長生きも芸のうち〜ユービー・ブレイク列伝〜
はじめに
こちらの記事は、2019年4月7日に、Jazzのwebマガジン 「Jazz2.0」に"岡田啓佑"名義で掲載させていただきました記事に、少しの加筆修正をして転載させていただいたものです。
ユービー・ブレイク肖像
(出典:Penthouse interview)
独学のラグタイマー
初期のジャズが好きである。
主に1920〜40年代のものが。
もちろんジャズ全般が好きだが、このころのジャズにはアツいバイブスがある。
もちろん、どの時代にもアツいバイブスはあるので、私にとってフィーリングの合うバイブスということなのだろう。
初期のジャズを担ったミュージシャンはルイ・アームストロング、ファッツ・ウォーラー、ユービー・ブレイクなど数多いるが、今回は「ユービー・ブレイク」を紹介したい。
彼の名をはじめて知ったのは、ジャズ評論家レン・ライオンズの著書『ザ・グレイト・ジャズ・ピアニスト』(塩川由美 訳/1988年/音楽之友社)だった。
15行にわたり、彼について記してあるが、私が知ってる限りでは、日本語の出版物で彼について書いてあるものは、この本以外にない。
貴重な資料だと思うので、少々長いが、引用させていただく。
「独学のラグタイマー、作曲家だったユービーブレイク(1883ー1983)は、100歳の誕生日を迎えるまで元気でウィットに富んだ演奏を続けた。
15才の時には既に故郷バルティモアのスポーティング・ハウスで演奏しながら、生計を立てていた。モートンがニューオーリンズで稼いでいた頃である。
音楽で身を立てたいと言う野望を抱いたブレイクは、アトランティック・シティを経て、ついにニューヨークやってきた。すでに当時からニューヨークは、シカゴと並ぶジャズ・ミュージシャンのチャレンジの場だった。
彼は1915年に作詩家のノーブル・シスルと組んで、「アイム・ジャスト・ワイルド・アバウト・ハリー」「メモリーズ・オブ・ユー」「ラッキー・トゥー・ミー・ビー」などのヒット曲を書いた。モートンとは違い、ブレイクはテクニックにも優れ、どんな調でも楽々と弾きこなしたため、同時代の経験豊かなピアニストの中でも特に稀有な伴奏者だった。
彼は30〜60年代まですっかり忘れられた存在だったが、その間シリンガー・システムの作曲法を学び、ニューヨーク大学で音楽の学位をとっていたのである。
69年のニューポートジャズ祭での成功によって再認識され、レコーディングも増え始めた。」
※筆者注「モートン」とはジェリー・ロール・モートンのこと。
「メモリーズ・オブ・ユー」は1930年の作品だが、いち早くルイ・アームストロングがカバーし、後年ベニー・グッドマンもカバーしてリバイバルした。今でもよく演奏される、燦然と輝くスタンダード・ナンバーである。
1883年生まれとあるが、実際は1887年生まれ
という説もある。いずれにせよ長命だったことは間違いない。
ウィキペディアに「1946年、キャリアが下降線をたどるとニューヨーク大学に入り、2年半で卒業。」とあるので、60代で学生生活をしていたことになる。年齢に関係なく学ぶ姿勢を忘れないところも見習いたい。
私は、1972年に彼が演奏する映像を見たことかある。既に80代後半のはずだが、演奏の瑞々しさに驚いた。ラグタイムの作曲家だった頃の代表作「チャールストン・ラグ」を弾いていたが、この曲は出版は1915年だが作曲されたのは1889年だそうで、当時からしても実に80年前の曲。しかし少しも古臭い印象を受けなかった。
私がユービーからパクったもの
ユービーの演奏を聴いていると、彼なりの文法がいくつもあるのだが、私はその中から、自分の演奏にも取り入れられそうなものをひとつだけパクった。
本当はもっとパクりたいのだが、自分の技術的にパクろうとしてもパクれないのが実情だ。
私が唯一パクれた技術、それは「トゥルルン奏法」。
もちろん正式名称ではない。
説明すると、
目的の音が「ミ」だとする。
この時、「ミ」に向かって、「ド」「ド#」「レ」「レ#」の4音を素早く弾くと、「トゥルル~ン♪」と陽気な感じになる。
楽譜にすると、このようになる。
私は主に、速いフレーズというよりは、スキマのあるゆっくりなフレーズのときに、アクセントをつけるために使う。
私のピアノが独特だとおっしゃってくれる方がいるが、それは、ユービー・ブレイクのようなマニアックな演奏者からパクっているから、オリジナルっぽく見えるだけなのである。
長生きも芸のうち
かつて、歌人・脚本家の吉井勇は「長生きも芸のうち」という言葉を落語家の桂文楽に贈った。個人的に好きな言葉である。
まさにこの言葉をユービーも地でいった。
ただ単に長生きしただけではなく、その上での熟成した芸を残した。
ライク・ア・やなせたかし。
ライク・ア・古今亭志ん生。
ライク・ア・内海桂子。
ジャズミュージシャンは、薬物やアルコールで短命だったり破天荒だったりすることがある。
別にそういう人生を否定はしないが、このようにジャズ黎明期から活動し、名曲を生み出し、人生の後半でリバイバルするのも素敵である。(ちなみに、さきほど例に出した古今亭志ん生は破天荒な上に長生きだった。それもすごい。)
「69年のニューポートジャズ祭での成功で再認識され」たとのことだが、69年といえば、マイルスもいればビル・エヴァンスもいる、セシル・テイラーもいる。みんなジャズの新しい境地を切り開いている。
そんな中で再認識されるというのは、私としては、合気道とか剣道の、昔は主流だったが今では廃れてしまった流派の元祖が、修練を積んで再び試合に出場し、若者と互角に渡り合うようなイメージ。
「芸術は長く人生は短い」という言葉は、いい作品を残せば、仮に早死にしてもそれは永久に残るという意味だと思っていたのだが、
本来の意味は「芸術を極めるためには、人間の一生は短すぎる」ということらしい。
そういう意味では、ユービーのような人生は、芸術家としてのひとつの理想ともいえる。
願わくば私も健康に長生きして、芸を極めたいものである。
(文・sentimental okada)
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