2023年9月7日(木)曇り時々雨
コロンビアのボゴタにいる泉と電話で話した。少し体調が悪かったり、やらないといけないことが頭をよぎったり、話し始めてすぐは全然集中できずだらだらしていた。途中昼ごはんを食べると元気になってきて、泉に「途中からエンジンかかった」と言われた。
今日の私から出てくる言葉は乱雑だったと思う。自分の考えを説明しようとしてもあちらこちらに行ってしまい、結局話の出発地点に戻って、シンプルなことを時間をかけて言っただけになることが度々あった。
私は言葉選びが慎重なほうだと思う。でも上手ではなく、後になって間違いに気づくことがある。会話などリアルタイムで行われるやりとりでは特に、頭を使って喋っている感が強い。そういうとき、心は結構置いてけぼりになっていたりする。自分の中で整理がついていない、しっくりきていない状況を無視して、上手いこと頭で言葉を選んであたかも本当らしく聞かせる。だから私は何かを言ってから、本当に使いたい表現はこうだったのに、もっと適切な言葉があったのにとムズムズすることが多々ある。そういった会話の中には、本当はあったはずなのに出てこられなかった言葉たちがある。上手く言い表せなかった自分の姿がある。書くことはそういった「これもあったはず」を掬い取り、「こうありたい」を改めて示す行為だと思う。このことは日記の解釈として少し前に友人が言っていて、私もそれを実感するようになってきた。
出来事を淡々と記録する日記も面白いし、ひとつふたつのことについてじっくりと考えて書くこともまた、私にとって特別な時間だ。泉は書くとき、紙と自分の間で言葉を反復させることで考えが整理されていくと言っていた。私は日記を書きながら、立ち止まって大きく息を吸い、自分自身の中に潜っていくことで、その日起こったことの中から何を改めて抽出したいのか探っている。水中に深く潜るにはそれなりの体力が必要で、疲れてくるとすぐに浮いてきてしまう。そんなことを繰り返し訓練して、少しでも深く潜っていられるようになりたい。
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