記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

Aマッソのオタクだった女が月刊 根本宗子「共闘者」を見てきた話

月刊 根本宗子「共闘者」、千秋楽お疲れさまでした。
それを観てきた、タイトル通りの話。
レポでも感想でもなく、だいぶ日を跨いだ日記ですこれは。取り止めなどあると思うな。

普通にネタバレしてます。

きっかけの話

根本宗子さんをきちんと認識して拝見したのは、お恥ずかしながら椎名林檎氏とNHKで対談した折でした。割と最近。
椎名林檎氏が楽曲提供した「宝飾時計」の仕事をベースにしながら、ふたりが勘三郎さんの話を交えつつお話していたのがとても良かったので一度は舞台拝見したいな〜と思ったのですよね。
「宝飾時計」に書き下ろされた青春の続きも、当たり前に高畑充希ちゃんの声含めてめちゃくちゃ良かったし。

そして何より、Aマッソのおふたりの存在が今回観に行こうと思った何よりのきっかけになりました。
かくいうわたしは、数年前にいわゆる追っかけのレベルでAマッソを付け回していたオタクだったので。
一身上の都合で他界したあとは、加納さんの本出たら買うとかA LABBO見るとか(あの番組の一番の面白さは、美容番組とは思えない照明の暗さだと思っています)加納さんが脚本書いたドラマ見るとか村上さんのインスタチェックするとか位の茶の間ですらない距離を保ち、日々を営んでいる感じです。

で、今回。
興味があった根本宗子さんの周年新作。
しかもAマッソに加えて加納さんが本屋で衝撃的な出会い方して一回出た店に戻ってまで写真集買ったって言ってた(うろ覚え)前田敦子さんと共演、何より親交があったとは伺っていた根本宗子さんの15周年公演で共闘者なんてバチバチにイケてるタイトルの作品にお呼ばれするなんて、死ぬ程アツいこれは観るしか……と相成りました。
だって共闘者!共に闘う者!なんていいタイトル!
Aマッソのファンだったのも今は昔だし、自分の中で思ったより抵抗もなく何より見たい気持ちが素直に勝ったのでチケ取りすることに。

関係ないですが共闘者の一つ前に観たかった舞台がそれこそNODA MAPの新作だったのですが、東京公演のチケットが全然取れず(流石MJ。恐るべし)地団駄踏んでたので自分でもどの位のテンションで今回のチケ取りに向き合えば良いのか分からなくなって異様に張り切ってバグりながらチケット取ってしまったことに我ながらウケたし、
共闘者の作中で野田さんのお名前が沢山出てきてそれにも妙なシンクロを感じてウケました。
(優香ちゃんが瑞希に、DVDとかで見ればいいじゃん!って言ってたけど野田さんの舞台って大分昔のやつはまだしもせいぜいWOWOW放映位しかされなくないですか?ダチと見れない上に簡単にはソフトに触れられない作品の話をテンション高くされたらそりゃ溝感じるよね……わかるよ、瑞希……)


見てきた

と言うわけで結局、初日と前楽のソワレを拝見しました。
会場はTOKYO FMホール。
チケット発券した時点で表記が列じゃなかったので、変形ステージだろうなとは思ってたのですが今回は真ん中に四角いステージがあり、それを取り囲むように座席が配されてるステージの作りでした。パンフレットを読むと、宗子さんの意図によるステージングだったらしい。
勿論どの席からも見えるように作られてはいたけど、これは公演中色んな座席から見たらおもろいやつだなと思いつつ、ガラスの仮面一気読みしたばかりだったわたしは、忘れられた荒野じゃん……となりました。
初演の日、台風来るかもって感じだったし。

して、拝見した共闘者ですが。
まず舞台としてめっちゃ良かった…………。
ストーリーとしては、高校演劇をやっていた女の子5人組がみんなで引き続き演劇をするために同じ大学に入るものの、みんなのヒロインaka松たか子である京子ちゃん(前田敦子さん)が突如失踪。そこから12年続くいなくなってしまった京子ちゃんとみんなの15年間の物語です。


ストーリーとかに対する所感

初日、最後まで見た時にまず思ったのは、これは創作やっていたり生きている人間への救いそのものみたいな作品だなと言うことでした。
根本宗子のえげつないアンセムだし、祈りだった。
ものを作っている人の祈りのような作品って、演劇とかだけじゃなく音楽とか色んなジャンルで本当に時折出会うことが出来るんですけど、この共闘者も正しくそれだなとわたしは思っていて、観た2回とも最後にべしゃべしゃに泣いてしまいました。

最後の最後、時を巻き戻し、抱き合った優香ちゃんと京子ちゃんを見てふたりに必要だったのは本当にこれだったよなぁと心底素直に思えてしまった。良かった。

終盤に差し掛かり、みんなの力で時間を巻き戻して、みんなが後悔しているそれぞれの地点に戻る。
同じ5人の思い出の中でもそれぞれが思っている箇所は違っていて、そのシーンに立ち会う度、その時々の思いが吐露され、つまびらかにされていく。
でも、この時間を巻き戻してその時に戻るって行為も完全なる巻き戻しではないんですよね。
みんな記憶が残っているからこそ、それぞれが後悔したポイントに戻ることが出来るんだけど、逆を返すとそれはやらかしてしまった失敗や後悔もそれに伴う感情も全部覚えた状態で戻るということで、完全に何もなかった状態からやり直せる訳ではない。
でも、望めば戻ることが出来る。得てしまった瑕疵を抱えたままだとしても悔やんでも悔やみ切れないあのシーンをやり直すことが出来る。
現実には起こり得ないそれが、けれど出来ることこそが創作であり、それをこんなにも衒いなく表現出来るのが根本宗子という人の舞台が持つパワーなんだなと感動して、その実直さみたいなものにまっすぐに射抜かれてしまいました。

他者の地獄を背負うと言う行為が可視化されたシーンを見て、
京子ちゃんが抱いていたつらさや、取り返しがつかないことを口にしてしまった事実自体がなくなる訳では決してないけれど、誰かが自分のしたことを知ってくれていること。それを忘れず覚えてくれていること。
そして、例え袂を分かつことがあったとしてもそういう事実を共に背負ってどこかで歩いてくれていること。
そういうことに救われるということは人生の中で確かにあるなと思っていて。
どんな結果になったことであったとしても、無意味じゃないんだと思えたと言うか。
わたしはなんというかそれがブッ刺さったんですよね。

だから、なんか共闘者はわたし自身が今見たいものを見れた感動みたいなものもあったなと思います。
同時にこれは(今回の場合は演劇を)続けている人こそが提示できる祈りだなとも思ったので、それも個人的には周年作品にふさわしいな〜とも思いながら見てました。

とかなんとか思って、1回目の観劇から帰ってパンフレットのインタビュー見たら本当に宗子さんが祈りというワードを早々に出してらしたのを拝見し、わたしは作品にかんするインタビュー内容と出来上がったものに齟齬がない作り手が大好きなので安直に𝓛𝓸𝓿𝓮...となりました。
これは、偏に作品のテーマとかに対する自認と客観と出力に対する力量とかがきちんと重ならないとこういうことは成し得ないと考えているので、それが出来るというのはめっちゃ高等で高度なことだと感じているからです。
そんな当たり前のことプロに言うのも失礼な話だろと言われそうですが、そういうのはみんながみんな出来る訳じゃないと思っているから、そこにも痺れました。

あと舞台ってなんか巻き戻し出来ないし、その回の中でリテイクも出来ないからか、メッセージ性がストレートなこと多い感じですか?そうとも限らんか。
でも共闘者の意味みたいなものを、個々のキャラクターが作中でちゃんと言語化してるのはとても良いなぁと思いました。
これは宗子さんの作家性もあるのかも知れないけど、あのストレートさは舞台であるが故というのもある気がした。
舞台は漫画や映画とかと違って、コマ割りとか、視線の誘導とかまでは出来ても完全なカメラワークのコントロールみたいなものは出来ない媒体だから、とかそういうのもあるのかななどと思いながら拝見してました。
あとは生身の身体に生身の声が乗るからこそ成立する表現でもある気はする。これは舞台というものの文脈なのかも。
こういう時に基礎的な素養みたいなものがないときちんと判断がつかなくて困るなーと思う。

あと優香ちゃんが上梓した本を読んだ京子ちゃんが一人のために書くなんて……みたいなくだりが出てきますが、それって結構創作の根源であるような気がして、それも良かったです。

その対象の一人が自分の人もいるだろうし、身近な或いは触れられないミューズのための人も、もう二度と会えない人もいると思いますが、結局ものを作ることの根源って私的な話に帰結するじゃん。そっから受け取り手側が勝手にプライベートなもんだと推察したり、社会問題と結び付けたりするもんだよなーと思っている節があるので。受け取る側の自由だと言う宗子さんの言葉に救われる。
あと結局私的な話が一番面白いと思っちゃう節があるんだよなわたしは。
なんだかんだディテールの厚みが出てくるし、こっちはあるあるネタ聞きに行ってる訳じゃないしなと思うので。
嘘であれ真であれ根差したある程度リアリティの息吹を感じる位が良いと思ってしまいがち。


演者さんの話の前に衣装の話

あと長くなるから先に衣装の話するけど、共闘者の衣装すごく良かったです。可愛かった……。
統一されたライトパープルのカラーリングをベースに、ギンガムチェックのワンピースに同じカラーリングのスニーカー。それに各々違うデザインのタイとブラウス。
村上さんのお衣装が一番シンプルで、みんなそれぞれベースは保ちながらも個性もある。
Aマッソのふたりの裾の丈感が揃ってる感じとか(多分身長の要素もあるけど)、妊婦になるふたりのデザインがデザイン違いの三段プリーツのティアードスタイルだとか(短さんはウエスト切り替え、加納さんはトップスペプラムからの)、短さんの背丈を活かした長めの丈感とか、宗子さんはバルーンスカートの解釈一致具合とか優香ちゃんと京子ちゃんの服のベースが一緒とか。
かたやシューズはニューバランス、かたやコンバースのハイカットとローカットとかのスニーカーの違いとかで統一されつつ個性があるお衣装はとても見応えがあって眼福でした。とかとかうるせえな。

あと個人的には地味に太郎物語の加納さん役を一瞬やられた方(あゆたろさんの方かな?)がグレーのワンピース着てたところも好きだったな。元衣装の華やかさは残しつつばっちり影武者の色で。

パンフレットにも写真が沢山載っていてHAPPY✌でした。
パンフレットで装苑のお話してたけどあれはもうほぼ装苑だったよ……。
パンフレット、デザインから内容まで大変豪華で良かったです。

個人的には風穴の安藤さんが15年前の加納さんについて語る部分の語り口が真面目で何度か読み返してしまった。何となくお人柄が想起される文体。

事後通販しているそうなので気になる方は是非。


演者さんの話

各演者さんのお話。まず宗子さん。
舞台の上の優香ちゃんと、彼女を演じる宗子さんはとてもはまっすぐで、切実さがない表現ならやる意味がないを体現していたなと思う。

京子ちゃんが大丈夫って分かるまで私は自分の人生を生きられないの!と繰り返す優香ちゃんの姿、良かった。
パンフレットでしつこいって言われるって言ってたけどあそこまだ繰り返すからこそ伝わる良さもある。

というか、わたしは前田敦子さんのヒロイン力に度肝を抜かれたことをここに述べておきたい。
御本人を生で拝見するのは勿論初めてで、わたし自身が人生の中でそこまでアイドルとかにも触れてこない人生だったのですが
宗子さんとがっちり握手を交わし、定位置について話し出した瞬間から目も耳もぱっと奪われてしまって、その強い求心力にたまげ通しでした。
培った経験とかも勿論あるんだろうけど、あまりにヒロインの素養がある人過ぎて本当にびっくりした……。
おもい過去を背負いながら気丈に振る舞う京子ちゃんからずっと目が離せなかったです。すごかった。

あと個人的にはスポットライトが当たっている瞬間のぱっと目を引く明るさと、翳りが顔に落ちた時の暗く沈む顔面の凹凸の対比がとても良かったです。
伝わらないと思うんですけど、これは映画空中庭園の終盤に主人公の小泉今日子さんが誕生日ケーキに刺さる蝋燭に照らされた顔をぐるぐるとしたカメラワークで様々な角度から映し出された面立ちに凹凸を感じた時のあの生々しさと同じやつで個人的に好きなだけのやつです。
これは美しく整った女の造形の表面に不意に落ちる影に、人間としての妙なリアルさを感じる時にだけ得る個人的なフェティシズムの話。

前楽一緒に観に行った友達がかつてのAKBに詳しい子だったので、あの演出は西武ドーム三日目……とかこのカットには大声ダイヤモンドを感じる……とかの話が聞けたのも面白かったです。オタク特有の考察。

真理恵を演じる短さんのすらっとしたスタイルと相反して際立つ存在感もとても素敵だったな。
わたしがほぼドラマや映画を見ない人間なので、演技されてる姿を拝見したのは初めてだったんですが(キャスト発表された時点でお写真とツイラーは検索して拝見していた)
お写真とかで事前に拝見してたイメージとは違ってなんか宗子さんと長くやられているというのも納得感があった。根本作品との波長が合っているんだろうなぁと思いました。
なんか宗子さんとANNとかもやってた!?っぽい?ほんとに旧知の仲だ。

小道具や転換を担当する太郎物語のおふたりも可愛らしかった。
若かりし日の瑞希と今の瑞希が背中合わせになるシーンとか要らんやつ外に連れ出すシーンとか、転換のために小道具運びながら京子ちゃんに何かを渡したりみたいなシーンとか、メインキャラクターではないけれど思い起こせるシーンが沢山あってどれも良かったです。


Aマッソの話

そしてAマッソのふたり。
舞台の上で、そして久々に生で観るおふたりはなんかきらきらしてて、あー久し振りに見たのがこの舞台で良かったなぁと心の底からしみじみと思えました。

ふたりが他のメンバー含めて同級生という設定で、作中では彼らが歳を重ねていく様を見ることになるんですが、特に学生時代のエピソードの辺りとかは、わたしがふたりのトークライブ のコメントで鮮烈に覚えてるコメントがあるんですが、


 授業中2人でしゃべってたらあんなに怒られたのに、18年経ったらそれがライブになりました。

お笑いナタリー

なんかこれの追体験している気分にもなれたんですよね。それも良かった。


村上さんがやっていた吉田、愚かだけれど誰よりも愛らしかったな。
恋に溺れて付き合う男で変貌しては身持ちを崩す吉田、そして何より事情と合意はあるにせよ下の名前ではなく苗字で呼ばれてしまう吉田、あまりに吉田過ぎる。
吉田が浴衣で踊るだけの時間〜♪ とかラストシーンの気配を察して満足してるから自らハケる村上さんとか、なんかわたしが昔ライブに通いまくって見ていたfunny&cuteな村上さんそのものかつ、コロコロと表情を変える姿にコメディエンヌとしての才能爆発してない!?ってストレートに思えたのも良かったです。
標準語を喋ろうとしても訛ってしまう吉田、とても吉田だったし同時に村上さんだったな。

加納さんは、村上さんもそうだけど宗子さんが拾い上げた加納さんの持つ要素のピースみたいなものが瑞希というキャラクターにふんだんに散りばめられていて、引き込まれました。
仲間内にツッコんだり声を張ってる姿とかちょっと癇癪起こしがちなところとか(あれはある種の性格のうらがえしなのだろうけど)もそうですが、
優香ちゃんの気持ちを慮って、でも自分では足りないことを自覚しながら傍らに立ち続ける役を加納さんがやるんだ……というのがね……こう、ぐっとくるものがありましたね。
宗子さんの当て書き力(ぢから)にもビビる。あまり舐めるなよ根本宗子を。

パンフレットで宗子さんが「自分以上に愛情ある人だ」とおっしゃってましたが、加納さんの持つある面のやさしさを投影しているように思えて良かったです。

そしてなんかもう加納さんについては、本当になんかもうご立派になられて……という謎の目線の感動も投影しながら見てもいたなと思います。

好きだと公言していた前田敦子さんとこういう形で共演してるのも成し得たな~と思ったし、作中で引用される詩も良かった。ちゃんと宗子さんの作品の中に親和性を持ってたけど、際立ったものとして息づいていたし。

作中で松たか子さんの名前が出る度に、過去に加納さんが話していた話を思い出してはもう邂逅したのだろうかとかそっちに意識を持っていかれるタイミングがちょこちょこありましたけれども。

今回の舞台を見て、わたしはおふたりの姿を見たのも久し振りだったので、ストーリーを追いつつも自分がAマッソのオタクだった時代のことを思い出すなどもしました。

追っていた当時、わたしは本当にただただめちゃくちゃファンで、マジで毎現場にツラを見せるタイプのオタクだったんですが
Aマッソのふたりは、当時はまだ新宿とか中野とか或いは中央線沿線のあの辺りのライブに出まくっていた時期だったので、作中でザムザの名前が出てふふっとなったり(ザムザではAマッソは見た記憶ないけど)。

わたしがふたりのファンとしてちゃんと活動を追っていたのってたった2-3年そこらとかだったけど
きっと、今後誰かのファンとなり誰かを応援したとしても、あれ以上のことはもう起こり得ないんだろうなと思うようなことが本当に沢山たくさんあった時間だったなと今思い返しても感じます。
(まあヤバいオタクは高確率でこういう根拠もないことを思い、驕り高ぶる生き物だということは自分でもわかっています。でも野暮なので今は堪えて飲み込んでください)

一度他界した身なのでもうふたりのファンとして昔のように現場に戻ることはないし、天変地異でも起こらない限りこのまったり茶の間として様子を伺っては心ばかり応援していくみたいなスタイルは変わらないんですけど
結局ふたりを好きだったこととかは自分の中で消えることなくて
たとえば好きだと教えてくれた花とか動物を用いたなにかを見れば絶対にその顔を思い出すとか、青い宇宙のモチーフにかつての衣装の柄を想起してしまうとかみたいな、ふとした瞬間にふいに思い出すみたいなやつはわたしの生涯の中でこれからも続いていくんだろうなと思います。気持ち悪いね。

先述した、「誰かが自分のしたことを知ってくれていること。それを忘れず覚えてくれていること。
そして、例え袂を分かつことがあったとしてもそういう事実を共に背負ってどこかで歩いてくれていること。」ではないですが、
何がしかの時間を共有した他人同士が仮に袂を分かつことがあったとしても、共有した時間を忘れずに歩き続けてさえいければ、道は違えどちゃんとあったことを大事にしがみながらその思い出と共に生きていけるみたいなことも人生ではあると思っていいのかなぁなどとあのオチを見ながら考えていました。

そういう意味ではわたしの人生の中で、大好きなふたりはずっと共闘してくれているし、これからもそうあり続けるのだろうなと勝手に思っています。

わたしにとってはなんかそういう、ふたりのファンだとちゃんと名乗れていた時の自分を重ね合わせて思い出したりするような舞台でもありました。
宗子さんの舞台できらきらのびのび演技をするふたりの姿がなおのことそう思わせてくれたと思う。
なので見られてよかったな〜〜と本当に、心底思っています。

こんな解釈はこっちの都合ゴリゴリなご都合主義過ぎる話だけど、宗子さんもお客さんが受け取ったものがすべてって言ってたし……。多分宗子さんがおっしゃってるのはこういうことじゃないけど……。

そんなこんなで前楽の帰りは当時のオタクと回転寿司で中トロ食べて帰りました。出待ちはしてないし、さよりもシャコも食べれなかったけど。


最後に

今回の共闘者、宗子さんの過去の作品からの引用もあったと聞くので(宗子さんもメドレーとおっしゃっていたし)、余す所なく楽しむにはやっぱりある程度時間経過を伴いながら対象を見ることは必要だなぁと思いました。

勿論作品は面白かったし良かったんですけど、知ってたらもっと楽しめただろうになという歯痒さです。

これはまあAマッソにも言えることで、結局見たいものは見れる限りリアルタイムで見れるだけ見るのが最適解なんですよね。
これはもうオタクとしてはそういうもんだとしか言えない。今回みたいなメドレーを髄まで楽しめるのは、それを順当に経た人へのボーナスみたいなものだから。

しかしパンフレット以外に台本も欲しい限りです。そちらは難しいのかしら。
台本にしかないという各シーンのタイトルが知りたい。


日が経った割には推敲する気もない文章だなと読み返しても思います。まあ日記だからこんなもんです。

おしまい。

いいなと思ったら応援しよう!