オモコロ 鳥久回と祖母の思い出の話
最近急にYouTubeのオモコロチャンネルにハマった。
多分きっかけはちょっと前にXで話題になっていたバキ童ことぐんぴぃ氏のYouTube界隈との親和性にかんするツイートと、たまたま行ったエステのエステティシャンのおねーさんが匿名ラジオのお話をしていたことだと思う。
かくいうわたしはバキ童のYouTubeが好き。
下ネタとオタクカルチャーとネットミームのいずれか、或いはそのどれもが好きな人は好むコンテンツだと思う。
他に並列として上がってたコンテンツは見たことない感じだったので、バキ童ちゃんねるからオモコロへの水平横跳び、からの反復横跳びが直近のルーティンとなっている。終わってるYouTubeのトップページ。人には見せられない。
元々webメディアとしてのオモコロは知っていたけど
(思い返すとわたしはむつおさんの奥様が書かれていたホストにかんする記事を読むのが好きだった。ホストという題材に対しての描写とかにも時代を感じる。今ならあの雰囲気を出すのはちょっと色んな意味で無理な気がする。
あと恐山さんの哲学的ゾンビの記事は読んで衝撃を受けた記憶がめちゃくちゃにある。あれもオモコロか)
そんな些細なきっかけから転げ落ちるように界隈に足を突っ込み、YouTubeだけでも5年、webサイトを含めればそれ以上に長くやっているコンテンツの分、あらゆるアーカイブと新規の色々をアップアップになりながら追っている。
面白いんだ、これが。マジで有料コンテンツまで含めれば見切れない位の量がある。ディグってもディグっても底に指先が届く気配がない。嬉しいし、楽しいのだけれど同時に終わりも見えないので途方に暮れてる。まあそれはちょっと嘘だけど。
そんなオモコロは、運営会社バーグハンバーグバーグの副社長である永田さんが蒲田育ちで親和性があるからか、会社の現住所の関係か、私の地元と近しい場所が出てきがちである。
好きな人たちが見知った街のことを話したりそこに根差して日々を営んでいるのは、なんだか不思議だけど悪い気分ではない。寧ろ別に特に思い入れのない地元への好感度が上がるまである。
(念のため書いときますが、だからって会社凸とかはしません。こちとら陰の者だもんで)
過去のアーカイブを追う過程で、鳥久回を見た。
懐かしいな〜〜と思った。
鳥久、昔は我が地元大森にも店があったのだ。
大森鳥久は暖簾分けだか袂を分けたお店?だかなんだかで今梅屋敷〜蒲田界隈にある鳥久とは直の関係はないとも聞いたことがあった。
コロナ前後の折でお店はなくなってしまったのだけど、なんか昔から馴染みのある味を今自分が好んで見ている人たちがテンション高く話してるのを見るのは純粋な喜びがあった。
美味しいよね鳥久。
地元民らしく、わたしはこの鳥久に思い出がある。
同居していた母方の祖母が幼い日のわたしや姉によく買い与えてくれていたのだ。
先週は、そんな祖母の三回忌だった。
週末、都内にある自宅から千葉にある祖父母の墓へ向かった。
松戸の先にある大きな霊園に、祖母と、生前相見えた記憶のない祖父の墓はある。
ここに行くとわたしはいつも二ヶ所の墓を順に巡ることになる。
後妻さんだった祖母は祖父と同じ墓には入っていないからだ。
多分祖父の方のお墓には前妻さんが入っているのだと思う。あんまり詳しく知らないけれど多分そう。らしい。
普通のおうちの人がどうなのか、あまりこういう話を他人としないから分からないのだけれど、わたしはあまり祖母のことを知らないように思う。
例えば、どの指だか忘れたが祖母の第一関節の半分程欠けていた指先の話や、なんか色々紆余曲折あったらしい祖父との馴れ初めは、生前聞いたら教えてくれたのだろうか。
美味しかった料理のレシピとか、そういうのも。
もっとコミュニケーションを取れる家族間ならそういうこともちゃんと知っていたりするのだろうかと考える。
ありきたりな話ではあるけれど、そういう話を生前の祖母にきちんと聞いておけなかったわたしは良い孫ではなかったんだろうなと思う。
亡くなったあとに知ったこともある。
祖母が意外とちゃんとスピだったとか
(記憶にある祖母はずっと総入れ歯だったが、なんかわたしが生まれるより前に内臓をやってしまった際に試みた謎の民間療法の引き換えによる代償だったらしく、老化による歯の損失によるものではなかったらしい。
民間療法でそういう疾患がガチで何とかなる人いるんだ、と思ったが普通の治療ではもう手を尽くせないとなった際に夫であるわたしの祖父がどうにかこうにかして見つけてきて祖母に受けさせたのがその民間療法だったらしい。
代償もデカかったのだろうけど、特大のお惚気エピソードやないかと思うのでわたしは嫌いではない。依然、消せないヤバみはあるが)
そっからの亡くなるまで自身が傾倒していたマイナー宗教の存在に繋がるのだろう流れなんかはある種一貫性があるなと感心していた。
わたしは、父と別れ働く多忙な母の代わりにほぼ祖母に育てられたような子供だった。
祖母はやや過保護気味であったことは否めないが、わたしにとってはとても良い保護者だった。
祖母が亡くなった日の夜、夢を見た。
それは祖母が出てくる夢で、居間の見知ったキッチンの水場に立つ祖母の姿を見たのはひどく久し振りだった。
生前の祖母はいつの間にか患った膵臓ガンを身体中に転移させ、本人が病状の核心に迫るよりも前から随分長いことベットから起き上がらなかったからだ。
コロナ禍であったが故に自宅で最期を看取ることが出来たのは不幸中の幸いだったのだろう。
「あたしがいる内に家をきれいにしちゃいなさい」
物が多く汚い我が家を残しては旅立とうにも旅立てないと思っていたのかと思うと何分居た堪れないが、そんな有り難いお言葉を無視してその身体に抱き付き子供のように泣きじゃくりながら、なんかよく分からないことを言うわたし(自分でも何言ってたのか本当にあんまり覚えてない)を前に夢の中の祖母は恥ずかしいような困惑したような顔をして、口をもごつかせていた。
泣くわたしを俯瞰で見ている別のわたしが、実家にのさばってはいたものの成人して生活もすれ違い、何かとツンケンしていた印象の方が祖母の中で強いんだろうなと考えていた。
わたしはあんなに祖母が好きだったというのに。
結局そこで夢から醒めてしまい、それ以上何かを話すことも聞くことも出来ず終いだったが、起きていの一番に、霊感も碌にない人間でもこんなちゃんとしたスピ体験するもんなんだと感心した。
その後家族に聞いたら他のメンバーのところには出てきておらず、どうやら祖母はわざわざわたしを選んで苦言を呈したらしい。その折はありがとね。Chu!(実家が)汚くてごめん(>з^)-☆
入口に近い祖父の墓を掃除しお供え物して手を合わせたら、次は祖母の墓へと向かった。
建てたばかりの祖母の墓はまだ比較的綺麗で、石の色も一般的な墓石とは少し違う変わったもので出来ている。家族みんなで選んだが、本人に合っている気がしていて見る度にとても良いなと思う。
御供物って、墓前なり仏壇なりにお供えすると供えられた本人は本当にあの世で食べれると聞いたことがある。
祖母はマイナー宗教に入ってたから、そのルールが適用されるかは分からないけど、とりあえず祖母の好きだった栗のモンブラン的なものを供え、わたしも祖母の墓前でそれを食べた。
特に信仰する宗教のないわたしはこれが墓参りの正しいルールなのかも知らない。多分違うと思う。
曇天の下、甘味を頬張るわたしの耳には何処か近くのお墓でお坊さんが読経してる声がずっと聞こえていた。
その後実家に寄ったついでに蒲田で降りて、鳥久を買った。
前述のオモコロ鳥久回を見たので久々に食べたくなったのもある。
蒲田界隈の方で買うのは何気に初めてだった。
時間が遅めだったからどうかなと思ったけど、いくつかのお弁当はまだ残っていてわたしは祖母がよく買ってくれていたそぼろ唐揚げ弁当を買って帰った。
久々に食べたそぼろ弁当は美味しくて、から揚げはあんまり変わらないけどそぼろとおいもは蒲田鳥久と大森鳥久の味は別物に思えた(甘しょっぱ度が大森鳥久の方が強く、味が濃い。おいもに至ってはベッコウを更に煮詰めたような色だったのだ、大森鳥久のは。わたしはそれがすごく好きだった)
小さい頃祖母はわたしや姉に大森鳥久のそぼろ弁当を買ってくれた。それはいつしかわたしが土産として時折買って帰るようになっていったが、その間にわたしは無駄に歳だけ食い、祖母は寄る年波に乗るまま老いていった。
繰り返しになるが、わたしは生活面において祖母に育てられたようなものだった。
幼い頃、母と姉と川の字になった寝室で、寝る間際に交わした会話の中で自分の母という存在がわたしのよく知る祖母ではなく、今隣にいる人間であるという事実に心底ショックを受けて思わず寝室から出ていったという自分のアホ過ぎエピソードを我がことながら未だに鮮明に覚えている。
その位、わたしは祖母にべったりだったし本当に母親のように考えていた。
だから祖母の葬儀が終わった時、わたしの親を看取るような葬儀は人生の中でこれが最後だったんだろうなと思った。
別に存命の母や姉とも仲が悪い訳ではないし、勿論その時がくればそれ相応に手を尽くすのだろうけれど、わたしにとっては多分これが親族における一番ウェイトの重い弔いなのだろうなという確信めいた気持ちはあった。正直それは今も変わらずある。
ちなみに祖母は94歳の誕生日を迎えた翌日に亡くなった。
なので、先週末は祖母の誕生日からの命日を順繰り辿ったことになる。
もう喋ることも出来ず、呼吸器で酸素を取り込みながら医療用大麻で意識が朦朧としていただろう本人にその気があったかは分からないが、そういう人生のラップタイムを少しでも伸ばそうとする部分に祖母の根性というか気骨を感じられて、わたしはやはりこの人のことが好きだなと思い出す度に改めて感じ入る。
そんなこんなでオモコロを経由して、思い出の味を食べながら祖母やその思い出を反芻した週末だった。
前述した通り、わたしは別に地元に特段何の思い入れもないし、好きか嫌いかで言われたら別に好きではないような場所なんだけど、今自分が好きで追っているコンテンツの人と重なり合う部分があることは悪くないなと思えている。
たまに感じる地元周辺のなにかに地域再発見!みたいな気持ちも浮かんだりするので、なにかと有り難い。
わたし自身が兎角飽きっぽいというか好きを煮詰めやすい性格だから、正直彼らを好いている自分の熱量がどこまで続くのかは現時点では分からないけどオモコロは本当に普通に面白いので適切な距離感で長く楽しめれば良いなと考えている。
同時にあれらのコンテンツが出来るだけ長くずっと続いてくれると良いなと思う。
……ふっくら!!!
なんか、そのふっくら周りの衝撃もあって今この話をこうして書き記している。
いやこないだの生配信とか見る限り、こっちサイドの衝撃とあちらサイドの感覚は多分違うのだろうけれども。
別にこんなこと書いたからってオモコロ自体に何の影響もないのは言うまでもないんだけど、見てこんなことを思った事実があることを残しておきたいと思ったのである。
と、まあここまで書いといてなんだけど、特筆する程のことなどない内容でしたね。
別に良いでしょ、個人のnoteなんだから。
おしまい。
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