわるこのようなお話をシェアしました。
ではでは〜👋🧸