Made in Japanへの過信 Vol.1
「下町ボブスレー」。これは東京・大田区の町工場の有志たちが始めたプロジェクト。平昌五輪でジャマイカの女子選手団により使われる予定だったMade in 下町のボブスレーが五輪直前でラトビア製のそりを採用され、失敗に終わったこのニュースをご存知でしょうか?
このプロジェクトは11年に始動し、14年のソチでは日本代表に採用を見送られていました。そんな中、外国チームの中で反応が良かったのがジャマイカ。
五輪直前のワールドカップの際、輸送機関のストライキにより下町発のボブスレーがジャマイカチームの手元に届かない事態となります。
仕方なく、ラトビア製のそりを使用したジャマイカチーム。
その結果、まさかの下町製のものより格段と成績が上がったそうです。この事態にジャマイカチームは下町発ボブスレーを不採用にし、ラトビア製を使用しました。
下町と聞くと「下町ロケット」などのドラマによる影響なのか、
日本人は職人の技と叡智が結集した素晴らしいモノ作りと想像します。
協賛企業にも有名企業が名を連ねたこのプロジェクト。
日本の技術をもってして、まさか悪いそりなんてできやしない。むしろ素晴らしいものができる!これを知った今、易々といえるでしょうか。
ちなみに、ラトビア製のそりを作成した者たちのほうがボブスレーに精通をしていたようです。
私は中国の上海で18年5月から消費者調査会社の営業マンとして勤務しています。今から約20年前の私が小学生だったころ、初の海外旅行として上海と北京に来たことがありますが、その時と今とでは違う国に来たかのような錯覚さえ覚える変化を遂げていて驚くばかりです。
そして、この中国という土地で感じたグローバルでモノを売っていくことの難しさをクライアントとのビジネスを通じて感じています。
私はグローバルで商品が売れないことの要因のひとつに Made in Japan に対する極度の過信があるのではないかと思っています。
ちなみに10年前にも一度家族旅行で上海に来たことがありましたが、その際の記憶はツアー旅行だったせいか、料理が想像していたよりおいしくなく、喉は痛くなって咳き込むし、40度近い気温でバスに置いていた水が沸騰寸前だったことの記憶しかありません。
もう二度とあんな国に行くものかと思ったものでした。
それから10年が過ぎた現在。海外志向が強かった自分だが英語と日本語しか話せないのに、なぜか上海赴任の運命が待っていたんです。
初海外が上海で、二度目の上海では二度とこないと誓ったにもかかわらず、中国語もニーハオレベルの人間が今は上海で働いているのだから運命とは面白いですね。
日本のことが大好きな立場として、海外で働き、様々な企業のマーケティング活動に調査という視点から携わった人間として、Japan発の商品がもっと世界で輝けるためにはどうすべきかという視点を今後発信していく内容に盛り込んでいきたいと思います。
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