あなたは反芻に殺される
お腹をすかせたある男が、お菓子屋さんで七枚の煎餅を買った。
さっそく男は家に戻って煎餅を食べ始めた。
一枚食べ終わったが、お腹はふくれない。
二枚目を食べるが、まだお腹はふくれない。
三枚目、四枚目、五枚目、六枚目と男は次々と煎餅を食べた。
それでも、空腹がおさまらない。
残った煎餅は一枚だ。
あと一枚しかないので、残った煎餅を二つに割って食べることにした。
すると、今度はお腹が一杯になった。
その男は残った半分の煎餅を手に持ちながら、悔しそうに言った。
「半分の煎餅でお腹が一杯になるんだったら、前の六枚は食べなくてもよかった」
そう、思いましたか?
ちょっと考えればわかるじゃんアンタ、、、6枚の煎餅食べたから、お腹は膨れているんだよ。ねぇアホなの?、と。
では置き換えてみましょう。
毎日、毎日、努力して、頑張って、なかなかうまくいかない。
1年やって、2年やって、6年続けて、ようやく7年経ち、少し形になる。
あぁもっと早くできたのに、こんな歳になってしまった。自分は少し満たされたけど、何も成し遂げていない。もっと早く気づけていれば、もっと良い人生を送れたのに。どうして自分はこうなんだろう、もっと効率的に学ぶ方法は無かったのか。もっとうまく成長するルートはあったのか。
今からまた、長い時間かけて努力しないとダメだ。追い付かない。
どうでしょうか?
自分が積み重ねたことを無視して、手に入れた結果に満足せず、もっと早くできたのに、もっとうまくやれたのに、と後悔しているあなたはいませんか?
しかも、周りから見ると、「十分にできている」のに。
自分だけが、自分を認めていない。
もっと言うと、自分の行った行動を振り返っては、こう思っていませんか?
あのとき、あんな空気を読めないことを言わなければよかった。あのとき、率先して行動していればよかった。あのとき、遠慮しなければよかった。あの時はっきり言っておけばよかった。あのとき、お客様に丁寧に対応しておけばよかった。
さてこのnoteは、こんな人生を送りたい人に読んでもらいたくて書いています。
「そうそう、自分の強みはこれなんだよね」
「あぁこの感じ、自分らしくて心地いいな」
「うん、自分の居場所がちゃんとある」
そう思いながら、好きな仕事をして、それなりにお金も稼ぐ。
私自身については、まずは以下の赤裸々な記事をお読みください。
ネガティブな思考がループし続ける状態を「反芻(はんすう)思考」と呼びます。
1つの出来事から自分を責めるスパイラルに陥ると、もっと計画的にやっていたら、もっとビジョンがあったら、もっと勉強していたら、もっと自制できたら、もっとカリスマ性があったら・・・と際限なく続いていきます。
反芻は、ただ気分が悪くなるだけではありません。問題解決力が低下し、不安が増大し、やがて鬱病へと繋がっていきます。
私のところへご相談に来られる方も、ほぼ全ての方が、過去を後悔し、反芻する傾向をお持ちです。
しかも皆さん、自分が反芻していることに気づいていません。
本当に、事実として、「自分は何もできてこなかった」と思っているのです。
私はいつも疑問に思います。
「自分は能力が低い」「自分は頭が悪い」「自分は何も成し遂げてこなかった」と自己否定している方が、
どうして
「自分の記憶は全て事実である」
ということだけは“確信”しているのだろうと。
あなたが頭の中に浮かぶ悪い記憶、後悔していること、そして失敗。
それは、「本当に?正しく?」、起こったことなのでしょうか?
私達は基本的に物事をネガティブに捉えるようにプログラムされています。
なぜなら古来より我々は、命の危険をもたらすネガティブな体験や感情を強く記憶しておくことで、その後に起こりうる危険を察知し迅速に回避できてきています。悪い記憶を優先することは、命の危険から生き残るために必要だったのです。
では、どうすればいいのでしょう?
ありのままの自分を認めること。自分がやってきたことは、全て正しい、素晴らしい、と自分に言い聞かすこと。
結論。これに尽きます。
ただし、、、これ、、、難易度高いんですよね。
どこかで「そんなバカな。こんなの子供だましだ」と思っている自分がいるでしょうから。
では、どうすればいいのでしょう?
それは、ネガティブな感情が湧き上がってきた時に、中立になることです。
「良い・悪いを判断せずに、ただ観察する」
これなんです。
今日はワークを1つあなたにご提案して、記事を終えていきます。
実はこれ、前回の記事とほぼ同じワークです。
2回もお伝えするのは、これが圧倒的に効果的であり、入口だからです。
前回は身体の状態を観察しましたが、今回は感情を観察していくところが、前回との違いです。
直近でも、昔のことでも過去のことを考えて、ネガティブな感情
「恥ずかしい」「悲しい」「辛い」「怖い」が浮かんだとします。
前回同様、この時無意識的では
「私は、恥ずかしい」
という思考になっています。
「私は=恥ずかしい」
と同一化している状態です。
そこで、主語を変えてみます。
「私の感情は、恥ずかしいと感じている」
と主語を感情にします。
私が恥ずかしいのではなく、感情が恥ずかしいと感じていて、私が観察している状態にするのです。
では、以下にstepをまとめます。
さぁこれを読んでいるあなたは、今この瞬間からできますね。
騙されたと思ってやってみてください。
反芻が止まる感覚を掴んでいただけませんか?
本格的に脱同一化を行って反芻から抜け出したい方は、私のところへお越しください。
それでは、またお会いしましょう。
お読み頂き、感謝申し上げます。
2021年11月28日
森けいすけ