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モバイルサイトにウンコの絵文字が表示されて死にかけた話


「なんか、サイトに、ウンチ出てるんです!」

突然の連絡に、現実を理解するまで時間を要した。
かつて経験したことのない修羅場が、そこから始まった。

これはもう10年以上も前の、ある火事場プロジェクトの物語である。

渋谷の片隅の火事場から

某年にサイバーエージェントに入社し、新卒でモバイルサイト制作子会社の立ち上げに参画した僕は、とにかく猛烈な働き方をしていた。

制作会社といいつつも、そもそも案件がなければ経営が成り立たない。
新卒で配属された僕は、とにかくひたすら新規開拓の営業をするところから始まった。

当時の会社は今からでは想像もつかないようなストイックさで、外から見たらブラックという言葉では足りないくらいブラックに見えたと思う。

まず営業なので、日中の時間はクライアントへのアポか、アポをとるための”アポ電”の時間に使うと決められていた。
提案資料の作成は基本的には時間外。アポ電のリスト作成を営業時間中にやるなどもってのほか。

9時~18時はとにかく営業活動に使い、それ以外の時間で資料作成と営業リスト作成、その他雑務をこなすのである。
必然的に、7時出社の午前1時~2時退社といったルーティンが当たり前のようになっていた。

しかし、当時のサイバーエージェントの社内バズワードの一つに、「圧倒的に突き抜ける」というものがあった。
市場で圧倒的No.1をとるためには、日常に忙殺されて成長のための活動を怠るなど、あってはならない。

そんなわけで、基本的に午前3時までは、何らかの本を読んでから寝るようにしていた。

”必ず週に一冊以上は本を読む”

どうしても持続的に成長するため、このルールを自分に課していたのである。
当然、仕事が忙しくて読む時間がない日はあるが、土日を使って本を消化していくようにしていた。

ちなみに上記以外にも、「週に一回、会った企業の担当者にモバイル関連のニュースをまとめて送る」というルーティンもあった。
ニュースフィードをひたすらまとめて、月曜夜にメールマガジンの体にして送るのである。
慣れると大体2時間くらいでまとめられるものだが、いつも着手が月曜24時とかだったので、やっぱりきつかった。
それでも、年末年始を除いては一年間欠かさずやり続けたものだった。

なお、こんな状況でも月に一回くらいは合コンに行ってた記憶がある。
若さとは尊いものだと改めて思う。

そんな生活を続けていたなか、2年目からは制作のディレクターに回った。
案件がそこそこ増えてきたなか、制作をできる人間が必要だったのである。

もちろん制作は未経験ではあったが、上述の読書の時間でモバイルサイト制作に関する本を読みあさり、なんとかプロジェクトマネジメントをできるくらいにはなっていた。

デスマーチの予感

相変わらず余裕のない生活を続けていたなか、一つの案件が舞い込んできた。
代理店経由の受託案件で、ある大企業が新たに立ち上げる化粧品ブランドのサイト制作をするのだという。
PCのサイトは別会社で作るので、我々はモバイルサイトを担当するということになった。

「モバイルサイトの予算は300万円です」との話に、我々は小躍りした。
当時の我々にとって、300万円とは中規模以上の案件であり、制作実績としても魅力的なものにできるようなものだった。

しかし、この案件が迷走する。
当初300万円と言っていた予算は、ミーティングを重ねるごとに縮小されていったようで、最終的には60万円という案件になった。
僕は要件定義に入っていなかったが、事業の都合で予算がかなり縮小されたと営業担当のFさんから聞いた。

「これは危ないなあ…」
勘がそう告げていた。新卒2年目ながらも、過去何度かのデスマーチを経て、危険に対する嗅覚だけはそれなりに研ぎ澄まされていた。

予算的に自分が入って稼働するような規模でもなくなったため、案件の取り仕切りは営業のFさんが自身でやることになった。
FさんがモバイルサイトのデザインからテキストFIXまで自分でやり、最後のコーディングと納品作業だけ僕がやるという流れである。

予算が縮小された分、開発規模も小さくなったため、まあ大丈夫だろうというのが当時の感覚であった。

特急対応

そんなわけで他案件の進行を中心にやっていたある日、Fさんから共有を受けた。
「プレオープンサイトの件、デザインもテキストもクライアント確認とれましたよ」とのことだった。

この案件は納品が2回に分けられており、1回目がブランドの記者発表の日に合わせたプレオープン、2回目がブランド発売開始日に合わせた本オープンという流れなのだ。

「なるほど、で、これの納品っていつでしたっけ?」と聞いた僕。
「明後日です」と、Fさん。

はあ?
デザインFIXから2営業日でリリース?しかも今は夕方の17時だぞ!
デバッグとか色々問題あるでしょう!

と、当然ながら憤る僕。

しかしFさんいわく「まあわかるけど、テキスト組めば終わりだし、8ページくらいしかないからできますよ!最悪僕がHTML書きますし」とのこと。

Fさんの言い分もわかる。クライアントも代理店もてんやわんやで、いろいろと決められなかったがゆえにデザインFIXが今日になったのである。
それをFさんの責任だと言うには、さすがに酷であるとは思えた。

しかし、あまりにもプロジェクトとしては雑である。
度重なる予算の縮小、仕様変更、納期の変更と、すでにしてデスマーチ案件のモデルケースになってるとすら言えた。
開発規模が小さかったことが救いだった。

誰か1人のせいでもないし、文句を言っても始まらない。いろいろと調整した結果、翌日に時間をとって自分でコーディングすることにした。
過去のデスマーチの経験によって、他人が書いたコードをコピペしてページ成型するくらいはできるようになっていたのである。

当時の自分に伝えてあげたい。「生兵法は大けがの基」であると。

「ウンチ出てるんです!」

大人の事情を呑み込んで割り切ったつもりでいても、新卒2年目ボーイの未熟なメンタルでは、簡単には怒りが収まらなった。
誰に怒っても仕方がないとわかりつつも怒っていた。

なお10年以上経った今でも、こういう仕事が非常に嫌いである。
今では基本的に発注者の立場ではあるが、メンバーに対しても「立場を利用して自分の未熟さをパートナーに尻ぬぐいさせるようなやつはシバく」ということを、社会的に許容される言葉に変換して伝えている。

さて、そうはいっても仕事は動かなければ終わらない。
心を無にしてひたすらコーディング作業を進めた。

終わったのは23時半だったのを覚えている。
手元に用意した2台のケータイ(当時はもちろんガラケー)でサイトの表示を確認し、テキストの内容にも問題がないことをチェックした。
チェックし終えた瞬間、早々に帰ることにした。

前述のとおり、当時は午前2時とかまで働くのが当たり前のような時代だったため、23時半に帰るというのは「俺は怒ってるからな!他の仕事なぞ知らん!」という意思表示でもあった。
いま振り返ると、どこから突っ込んでいいのかわからないクレイジーさである。

とにかく、表示チェックも一通り終えた僕は家路につき、ニコ動を見ながら冷蔵庫のビールを2本空けて眠りについた。

ちなみにリリース前日にクライアント確認すらなく納品…というのは、いかにプロジェクトが破綻していたかがわかるというものだが、
そうはいってもページ数も少なく、応募フォームなど動的な部分もないサイトなので、誤字脱字などがあれば午前中にクライアントが確認して連絡くれればすぐに直すから大丈夫。だって15時公開だし…という想定になっていたのだった。アカン。

そんなわけで翌日になり、サイトの公開日がきた。
いつもと変わらない朝、変わらない仕事風景である。

昼下がりになり、急に僕の携帯が鳴った。
発信元は、代理店の営業担当のYさんだった。

Yさん「三浦さん!サイト見ました?!」

僕「え…見たも何も、作ったの僕ですけど」

Yさん「なんか、サイトに、ウンチ出てるんです!」

・・・は?

この人はけっこうな美人だというのに、昼間っから何を言ってるんだ?
まだ15時25分だぞ・・・

そう思いながら時計を見たことを鮮明に覚えている。

僕「いや実機検証したけどそんなことは・・・」

Yさん「ソフトバンク端末で見ました?見てください!」

僕「えーと、ちょっと待ってくださいね・・・あ、ウンチ出てますね・・・」

そうなのである。
当時のガラケーは、使用しているキャリア(ドコモ、AU、Softbank)によって、絵文字が化けてしまうという恐ろしい仕様があったのだ。

※参照
【メールでうんこの絵文字ばかり使う彼氏に悩んでいます】Yahoo知恵袋の面白すぎる質問の原因が判明!

この仕様によって、本来の表示であれば

XXを使えば、お肌もツヤツヤ、化粧もノリノリ(音符)

となるはずだった表示が、

XXを使えば、お肌もツヤツヤ、化粧もノリノリ(ウンコ)

という表示になってしまっていたのである。

絵文字の仕様については百も承知していたが、疲労と憤りによって注意が散漫になっていた僕は、ソフトバンク端末での検証をまさに漏らしてしまっていたのだ。

こいつはえらいことになった。
絵文字が化けるとはいえ、よりによってウンコになるとは。
しかも化粧品のクライアントだ。

とにかく何とかしなければならない。
混乱しそうな気持ちをこらえ、当時の取締役であり制作統括のKさんのところにいった。
やはり社会人といえば”報連相”である。

「すいません、ウンコの絵文字が出ました。修正の仕方と、経緯報告書の書き方を教えてください」

新卒2年目にしては、無駄がなく非常に簡潔な状況報告である。
上司に思考を整理するヒマを与えずに、協力のみを求めている。
報連相アワード優秀賞にノミネートしてもいい。

そうして、短時間で絵文字の表示を修正してもらった僕は、経緯報告書を瞬時にまとめて、代理店のオフィスへと赴いた。
もちろん、謝罪アポにいくための状況整理のためである。

謝罪と着地

代理店との打ち合わせは、もちろん非常に重々しいものがあった。
なんといっても、不具合としては前代未聞の事象が起きているのである。

「なんでこんなことになっちゃったの??」

代理店側のマネージャーIさんの、困惑した第一声は忘れられない。

営業のFさんは「いやあ、ウンコだけに水に流してもらえないですかねえ~」などと言って気丈に振舞っていたが、
もちろん状況は変わらない。

とにかく発生原因や対策をまとめたうえで、クライアントのオフィスに謝罪にいった。
当然ながらそこには、怒りを隠さない表情のクライアントが並んでいた。

挨拶もそこそこに経緯説明を終えたとき、
クライアントの部長の第一声は「プロじゃないよねえ」だった。

通常ならかなりショックだろうが、すでに十周くらい後悔していたので「(ええ、僕もそう思います…)」としか思えなかった。

現場担当者の方(女性)も「あのような絵文字が表示されてしまったのは非常に遺憾で・・・」と話していたが、
すでに心が死んでいた僕は「(ああ、ウンコとは言わないんだな)」という感想を抱くのみだった。

しかし、心が死んでいようとも説明はしなければならない。
ここで対応を間違えると、それこそ死ぬ。

部長「なんでこうなったの?」
僕「PHPってのを今回使ってるんですけど、それがうまく動かなくて…」
部長「PHPってなに?」
僕「そういうプログラムです。絵文字出し分けに使ってました」
部長「なんでそんなの使ったの?」
僕「予算減ったんで、これ使ったほうがコストかからず作れるんで…」

このあたりで、先方の部長の表情が変わったのを非常によく覚えている。
なんだかんだいっても、上流で何度も変更があったことが制作サイドのしわ寄せになっていたのは事実なのだ。

なおPHPの名誉のために書くが、この事象は完全にプログラム制作のミスであり、PHP自体はまったく悪くない。
相手がPHPを知らない程度のITリテラシーだと気づき、あえてミスリードするような言い方をしたのだった。
あまりに過酷な環境は、無垢な青年に「嘘は絶対につかないけど、言い方はうまいこと言いまっせスキル」を身に着けさせたのである。

この「言うても我々もベストを尽くそうとした結果ですし、ここらで今後の話をしませんかアピール作戦」は功を奏した。

まだプレオープンなので、サイトの本オープンはちゃんとやらなければならない。
ここで我々が「もう無理っす降ります」と言い出しでもしたら、クライアントにとっても大打撃である。
そんなパワーバランスを見越して、事態の収拾をはかった。

結果として、
・同様の事態が起きないよう、納品前の事前確認の必須化
・そのためのスケジュールロードマップ修正
・納品前のほぼモバイル全端末によるテスト実施

という対応をすることで着地した。

ちなみに3つ目のテスト実施は100以上の端末をレンタルする必要があり、当時だと110万円ほどかかることになった。
代理店とクライアントの今後の関係性などもあり、代理店とウチで費用折半して実施するしかないよね、、、ということになった。
弱小な制作会社としては非常に痛い出費である。

とてつもないトラブルであったが、なんとか収束した・・・かに見えた。
しかし、さらなるトラブルが待っていた。

失踪

次の日、会社に衝撃が走った。
営業のFさんが会社に来ないのである。

いくら電話してもつながらず、事故や急病の可能性もあった。
リアルな話、メンタルがやられて不測の事態が起きていないとも限らない。

後日なんとか連絡がつき、会社を辞めるという話になったとだけ聞いた。
実はこの時期に会社がピボットして、ソーシャルゲーム開発に乗り出すということが決まっていたのだが、
その流れのなかで色々とゴタゴタしたこともあり、気持ちが切れてしまったということのようだった。

さて、こちらの会社の営業がいなくなってしまったため、僕が営業と制作ディレクターを兼ねることになった。
当然、仕事の量はさらに増えたが、Fさんの気持ちもよくわかるし、問題の一端は自分にもあると思ったので仕方ないと思った。

こうなるともう、やるか逃げるか、である。

やるか逃げるか

リカバリー

さて、やるか逃げるかでいうともう、やるしかない。

・納品しても赤字が確定
・営業は失踪
・事業ピボットするため事例にもならない

状況でいうともう、目も当てられない撤退戦である。
しかもソシャゲ開発にピボットするため、企画を早々に考え始めたいという状況なのだ。この案件に時間を使うほどに自分の成果は出なくなるということである。

そんな状況でとった決断は、「ここから巻き返して完璧に納品してやる」であった。
いくら状況が悪いとは言っても、会社は存続するわけであり、途中で投げ出すわけにもいかない。
であれば、適当にやってまた事故になるくらいなら、完璧にやりきってやろうというふうに腹を決めたわけである。

”ヒットする企画も作る”、”納品”もこなす。
”両方”やらなくっちゃあならないというのが、ベンチャーの辛いところだな。
覚悟はいいか?俺はできてる。

そんなわけで、本サイトのほうの要件定義を一気に進めた。
フロントとしてクライアントと直接やりとりするようになり、スケジュールに影響を与えそうなポイントを先回りして確認し、デザインも前倒しで進めた。

その間に、例の100端末以上の表示検証も行った。
秋葉原の一室で端末をレンタルし、ひたすらサイトの表示に崩れや文字化けがないかを確認するのである。
あきらかに過剰なコストではあるが、経緯が経緯だけにやるしかない。
とある内定者バイトの子と一緒に、音楽を聴きながらひたすら心を無にして検証を進めた。

ある日、21時半ごろにサイトのテキスト修正依頼があった。
メールを開いた瞬間に修正し、翌朝8時前に対応完了メールを送った。
(実際は24時前には完了していたが、ドン引きすると思ったので送信するのをやめた)

一般的な営業時間を1秒も使わない神速対応に、
「きわめて早いご対応、感服いたしました」
という返信をもらうことになった。

プレオープンでは散々なトラブルに見舞われたが、強烈に巻き返したことで、一気に信頼を取り戻した格好である。

雨降って地固まるとは言うが、もともとの期待値が底辺まで落ちていただけに、
このタイミングでの迅速な動きはインパクトが大きかったと思われる。

最終的に、良好な関係で残りのタスクを消化していくことができた。

この案件については、ここまでで話は終わりとなる。
あとは無難に本オープンのサイトを納品して、完了となった。
あっけないようではあるが、こんなものである。

なおFさんは今ではご結婚して幸せに暮らしているとのこと。よかった。

最後に

この案件の納品が完了したのと同時期に、自分が出したソシャゲの企画案が通過し、開発が始まった。

ソシャゲ開発も初めてのことなので、プログラムのことなどさっぱりわからなかった。
しかし、それまでのデスマーチの経験が生きたのか、とにかくプログラムのことを勉強してキャッチアップした。

このソシャゲは幸いにして、当時としてはかなりのヒットとなったが、それだけに数多くのトラブルにも見舞われた。

想像を超えた初速の良さにより、連日ほとんど徹夜で負荷対策を行ったり、
会社に3日間泊まり込んでリリースしたイベントに障害が起き、朝きたらカスタマーサポートの問い合わせが4千件を超えていたということもあった。

かなりの修羅場だったと思うが、それでも「ウンコが出てないだけマシ」という気持ちはあった。
度重なるトラブルは、少年の心を鋼鉄と化していたのである。

とりあえず、度重なる修羅場でも生き残ってこれたのは、修羅場で逃げなかった経験が積み重なってこそなのだと思う。

この話は、いつかどこかに書いてみたいと思っていた。
いつ話してもウケる鉄板ネタということもあるが、それよりも、
こういう経験をする機会が減った若手に、当時の熱気を少しでもイメージしてもらうのは良いことじゃないだろうか、という想いもある。

もちろん当時を肯定するつもりはないし、仕事のレベルの低さは恥ずかしくなるばかりである。
ただ、だからこそ身についた経験は、何にも代えがたいものだとも思う。
(二度と御免だが)

10年前と比べると、今は市場も会社も比べ物にならないくらい成熟しており、若いうちから本質的な仕事に関われる機会も多いと思う。
その気になれば、我々の世代の成長角度とは比べ物にならないような成長を見せてくれるのではないか、という期待もある。

ただ、成熟していくまでには未熟だった時代からの成長過程があり、それが”今”を作っているわけである。

当時のクレイジーな熱気は、当時を生きていた人間として細々と伝えていきたいなとは思う。

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三浦 慶介 | 事業グロースのひと
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