2018/5 ドイツサッカー留学、その実態。前編
17/18シーズン開幕前、東福岡高校出身の三宅海斗は「サッカーライフ」というドイツサッカー留学サービスを通じていくつかクラブのトライアウトを受け、最終的にRegionalliga West(4部)を戦う、 Fortuna Düsseldorf Ⅱチームとの契約に至った。彼だけじゃなく、これまでも、そしてこれからも、サッカー留学と言う名の挑戦のために日本人選手は海を渡っていくのだろう。では、その実態はどのようなものなのか。5月28日、Kölnから西へ、Regional Expressで30分のDürenへ向かった。
5月に入ってから陽射しはさらに強くなった。19時になっても、20時になってもまだ外は明るく、昼に感じる暑さの余韻が残る。Düren Hbf周辺を歩いてみた。DüsseldorfやKölnほど大都市ではないにしても、生活に不便を感じるほどでもない。むしろちょうどいいぐらいに、コンパクトにまとまっているように思えた。
12時過ぎに、駅近くで待ち合わせをしていると、白の八人乗りのバンがやって来た。日本人二人がいる。運転する遠藤雅史はサッカーライフ社員で、5月28日、リーグ戦残り二試合時点でのWestrhein地方のLandesliga Staffel 2(6部)の首位である、GFC Düren 1899トップチームのアシスタントコーチを務めている。その後ろに乗る蛭子順平は同チームの選手で、5月27日のホームゲームで相手にタックルを受けて、右膝の内側靭帯を痛めてしまった。バンに同乗させてもらい、蛭子の診断に同行することになった。駅から10分も掛からないところにある病院に向かい、診断やサポーターを購入していた。保険が下りるかどうかの会話もしている。
さて、ここから遠藤雅史さんと蛭子順平選手の二人について記していく。遠藤さんは四年前にドイツにやって来た。この方、実はサッカーの競技経験がないままドイツに渡り、ドイツでコーチとしてのキャリアを始めた。最初にこのことを聞いたときは、果たして選手たちは受け容れてくれるのだろうか?と思った。大半の誰しもがそう思うだろう。なぜ、サッカーコーチを志し、ドイツへやって来たのかを語っていただこう。
―まず、日本にいた頃はサッカーのコーチではいらっしゃらなかった、ということですが。
「前職は製造業で働いていました。埼玉出身で、親の影響もあって小学生のころから浦和レッズの試合をよくテレビで観ていて、働き出してからはスタジアムで観戦していました。サッカー観戦は趣味の一部でした。海外リーグもイングランドとスペインを中心に見ていて、ドイツまでは見ていませんでした。そうやって、日常にサッカーがあるなか、モウリーニョが率いていた頃のレアルマドリーのゲームで気になったことがあった。ベンゼマが交代で退いたとき、モウリーニョが『良くやった』というアクションをしたんです。私のなかでは『何が良かったのか?』と疑問に思った。そのゲームでのベンゼマは得点もしていない。彼の役割とは何だったのか、何を良くやったのか、その時の私には分からなかった。その部分を分かるようになりたいと思い、コーチ目線での興味を持つようになったのが今に至るきっかけです。仕事の方も忙しくなってきて、サッカーを見る機会も徐々に少なくなっていて、『このままだったら何のために働いているのか?』と疑問を持ち始めた頃でもありました。仕事をしながらも、サッカースクールの求人募集のチェックやサッカー専門学校に話を聞くために足を運んでいく中で、『プレー未経験でその年齢で今からでは厳しい』と断りのような返事をもらった。そういう感じなのか、と。私の中では、プロ選手としての経験はなくても、コーチとして活躍している方は多くいる、という認識でいた。だったら、受け容れてくれる所にしか行くことはできない。だったら、そこはどこなのだろうと。なら、日本でなくてもいいなと思い始め、調べてみたらゲルト・エンゲルスさんが展開する『サッカーライフ』があった。そこで話を聞くと、当時ゲルトさんはFC Düren-Niederauユースチームの監督をされていて、いまドイツに行くのが一番タイミングが良いと思い、すぐに仕事を辞めて、ドイツに行きました」
―ゲルト・エンゲルスさんとお会いになって、はじめの頃はどのように日々を過ごされていたのでしょうか。
「最初の一年はゲルトさんに付き添い、ゲームやトレーニングを見続けていました。ゲルトさんのそばで、ユースチームのトレーニングを見学していくなかで、自分が見えていなかった部分や、トレーニングにもどういう意図や考えがあるのかを聞いていき、見えていなかった部分が徐々に見えるようになってきて、おもしろくなってきた。サッカーの価値観を増やすことも頭にありましたが、コーチをやってみたいなという想いは強くなった。ゲルトさんはサッカーライフで来ている日本人選手だけのトレーニングもされていて、それに参加する日本人選手は全員『楽しい』という言葉を口にしていて、選手が楽しく、成長もできるトレーニングができるのは凄いと思いました。このトレーニングを真似するのではなく、どういったものが楽しいのかを分かれば、ゲルトさんのようなコーチになれるのではと思い始めました」
―そして、ドイツ二年目からコーチとして活動するようになった。
「ゲルトさんから近くのクラブのA Juniorenチームが監督を探しているので、『やってみないか?』と提案がありました。それまでの私は、ゲームはおろかトレーニングも指揮したことはありません。調べてみると、そのユースチームは前年度の成績はあまり良くありませんでした。ただ、そんなチームを自分がどれだけ成績を上げることができるか、自分の実力が分かりやすいのではないかと思い、『ぜひ、やらせてください』と答えました。まだドイツ語も十分に話せないままながら、選手たちとコミュニケーションを取りながら一年を戦い、三年目になってまた新しい話がゲルトさんからあり、5部リーグに昇格するFC Inde Hahnのトップチームが日本人を気に入って頼りにしていて、『通訳とアシスタントコーチをやってみないか?』という内容で、三年目はそのトップチームでの役割とD Juniorenのチームの監督との兼任で一年を戦いました。残念ながら、FC Inde Hahnでの結果は一年で降格という結果に終わり、そのクラブでの翌年の契約継続の話もなく、次はどうしようかというところで、ゲルトさんに相談したら、いま所属するGFC Düren 1899のお話をもらいました。『このクラブはRegionalliga(4部)昇格を目指しているから、やってくれないか』といただき、僕にとってまたやり甲斐のあるお話だったので契約して今に至ります」
蛭子順平は国見高校、国士舘大学、関西サッカーリーグ1部所属のアミティエ京都SC(現 おこしやす京都AC)に所属し、遠藤さんと同じく2014年にドイツへやって来た。彼もサッカーライフを通じて、である。これまでのキャリアも併せて、ドイツでの戦いを振り返ってもらおう。
―日本での選手キャリアは、どのようなものだったのでしょう。
「国見高校では一年生の時からプリンスリーグで数試合、二年生ではインターハイのベスト16で星稜高校に敗れ、そのゲームには出場できませんでしたが、プリンスリーグなどでコンスタントに出場機会はありました。三年生ではキャプテンを務め、出場機会もレギュラーでしたが、全国高等学校サッカー選手権の県大会準決勝で長崎日大に敗れてしまい、悔いの残る三年間でした。 国士舘大学では、一年生ではBチームでIリーグを戦い、二年生ではトレーニングはトップチームで、ゲームでは引き続きBチームで、三年生からの二年間はトップチームで関東大学リーグを戦い、四年生では副キャプテンを務めました。学業では、保健体育の教員免許を取得しています。プロ選手を志望していたので、JリーグやJFLクラブの練習参加をしましたが、関東大学リーグにまで足を運んで一番熱意をもってオファーしてくださったアミティエ京都SCに一年間、お世話になりました」
―ドイツ挑戦へのきっかけは何だったのでしょう。
「小学生の時の長崎県選抜のチームメイトが、大学卒業後ドイツに渡っていて、彼からいろいろ話を聞いていました。海外でやってみたかったという気持ちはありましたし、チャレンジしたいという一心で決めました。その彼を通じてゲルトさんと連絡を取り、ドイツでの所属先を決めるためのトレーニングに参加し、一年目は6部のSG Germania Burgwartに決まりました」
https://www.fupa.net/spieler/jumpei-ebisu-488196.html
蛭子順平選手、ドイツでの出場経歴
―この四年間、コンスタントに出場を重ねていますが、その要因をご自身はどうお答えできるでしょうか。
「監督がやりたいこと、要求していることを忠実に答えていく、ですかね。いま監督はどういうプレーを求めているか、チームとして勝つためにどうプレーすればいいかを常に考え、プラス自分の長所をアピールすることで個人としてステップアップできるチャンスがあるので、そこだけを意識していました。それを発揮するために、ゲーム前の準備をどれだけ良いものにできるかでパフォーマンスは変わっていくと自分は思っています。意識してやっているというわけではなく、昔からずっとそうやってきているので。何のためにドイツにやって来たのかといえば結果を出すためであり、では何をすればいいのかとなれば、必然的にそういった準備をすることになる。それをずっと繰り返してきました」
―15/16シーズンに5部 MittelrheinligaのSC Borussia Freialdenhovenに移籍しました。どういった経緯があったのでしょうか。
「いまDürenで一緒にプレーしている鈴木諒と一緒にドイツ一年目を戦っていて、彼が点を多く取っていて、僕も彼にアシストをしたりコンビネーションで崩したりもしていた。そこに、その5部のチームの監督がまず『鈴木を見たい』と。その時に一緒に僕も見てもらった、という感じですね。彼と一緒に練習に来てほしいと言われ、そのまま契約に至りました。ゲルトさんもそのチームには協力的で、当時の監督(Wilfried Hannes、Düren出身)と仲が良い間柄だからです」
―いま所属するGFC Düren 1899への移籍経緯は?
「SC Borussia Freialdenhoven(16/17シーズンも5部)での二年目が終わって、個人としては4部に行きたかったので、そこを去り、移籍先を探していましたが決まらず、そこでGFC Düren 1899のスーパーアドバイザーでもあるゲルトさんから『ウチでやらないか。上を目指そう』と声を掛けてくれました。いまのクラブは具体的なビジョンがあります。一つカテゴリーは落ちることにはなりましたが、ドイツ語も喋れるようになり、今まではチームメイトにぶら下がっていた自分が、いま所属するGFC Düren 1899ではチームメイトを鼓舞したり、引っ張っていく立場になると思った。そうすることでまた成長できるかなと捉えられるようになったので、一年で昇格を目指そうとここに決めました」
―国見高校と国士舘大学、それぞれでチームを引っ張る役に徹していた経験はどのように活きているのでしょうか。
「それというのはなく、ドイツ人は自分の意見を相手が監督であろうと素直に言います。日本ではそれを文句と捉えるのでしょうが、ドイツではそれが一意見として捉えられる。僕自身も意見することは多くなりました。日本よりもレベルが高い国の人たちを外国人である自分がドイツ語を用いて引っ張っていくことに、成長のしがいを感じています」
―GFC Düren 1899はいま優勝争いをしていますが、来季についてどういったプランがあるのでしょうか。
「来季はリーグ3位のFC Düren-Niederauと合併して、1.FC Düren(5部、Mittelrheinliga)として、Dürenを代表する新しいクラブに生まれ変わります。一か月前に来季の契約も済ませています。街のサポートもすごく大きいし、注目度も高くなるので楽しみにしていて、だからこそ結果を残してやろうと、まずはゲームに出てチームが勝つように貢献したいです。来季5部に昇格して、それから一年で4部昇格を掲げているので、チームと一緒に昇格したいというのが率直な意気込みですね」
―昨日のゲーム(5月27日、対SV Rott(H)4-1で勝利)で右膝を怪我されたそうですが、どういった状況でのことだったのでしょうか。
「前半に二得点して流れが良い中でウチがずっとボールを回していて、相手は相当イライラしていて、ラフプレーも多くなっていた。相手が突っ込んでくることを利用してドリブルで抜こうと思った時に、残った軸足の方に横からタックルが入って膝が内側へ入ってしまい、靭帯が伸びて損傷という診断です」
―遠藤さんと共に送迎や診断など、一連の様子を見させて頂きましたが、こういったサポートがあるのはとてもありがたいことだと思います。
「すごく助けてもらっています。大学の時、右膝の半月板を手術して、その時は電車で通っていましたが、それを経験しているからこそありがたく思っています。僕のために朝から動いてくれているので、これに限らず、雅にはすごくお世話になっています。恩返しじゃないですけど、一緒にやっているので優勝してみんなで笑いたいじゃないですか。という意味でやってきたんですけど、交代した時はちょっとこみ上げてくるものがありました。でも、しょうがないことです。治すことに専念して、残り二戦はチームのサポートに回ろうと思っています。勝って、喜びを分かち合いたいですね」
―遠藤さんは選手としての経験がないわけですが、彼のコーチングなどについてどう思われているのでしょうか。
「僕は受け容れている方ですし、客観的に見た意見は大事だと思っています。僕自身のことや、プレースタイルをよく知ってくれているので、冷静に一歩引いたところから見てくれているので『今日、どうだった?』と聞きますし、雅の方から言ってくれることもある。お互いディスカッションもしますし、自分だけで評価しても限界がありますし、どの評価が正しいとかはないですけど、第三者の意見を取り入れるのはすごく大事で参考にしているので、経験がないからといって違和感はないです。彼もサッカーコーチとしてやっていく覚悟でいろいろ勉強していますし、参考にしています」
蛭子順平の送迎が終わって、次は遠藤さんがコーチを務める11歳前後の子どもたちが参加するサッカースクールに共に向かった。このスクールがクラブではない所以は、大人のチームがないから。いわゆる、日本のサッカースクールのような形態にある。遠藤さんはGFC Düren 1899との契約更新はなく、来季はこのサッカースクールでコーチを続ける見込みになる。サッカーライフの社員として就労ビザが下りているが、あくまでも彼はクラブでコーチとしての仕事を熱望している。
まだ陽射しが熱く感じる17時から始まった練習は二時間も続いた。遠藤さんはGK二人の練習を担当し、練習の最後は、メインコーチである23歳のお兄ちゃんからパスが出て、それを遠藤さんが子供たちにダイレクトで渡し、GKとの一対一というもの。シュートが枠外に飛んでいくと、子供たちのお父さんがそれを拾いに行く。ずっと我が子の練習を見ている。平日の練習にお父さんが最初から最後までその様子を見ているのは、日本ではなかなかないことではないだろうか。時折、遠藤さんのトラップが明後日の方向にボールが転がっていくことがあった。そして、GKをする子のプレーは見事なプレーの連続だった。手でのセービングはもちろん、シューターへの詰め、足での跳ね返し、足の畳み方、どれも大人がやっていることと何ら変わりはない。これが、どこのクラブにも属していない、サッカースクールであることは案外、重要なことなのだと思える。GKで、この年代の日本の子どもたちがどういったプレーができるかはあまり見たことがないけど、GK大国であるルーツはどこかしこにもあると思えた。
練習が終わって、駅構内にて遠藤さんにサッカー留学について話してもらった。
「日本以外でプレーすることはとても貴重な体験だと思うし、一度でも経験した方がいいのではないかと思います。
日本にいるだけでは日本のサッカーと日本の文化しか学べないと思います。海外に出るとサッカーはもちろん文化も違うので、いろんな意味で刺激を受けることができ人間的にも成長できるような気がします。
現在、海外サッカー留学は以前に比べ容易にできる環境になったと思います。だからといってただ来るだけでは意味は無いと思います。
自分でしっかり目標、目的を持った中で、海外で生活をすることに意味があると思いますし、毎年多くの日本人選手がこのドイツで挑戦しようと訪れます。
多くの選手は大きな夢を抱いて来ていると思います。選手自身もある程度このぐらいのカテゴリーはいけるだろうと思いドイツに来ていると思います。ですが、まず直面するのは自分がイメージしていたカテゴリーと違っていることだと思います。
まず勘違いしないでいただきたいのが、ドイツのリーグカテゴリーのレベルです。
Jリーグとブンデスリーガが同じレベルかといえばそうではないですよね。今では日本代表の長谷部選手、香川選手、大迫選手などのレギュラークラスの選手がなんとか出場できるのがブンデスリーグです。というのを考えると、ドイツ語も話せない選手がいきなり3部、4部、5部に行きたいと言ってもそう簡単にいけるところではないと思います。
そして私が思うのは6部、7部、8部と聞いてもっと上のカテゴリーでプレーしたいと思う選手は数多くいますが、最初のステップとしてそのカテゴリーでも十分チャンスがあるということです。
私がドイツ人からよく言われるのが、チームに入り、そこで中心選手となり活躍することが大事なことだということです。
確かにチームに入っても毎試合ベンチに座っているだけでは、間違いなく翌年の移籍はカテゴリーを落とすことになり、ステップアップには繋がらないと思います。
そのような結果になるのであれば、初めは高くないカテゴリーでも毎試合レギュラーでプレーし活躍すること重要だと思います。こちらの方が間違いなくステップアップできる可能性は高いと思います。それにドイツでは8部から5部などカテゴリーを飛ばして移籍するケースも稀にあります。このような移籍は日本では、まずあり得ないことかもしれませんが、ドイツでは下部リーグでもスカウトはいますし、実力を認められさえすればオファーがあり、このような移籍もあるということです。
なので、選手達の最終目標によっては決して6部、7部、8部というカテゴリーで悲観しないでほしいと思います。
試合に出場しなければ本当のドイツサッカーを感じることはできないと思し、試合に出て活躍することで監督、チームメイトから認められることが一番大事なことだと思います。
あと、今まで多くの選手を私は見てきましたが、皆苦労をしていました。チームのサッカーと合わない、練習があまり良くない、チームメイトがあまり上手くないなど、不満を持つ選手は中にはいました。これも想像と違っていたからこそ出てくる悩みだと思います。
ですが、これも良い経験だと思います。郷には郷に従えではないですが、自分から海外で挑戦したいと思ってきた以上、周りを変えようとするのではなく自分がいかにこの環境に合うように変えれるかを考えることも必要だと思います。
そういうことも含めて初めにも言いましたが、海外でサッカーをすることで人間的にも成長するのではないかと思います。
海外留学は自分を成長させる1つのツールだと考えると良いと思います」
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