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いまさら話せない僕の就職活動

起業すると、動機や原体験を尋ねられることが頻繁にある。これらの質問に対し起業家は、それを1日に何度も繰り返し話すのではないだろうか。
何度としているこの話を、1人1人にエネルギーを注いで話せるかが、起業家の重要な仕事の1つかもしれない。そしてこのプロセスを繰り返すうちに、ストーリーが研ぎ澄まされて、聞きやすい構成に変わっていく。

この研ぎ澄まされていく工程で、都合が悪い事実を消したり、あるいは話を盛ったりすることがあるのではないだろうか。多方面に「WHY YOU」(なぜあなたがその事業をやらないといけないか)を説明するのであれば、そのようなことになってしまうのも、理解できなくはない。

右も左もわからず起業した会社も、創業5期目となった。とりあえず熱心に起業ストーリーを語るしかなかった自分も、スラスラと相手に理解してもらえやすいように話せるまでになった。

しかし、研ぎ澄ます過程で、時折、メンバーや周囲の人々の間に誤解が生じることもあった。特に、これまで口にしなかったエピソードを今更話すべきかどうかの疑問から、今回この記事を書くに至った。

自分の場合は「学生時代に焼酎業界での経験を経て、そこで感じた課題と可能性に駆り立てられて、就職もせずに起業した」といつも大雑把に説明する。端的な説明であり、流れもしっくりくる。けれども厳密には就活をしており、1社だけ面接を受けていた。そしてそこの会社に絶対に入社をしたかった。

希望する企業・職種を選び、説明会に出て、会社訪問、履歴書などを提出し、筆記・面接試験を受け、内定を得るという一連の活動のこと。

goo辞書から

上記が就職活動の定義だとすると、1社しか受けないというのは、就職活動とは呼べないのかもしれないが。

自己紹介

大学時代の居酒屋勤務をきっかけに焼酎の魅力に惹かれ、焼酎業界での勤務を経て、2020年4月に株式会社SHOCHU Xを設立。「ジャパニーズダークスピリッツ(JDS)」として、数百年の歴史を持つ蔵元と協力し、希少な熟成原酒を取り扱い、日本の蒸溜酒・焼酎のボトラーズブランドとして、原酒の選定やブレンドに深く取り組み、その歴史が紡ぎ出した至高の味わいを追求しています。(https://www.jds.world/

直近のプロフィール文はこうだ。学生時代の居酒屋アルバイト経験からお酒や飲食業にハマるというのはあるあるだ。というか今でも従事されているほとんどの皆さんはそうかもしれない。それが自分の場合、焼酎であった。大学の近くの時給が良いという理由で入っただけだが、たまたま焼酎が数十本ある店で、熱中して働いているうちにまんまとハマってしまった。本当にハマってしまい、飲食店営業するだけでは欲求は満たされなく、焼酎が中心の商社の門を叩いて、少しインターンとして働かせていただいた。いや働いたといえるかわからないほど、自分は何ももたらしていないが貴重な経験をさせてもらった。

そこは焼酎を海外に売る仕事であったために、焼酎を含むお酒の現状やマーケットについて当時学生だった自分でもそれなりに知ることができた。そしてそこまで熱中していると課題や可能性も浮かび上がって、目に見えてくる。

そんな動機や原体験があった起業した。
詳しくは以下のnoteに昔に書いてある。(今は恥ずかしくて読めないけど)

ここまでざっくりだが、いつも話す流れだ。そんなに変ではないだろう。

正直に詳しく話そう

もともと焼酎に出会ってから、最も衝撃的な事の1つが、2018年9月にリリースした「だいやめ」という芋焼酎だ。ライチの香りというキャッチフレーズで人気を博し、今やどこにでもある定番商品となり、その味わいに驚いた人も少なくないのではないだろうか。最近焼酎を好きになった人にきっかけを聞くと、だいやめを飲んでからという人が多い。

ライチのような香り「だいやめ」

知らない人も多いかもしれないが、元々は造っている「濱田酒造」が150周年を記念したのがだいやめの始まりだ。

そんなだいやめとの出会いは、当時自分が働いていた飲食店の常連客に、偶然にもだいやめを造っている濱田酒造の役員の方がいた。長年の常連で、特に営業目的で来ているわけではなかったが、ちょうどだいやめがリリースされるかどうかという時期に、その方が店に来て、プレゼントとして1本持ってきてくれたのだ。おそらく関係者以外で日本最速でだいやめを味わった人間だったと思う。焼酎にどっぷりハマっていた当時大学3年生の自分にとって、この一本が与えた衝撃は今でも鮮明に覚えている

今でこそ、どこにでも置いてあり、みんなが知る銘柄になったが、当時はそれも150周年記念というような形で出されていたので、どこまでメーカーがこの商品を広めるのかはわからなかった。しかしただの学生ながら無駄に焼酎がめっちゃ好きでエネルギーだけはあるみたいな野郎が、これに対して何も思わないわけはない。「これは絶対にみんなに知ってもらわなければならない」と、始めて口にした時から直感した。

その当時は大学3年の秋。まともな学生なら就職活動をしている頃かもしれないが、流石にそちら側の学生ではなかった。そもそも単位的に卒業できるかも怪しかった。焼酎(お酒)の仕事は心底楽しかったが、それと就職活動は別だ。みんなが大学卒業と同時に働くなんておかしなことだと、しょうもない学生ながら思っていた(今でもあまり変わっていないが…)
なので就活なんかしたくない、なんて想いを抱えながらも、このだいやめに出会ってしまった時期がちょうど重なった。

その当時掛け持ちで働いていた会社で、実はそこでも濱田酒造の商品を扱っていたのだ。それもあって両方の職場で濱田酒造との関わりがあった。だいやめの感動、そしてそれが広まっていない悶々とした心境、そして就活の空気、周りからも就活どうするみたいな声が聞こえてくる中、自分は新卒を募集している濱田酒造に入社することを次第に周りからオススメされるようになっていた。そして、自分もそうしたいと思っていくようになった。

常連の役員の紹介で1人鹿児島に行って、蔵見学もさせていただいた。懐かしい思い出だ。OB訪問みたいな単語は全く知らなかったが、気づけば優秀な就活生みたいになっていた。

最寄りの市来駅。田舎だな〜って思って撮った覚えがある

次第に社内の知り合いもどんどん増えていき、出会う人みんなにだいやめを始めとする商品への熱い想いを語っていて、大して仕事もしたことがないくせに、どうやったら売上を伸ばせるかみたいなマーケティング論まで語るようになっていた。正直、今思えばかなりイタい学生だったが、斜陽産業でもある焼酎業界でなかなかこんな詳しくて熱意を持った若い人はいないので、持て囃されていた。

僕の就活は濱田酒造以外には考えられなかった。なので、実質就活ではなく、他は1社も眼中になかったし、面接の練習やその他準備なんてのもした事なかったし、やる必要も感じられなかった。
でも多分社員以上に商品の事を詳しくなっていると自負していたし、知り合いもたくさんいて早く働きたくてウズウズしていた。当然落ちるなんて想定もしていなかった。自分も周りの方々も。

結果は不採用

しかし、いざ面接の日。結果は、まさかの不採用。
面接では初めて社長とお会いし、自分の焼酎に対する熱い想いや、考えていたマーケティング、さらには事業戦略まで、思っていたこと全て伝えました。おそらく、そんなことを聞かれていたわけではなかったが。
クソ生意気だったけど、同時にこんな学生もいなかったと思う。そして、社長から言われた言葉が、今でも私の心に深く残っている。

「好きこそものの上手なれと言うけど、社会はそんなに甘くない」

それまで当然入社するもんだと思ってたけど、面接を経て、これはひょっとして落ちるかもと感じた。そしてその通りになった。
振り返ると今でも変わっていないですが、就活のセオリーというのがあるのであれば、落ちて当たり前だなと思う。

だから今がある

他の会社を考えていなかった自分は、その後も飲食店やインターンで働き続けて、一般的な就活は全くしなかった。(というかできなかった)その後、やっぱり業界の課題や可能性がどうしても捨てきれず、起業した。ほとんど社会人経験がない学生が起業なんて、周りにめちゃくちゃ言われた。ただ、思い描いた姿にはまだまだ到底及ばないけど、なんとか続けられている。

濱田酒造に対する気持ちは全く変わっていない。落とされたからといって嫌いになるどころか、今でも素晴らしい企業だと思っているし、彼らが作る焼酎は本当に素晴らしい。特にだいやめは、焼酎業界やそのイメージを一新した革命的な商品だと思っている。

ただ、あの時の面接で言われたあの言葉は、今でも僕の胸に残っている。そして残り続けるであろう。あの言葉が、いまでも事業を推進する原動力となっており、ふとした瞬間に思い出す。もしあの時面接で迎合して入社していたらと考えると、不器用ながら強い想いを持ち、ブレない大事さを身に染みて感じている。そんな想いをずっとずっと持ちながら、これからも焼酎の世界で挑戦を続けていく。

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