「シリコンの季節」(小説)
全裸の女だ。
投棄場所としてもう何度目かの利用となる山道の路肩谷側に、白い肌が見える。
数多の不法投棄ゴミや土にまぎれた全裸の女の肌は月明かりの下、不自然なほどその白さを夜の闇の中で浮き彫りにし、気泡緩衝材でぐるぐる巻きにされた仰向けの胴体部分からはみ出た顔の中央にある両目は開かれたまま、上から覗きこんでくる闖入者と目線を合わせている。
二郎は身動きがとれなかった。
生きていないはずなのに、生きているかのような目線を向けてくる。
これまでの奴らとは、明らかに異なっている。
軽トラックの荷台に積んであるスクラップを投棄するという目的もそこそこに、周囲に人や車の気配がないのを確認してから山の斜面を二メートルほど下りゴミ溜めの中に足を踏み入れた。古い家電やら錆びた自動車用品、用途不明の劣化した樹脂パネル等のゴミの上に、グルグル巻きにされた女は横たわっている。他の投棄物の下敷きになっていないことから、遺棄されてそれほど時間は経っていないはずだ。
闇に目が慣れてきたうえ斜面を照らすように月明かりが差し込んでいることもあり、二郎は足下に横たわる女の顔をよく見ることができた。生きていないのにもかかわらず不自然なほどに張りのある肌は白く輝き、触れなくとも弾力があるのがわかる。長いまつげは頭頂部へむかってカールしたままで、大きな目も白く澄んでいる。透明の緩衝材にくるまれてはいるが少なくとも切断されることなく四肢は揃っており、月明かりだけを頼りにする限り、とても綺麗な状態で遺棄されたということが二郎にもわかった。
突き出た樹脂や金属といった突起物で尻を刺さないよう注意しながらその場に屈んだ二郎は、女の顔を間近で見た。至近距離で見ると、その目線の焦点は自分と合っているのかどうかわからなくなり、艶やかなセミロングの黒髪の上を銀色の小さな甲虫が歩いていた。
ゴミの中に在るのにもかかわらず、否、ゴミの中に在るからこそ生命体であるかのようなその存在感の強さと美しさは際立ち、甲虫を指で払った二郎は緩衝材で巻かれた胴体部分に右腕をまわすとそのままゴミ溜めの中から抱え出した。四〇を目前に控えた身体でギックリ腰にならぬようちゃんと自らの上半身を起こすという念の入れようであったが、足場の不安定な場所で抱えるそれは予想以上に重く感じられた。ただ、緩衝材ごしでもわかる胴体まわりの弾力に懐柔された二郎にはその重さも苦ではなくなり、露出した踵が削れぬよう両手でちゃんと抱え直した状態のまま、二メートル弱ある斜面を道路へと登った。
近づいてくるロードノイズに気づいた時、二郎はいったん地面に降ろそうとしかけたそれをあわてて軽トラックの荷台へと持ち上げかけて積載スペースがないことに気づき、助手席のドアを開け身長一五〇センチほどの女をそこになんとか押し込んだ。グローブボックス下とヘッドレスト上の天井のほぼ二点で身体を突っ張らせている様子は変だが、すくなくとも死体には見えない。曲がりくねった道の木々がブラインドとなり車体は見えないが、前照灯の明かりとロードノイズが下方からどんどん近づいてきており、警察によるパトロールという最悪の事態を想定している二郎は運転席に乗り込むとエンジンをかけ、シガーソケットで火をつけた煙草を腕ごと誇示するかのように窓の外へ出し、左手に持った携帯電話を顔の左側に押し当てた。
咄嗟の判断でできる限りの迎え入れ態勢を整えた二郎は、パトロールに捕まるわけにはいかなかった。産業廃棄物の投棄という目的を追及されれば責任をとらされ職場での居場所はなくなるはずであるし、なんといっても今夜は、それ以上に隠したい隣人が左に存在する。ゴミ溜めの中に置いたままであったならば自分と無関係なものでしかなかったが、それを車の中に、それも助手席に招いてしまったという事実が、既に強い意味を有してしまっている。
前照灯で窓やミラーを照らされいよいよと身構えた二郎だったが、速度をほとんど落とすことなく進んで行く車を斜め後ろから見ると古い型の黒いGT−Rだった。
「馬鹿野郎が……」
せっかくつけた煙草を隣人の横でフィルターぎりぎりまで吸い終えると、エンジンをかけた車の尻を谷側へ向け、荷台を傾けスクラップをすべてゴミ溜めの上に落とした。ほとんど埼玉の秩父寄りという東京の北西奥深くまで来ていた二郎は今日の仕事を無事終え、山道を八王子方面へと引き返した。
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