写真と言葉と気持ち
写真を始めたきっかけはたまたまだった。
写真とは全く無縁な10代を過ごし、大学への進学がうまくいかず、親の勧めで写真専門学校に入ったのがきっかけで、親が勧めた理由も機械いじりが好きで家には父親のカメラがあるから程度でそこまで期待はしていなかったと思う。
なんとなく入った写真専門学校でモノクロ作品と出会って虜になった。
何が良かったのか?今でもはっきりしない。それでもモノクロ作品を見たときにこれだと思ったことだけは覚えている。自分が思っていることや考えていることを表現する手段としてモノクロがよいと感じた。
モノクロはシンプルな白から黒のトーンで、自分が感じた光をどう再現するかが楽しみで、シンプルだからこその個性がでる。
モノクロを見るときは色がないからそこに写っているであろう色を想像することができる。そんな色を想像していると自分も写真の中の世界にいるような錯覚を覚えることがある。そして、その色は想像する人で変わる。
いざ始めると、何もわからず暗中模索の日々が続いた。夜中に暗室でプリントしては翌日乾燥したプリントを破る。そんな時間が10年近く続いたが、そんな日々の連続はなぜか楽しかった。それを乗り越えられたのは出会いの奇跡があったからだと思う。必要な助言を頂けるみなさんに出会えた。
自分のトーンを掴んでからどれぐらいの時間が過ぎただろうか?
言葉の代わりになると思えた写真はまだまだ写心になっていないのかも。
とはいえ、焦らないのが一番。
また、次回
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