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繋がるために書く、どうしようもない日々のこと

2023年8月9日(水)晴れ時々雨

またまた10時前に起床。もういい加減早起きしなくては。

今日は昼過ぎから鎌倉でめぐさんと会う。いくつか昼食の候補を挙げてくれて、お店で待ち合わせようとするものの営業していなかった。めぐさんが前に美味しいと言っていた由比ヶ浜方面にあるフォーのお店が気になっていたので、私がそこに行きたいと言い、ふたりで歩いて向かった。今日行けなかったところは、めぐさんは何度か行っているが、何故か運悪くなかなか入れないそう。そういう縁がない場所ってあると思うと言っていた。

10分くらい蒸し暑い若宮大路を歩き、やっと辿り着いたフォーのお店は21日までお盆休み。めぐさんの言うなかなか行けない場所は、私にとってはこのフォーのお店だと思った。かれこれ半年以上気になっている。

結局偶然見つけたomoというご飯屋さんに入った。そこで具沢山の味噌汁と無農薬のお米でふんわりとした塩むすびをふたついただいた。遅起きのせいで朝ご飯を食べてからそれほど時間が経っていなかったので、軽くて優しいものが食べられて嬉しかった。味が濃いものが続くのが苦手なので、薄味でとても美味しかった。ねぎ、にんじん、ごぼう、大根、こんにゃく、油揚げなど、沢山具を入れてもちゃんとまとめてくれる味噌汁の懐はやっぱり広い。また戻って来たいと思うお店が、また鎌倉に増えた。

その後ふらふら歩いて適当なカフェを探した。座敷で立てなくなるビーズクッションに座る、不思議なカフェに入った。ビーズクッションに座りながら、おそらくOB・OGの面談をしている就活生の横を、ちびっ子たちが泣いたり笑ったり歩き回っていて、カオスでシュールで面白かった。

めぐさんにnoteで日記を書き始めたことを言うと、書くことについての話になった。内面を表すのが文章だと思うけれど、それを公開することで誰かを傷つけるかもしれない場合はどうすれば良いのか、と私が言った。めぐさんはそれに対して、ただネガティブなだけの文章を読んでも誰も喜ばない、そういう自分自身の昔の日記を読み返して自分がかわいそうだと思った、と言っていた。なるべく必要のないネガティブなことは書かないようにしているという。誰かと繋がりたいと思うから書いて公開するわけで、それならできるだけ誰も傷つけないように、完全には無理でもできる限りの配慮はするべきだろうと。その通りだと思った。

私自身、もっと言語化を頑張りたいと思ったこと、それを公開すると言う形である程度の責任をもって取り組みたいこと、自分の中の混沌をそのままにしないでちゃんと残すこと、そんな気持ちでnoteにこの日記を書き始めた。めぐさんと話しながら、実は公開するべきじゃないのかなと思ったりもした。不満の発散や愚痴、承認欲求を満たすための日記を公開しても、それはたしかに誰のことも幸せにしない。それでもやっぱり私も、日記を世の中に出すことによって誰かと繋がりたいと思っている。

それは私自身が知らない人の日記を読んで、じわじわと救われる感覚があるから。ひとつひとつの記述にはどうしようもない様子やネガティブなものがあっても、色々なことが起こり様々な感情を抱く日々を重ねて、1週間1ヶ月と続く時間の堆積として読むと、怒ったり泣いたり笑ったり喜んだり、そのカラフルさに触れ、不思議と癒されていると感じた。そういうふうに生きている人がいることが急に愛おしくなる。この日記を公開しているのは、その不思議な癒しを信じているところがあって、その豊かさを、私もほんの少しでも生み出したいと思うから。そのためには、何を書くにしてもそのことに対して責任をもつこと。誰かについて書くなら、書くことで関係性が変わる可能性があることもまとめて引き受けること、できればその人との関係を維持するよう努めること。これらを徹底したいと思った。

たしかにめぐさんの言う通り、ネガティブな感情を書き残すことも、その感情を自分で選択していることになる。同じ選択をするなら、ポジティブなほうを選べるようになりたい。

17時過ぎに解散して帰路に着く。家まで歩いていると、後ろから自転車に乗った親子3人が走ってきた。小さな子を乗せたお母さんの前を走る小学生くらいの男の子が、「この道なんかすごく雰囲気いいね!いいじゃん!」と大きな声で言い、ぐんぐんとスピードを出して私を追い越していった。

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