頑張ろう中堅vol.13「校則のこと」
いろんなメディアが制服や校則について取り上げています。「制服なんてなくてもいい」という署名が何万と集まっているというような報道を先ほど目にしました。確かに「下着は白しかダメだ」なんて校則の存在を耳にすれば、おいおいとなってしまいます。
ただ私たちは自分の守っていた校則に、意味があったのか、なかったのかを正しく分析することができません。抽出できない。「あれは意味なかったな~」と思うことも、実際にはその人の倫理観や協調性に影響を与えていることは多々あると私は思います。
いまの学校で、学ランのボタンをすべて開けて私の授業を受けている生徒がいることがあります。気づいたときは必ず「閉めよう」と声をかけます。その方が授業がよく分かるからです。佇まいや身なりを整えることで、心を整える。昔の人が当たり前にやってきたこと、礼や作法とはそういうものです。
「ボタンが閉まっていようが、開いていようが、1+1は2じゃないか。」
もし制服や校則の議論がこんなレベルで行われているなら、教育や、学習、人の成長について真剣に考えたことのない人の意見だなと訝しんでしまいます。
一方で、学校も校則を見つめなおす機会です。集団が1か所に集まり学ぶ以上、秩序を守るルールがないといけません。ルールがあることで子どもたちは秩序の輪郭を捉えます。
秩序ではなく教員の利権のためにのみ存在するようなルール、体罰に当たるような生徒を苦しめるだけのルールがあるのであれば、それは見直さないといけない。ただそれは世論が決めることではありません。その学校に関わる人たち(教員、生徒、保護者)が、意見を交わしながら、ときに「分からないこと」に意味を見出しながら、変えていくしかないのでしょう。(それでなくならないから、今回のようなニュースにまで広がっているんですが。そのことは教育関係者はよく分かっておかないといけない。)
加えて、生徒が自分たちでルールを考える。そんな取り組みがセンセーショナルにメディアに取り上げられたりすることがこれから増えると思います。
ですが、生徒が考えたルールでうまくいっている学校があることと、生徒が考えたルールで学校がうまくいくことは違う次元の話です。見誤らないようにしたいなと思っています。
おそらく、色々なお考えの方がいらっしゃると思います。
日ごろから散々教育について書いておいて、書きにくい話題を避けていたらいかんなぁと思い、私の解釈を書いてみました。