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🧸ホロコーストから生き延びるきっかけになったテディベア


今回のnoteで、シェア(引用)しているJewish Boston(ジューイッシュボストン)
とは、イベントから文化、子育て、祝日、食べ物などに関する記事など、ボストンのユダヤ人コミュニティで起きているあらゆることを紹介するNPO法人だそうです。
Jewish(ジューイッシュ)とは日本語でユダヤ教徒。

※当方、Jewish Bostonの活動等に詳しいわけではないです。テディベア関連の記事(話題)としてシェアしています🙇🏻‍♂️

以下は記事とYouTube概要欄とをDeepLで翻訳したもの

ホロコーストを生き延びたマイケル・グルーンバウムが語る真実の物語。

ラピン財団(Lappin Foundation)は、ホロコーストの生存者であるマイケル・グルーンバウム氏(撮影時92歳)が生き延び、語った実話をアニメーションにした「The Teddy Bear」を公開することを発表しました。
マイケルさんはテレジン収容所の生存者です。いつか訪れる、直接ホロコーストを体験した生存者がいなくなるとき、ホロコーストの証言を創造的かつ信頼できる方法で捉えることが不可欠で『The Teddy Bear 』はそれを成し遂げている。

「The Teddy Bear」は、世代を超えてユダヤ人のアイデンティティを高めることを使命とするラッピン財団のホロコースト教育映画プロジェクトである。
この映画のナレーションは、幼少期にテレジン収容所で2年半を過ごした生存者マイケルさんが担当してます。

マイケルさんは、この2年間、ラッピン財団のホロコースト教育プログラムに参加した何千人もの生徒たちに、自らの体験を語るために多大な時間を割いてきました。マイケルがホロコーストを経験したのは、彼が中学生と同じ年頃であったため、彼の話は特に中学生の子供たちの心に響く。

映画の上映時間は12分弱です。マイケルさんは、ホロコーストのさまざまな段階を経て、彼の生きた体験を生徒たちに伝えています。孫のベンジャミンが手がけたアニメーションは、マイケルの物語に命を吹き込み、生徒たちの関心を引きつけます。付属のティーチャーズガイドには、生徒が学んだことを処理し、議論するための質問が含まれています。

ホロコーストの生存者すべてが、絶滅収容所(強制収容所)から生還したわけではないことを知ることは、生徒にとって重要なことです。ホロコーストを生き延びた人々は、さまざまな方法で生き延びたのです。
セントルイスキンダートランスポート、死の収容所、潜伏中の生存者を主人公にしたアニメーションを、あと数本制作する計画が進行中です。

マイケルは、ホロコーストを生き延びたことで学んだ人生の重要な教訓をいくつか紹介し、視聴者に多くのことを考えさせます。そして、彼はこの映画を、行動への呼びかけで締めくくっています。『世界をより良い場所にすることは、あなたから始まるのです。』


※「The Teddy Bear」は11歳以上のお子様向けです。子供たちが大人と一緒に映画を見て、学んだことを処理し、疑問点について話し合うことができるようにすることをお勧めします。
Jewish Boston

🐻💬
ちなみに、今後のアニメーション制作計画にある“キンダートランスポート”も、テディベア(ぬいぐるみ)が深く関わりますね。


The Teddy Bear 
動画内のテディベアにまつわるところの抜粋↓

『The Teddy Bear』
The nazis officers who were artists and worked in the arts department sometimes used our slave labor for their own ends.  
In the fall of 1944, a Nazi officer asked his mother to make teddy bears for her own children and the children of friends for Christmas.
『The Teddy Bear』

《芸術家であり、芸術部門で働いていたナチス将校は、ユダヤ人たちの奴隷労働を自分たちの目的のために使うこともありました。  
1944年の秋、あるナチス将校がマイケルさんの母親に「クリスマスに自分の子供や友人の子供たちのためにテディベアを作ってくれ」と頼んだ。》 とあります。

🐻💬
この時に作られたテディベアは今どこで何をしているんだろう?と少し気になってしまいました。ちなみに当時のドイツにはシュタイフ社の他に、ハーマン社やビング社と言うテディベア(ぬいぐるみ)メーカーがあったのですが、ビングは創業者がユダヤ人だった為、廃業に追い込まれてます。
ユダヤの人々にも家族があり子供がいるのに一方で「自分らの子どもの為にベアを作ってくれ」と言う将校の命令もふざんけんな!と思います。癒しや平和の象徴であるはずのテディベアということだけに、なんだかほんと悲しくなりますね(  ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

冒頭の話に戻りますが、1939年の3月15日ナチスがプラハに進軍したその日から突然悪夢が始まります。価値のある物は全て奪われて、ユダヤ人であることの屈辱的なワッペンを付けての生活を余儀なくされ、差別や迫害をうけ、ついには父親も逮捕。その後すぐにマイケルさんと姉と母親との3人は テレジン収容所へ移送されました。
その頃にヒトラーはドイツ人が戦争に負けることを恐れて、ヨーロッパのすべてのユダヤ人を殺害することを命じます。
その計画を実行するためのアウシュビッツ収容所。1944年9月から10月にかけて、ほとんどのユダヤ人が強制的に移送されました。

そしてとうとうマイケルさんたちにも召喚状が届き、アウシュビッツへの出発前、母親は指定された集合場所から突然姿を消し、勤務先の芸術部門に駆け込みました。
マイケルさんの母親は芸術部門を率いる有名なオランダ人芸術家ジョー・スピアー氏を見つけ、アウシュビッツ輸送の召喚状を受け取ったことを話し、続けて「芸術部門を担当するナチの将校から“クリスマスプレゼントのテディベア”の制作を命じられているが、私(母親)がいなければ、そのテディベアを作ることはできない」と訴えかけ、幸いにもスピアー氏がナチスの将校に掛け合ってくれて、アウシュビッツ行きはギリギリのところで免れました。
子供たちを守る為にとっさの判断力で、一か八かの行動だったのだと思います。

※字幕と文字起こしの翻訳です。解釈が間違っていたらごめんなさい。詳しくはYouTubeをぜひ字幕付きでご覧下さいね。

Thanks to Mother for making teddy bears. I was a young teenager when I survived the Holocaust and I learned a couple of important life lessons from my experience first.
-Michael Gruenbaum

テディベアを作ってくれた母に感謝。ホロコーストを生き延びたとき、私はまだ10代でしたが、その体験から人生の重要な教訓をいくつか学びました。
        -マイケル グルーンバウム-

The Teddy Bear



今回は、テディベアにまつわるこのようなお話をシェアしました。

ではでは〜👋🧸

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