国際人の定義
還暦を過ぎて久しいが、私が今よりもっと若い頃「英語を身につけて国際人に」などという広告をよく見かけた。
今やあまり見られなくなった気がするのだが、それはかつてより英語話者が増えたことや、ネットの普及により世界が狭くなったから今さら国際人などというラベルを貼らなくてもよくなったのだろう。
ほんの少しアイロニカルなことを言えば、歌の歌詞で頻繁に見かける「あなたはあなたのままで十分」とか「人それぞれ個性があっていい」といった大変ポジティブな考えが蔓延してるので、国際人であろうとなかろうとあなたはそのままでいいというのもあるかもしれない。そしてそれは事実でもある。
世界共通語として燦然と輝くのは英語だが、英語を母国語としている国はそう多くない。いわんや母国語が英語の国はもっと少ないと思う。一番多いのはスペイン語か、もしくは国土の広さからロシア語か中国語ではなかろうか。ただし第二公用語とか「通じる、通じやすい」という意味ではやはり英語がトップだろう。
酒の注文とトイレの場所を聞くのとタクシーに「一時間後にここにまた迎えに来て欲しい」程度の英語力でこの半世紀以上を乗り切ってきたが、英語圏以外ではからきしダメで、かつては6ヶ国辞典を持って飛行機に乗ったものだ。今はリアルタイムで翻訳し話してくれるスマホがあるので、今なら緊張もせずに飛行機に乗れるかもしれない。
そう考えるとかつてのキャッチコピー「英語を身につけて国際人に」は、逆に言えば「英語が身につけば国際人」ということになる。しかし上記の通りスマホでなんとかなってしまう現代は、極論を言えば英語を身につけなくてもなんとかなるかもしれないし、だとすると国際人には永遠になれないということになってしまう。
もちろんこんなのは言葉遊びのレトリックで、多分誰もが「英語を身につける=国際人」などと思ってなかっただろう。しかし第一歩と思えば、話せないのはアウトと考えたのだと思う。
「国際人」という定義はなかなかむずかしい。国際人になりたいかどうかは別として、何がどうなればそう呼ばれるのか。
ネットの辞典を見ると「国際的に活躍している人。 世界的に有名な人。 また、世界に通用する人」とある。
上智大教授の意見は「外国の様々な考え方など異質な物に対して寛容な心を持つ人」とある。これは法務省の語学アドバイザリの方にも似たような意見を見つけた。
共通して言えるのは誰も「外国語が話せる人」とは定義していない。法務省の語学アドバイザリの方に至っては「バイリンガルが国際人ではない」というような内容を書いている。この方はさらに「バイリンガルよりバイカルチャルであること」と書いている。
カルチャー、つまりは文化だ。ここではバイリンガルにかけて「バイ」と「2つ」となっているが、本質的には「マルチ」だろう。マルチカルチャリズム。この感覚を持っている人が国際人ではないかということだ。
「ハワイのキングスベイカリーのパンが美味くてね」とか「マドリードのボティンに行ったら豚の丸焼きは食いなよ」とか事情通の人は昔からいたものだ。こんな些細なことだけでなく「イスラムの人に挨拶する時は右手を胸に当てて」とか「ラマダンの頃に彼の地に行ったらあんまり人前で飲食しない方がいいよ」とかそんなことを教えてくれる人もいた。こうなると些細な事ながら大切なことを教わった気になった。
行く先々や日本国内ででも出会った外国人と話すとき「うちの国ではこうだが日本ではどうだい?」と質問されることがあった。例えばドイツ辺りの教会に行くと、婆さんが頭にハンカチを乗せていたりする。私の怪しい認識としては、例えば教会に行くときさすがに短パンなどでは行かないように、帽子を被らず教会に行くのは無意識に戸惑いを感じるようだ。頭や肌を露出するのが失礼と考える。そこで気持ちとしてハンカチを頭に置くのだと思う。対して日本人が神社や寺に行く時にそんなことはしない。こういったことがマルチカルチャーだ。こういった文化の相違をどれだけ汲めるかが国際人ということでもあると思う。
先に書いたような海外の事情通の人は、逆に日本の文化を往々に知らない。
正しい神社のお参りの仕方は?
正しい懐紙の折り方は?
例えばこんなようなことを外国人に聞かれて「日本はそんなにうるさくないから大丈夫だよ」と言っている人を見かけて首をかしげたことがあった。
今時こういった作法はネットでもすぐ検索できるので調べようと思えばすぐ調べられるが、こういったことは「検索したいことが分からないと検索できない」わけで、「神社に正しいお参りの仕方があるかないか」を疑問にも思わなければ検索することもなく、永遠に自国の文化を身につけることはない。
あるいはTVや映画などで間違ったのを覚えることもある。
ドラマで見かける間違いの一つに「三つ指」がある。娘が嫁に行く時に父母に「三つ指をついて」挨拶するというあれだ。今時そんなシーンもなかなかないが私が子供の頃にはそこそこ見かけたシーンだった。
この時「人差し指、中指、薬指」を伸ばし、畳に指を添え頭を下げた。
私も礼法をきちんと習った訳ではないので不確かだが、確か三つ指は小笠原流の座礼で、指は「親指、人差し指、中指」だ。そして作法として薬指と小指は内側に折りたたむ。従って和食屋などで店の女将が部屋の入り口で膝をついて指を添え「お越しやす」というあれは三つ指をついたとは言わない。三つ指はもっと正式な儀礼だ。少なくとも私はTVドラマなどで正しく三つ指をついたシーンを見たことがない。
ドラマで「娘が三つ指をついて挨拶してきて」と言うからおかしいわけで、「三つ指」と言わなければおかしくはないのだが、嫁入りの場面での挨拶は正式な儀礼と考えればやはりそこは三つ指のわけで、そうなると伸ばす指が違うということになる。
それこそ今時はネットで何でも出てくると思うので興味のある方は礼法の小笠原流を検索してみるといい。大きく分けて座礼と立礼があって、それぞれさらに細かい礼法がある。
先の事情通が言った「日本はそんなにうるさくないから大丈夫」ではなく、「日本は外国人にそんなことをうるさく強いることがないから大丈夫」なだけであって、実際の日本はかなり細かいしきたりや作法があると思う。
このしきたりが生まれたのは、多分だが先の記事に書いた「集団」で生活する上での他者との応対で衝突を避けるという現実的な意味と、日本人の美意識から生まれたものだと思う。
小笠原流で思い出したが、弓道にも小笠原流というのがある。小笠原流の弦の引き方は、弓を「上から下に下げ」ながら引く。まっすぐ腕を伸ばして弦を引くより力が入るからだ。日置(これはへきと読む)流という流派もある。日置流は弓を「下から上に上げ」なら弦を引く。よくTVなどで見かける射方は小笠原流で、弓を上から下ろす作法が美しく見えるからだろう。日置流が美しくないというのではない。双方なぜそういう射方になったかと言えば、小笠原流は「馬上弓」と言って馬に乗ったまま弓を射るためだ。多分みんなが知っている「流鏑馬」のようなことだ。自分の下に馬がいるわけで弓を引くのに日置流のように下から弓を上げることはできない。対して日置流は歩射だ。歩きながら弓を引くため腕を上に上げるのは力がいるし敵に見つかりやすい。このようにそれぞれ「そうなった理由」はきちんとある。
参拝の礼法の二礼二拍手一礼などは調べればすぐ分かることだ。もっともこれはここ150年くらいで広まったもののようで神社本庁の見解としては「お参りする気持ちが一番大事」と言って二礼二拍手一礼をしなければならないとは言っていない。
懐紙はそれなり色んなところで見かける。和菓子を頼めば下に敷かれるし(世代が違えば見ないかなあ)、天ぷらだって懐紙は敷かれてくる(今時は油切りの網が多いかなあ)。
大抵懐紙は「斜めに折られて」使われる。この折り方にも正しい折り方がある。
右下を上に持ってきて折る、つまり「左側に重なった紙が上になって山ができる」折り方と、左下を上に持ってきて折る「右側に重なった紙が上になって山ができる」折り方の二種類だ。「ハレとケ」で言えば「ハレ」は「左上に山ができる」折り方だ。「ケ」の時に「右上に山」を作る。結婚式などで懐紙が敷かれた天ぷらが出る場合絶対に左上位になる。対して葬式などは右上位になる。普通に食事に行ったときに右上位の懐紙で出されたら「葬式じゃない」と怒っていい。
まともな和食屋なら必ずこういった折りの作法を守る。もし違っていたら店の見識が疑われかねない。
これももちろん理由がある。
かんたんに言えば、日本や古代中国は「左の方が偉い」ということだ。
昔日本でも左大臣や右大臣という役職があったが左大臣の方が位は上だ。「あいつは俺の右腕なんだ」という言い方は、それは「対面した人から見れば右腕は左側」だからというのもある。
左が偉いという理由もきちんとあって、古代中国ではどんな季節でも北の空から絶対に位置が変わらない「北極星」を帝の星と呼んだ。永遠の象徴だ。この御代が変わらず永遠に続くようにと願いが込められた。そして北を背にして自分の頭上に北極星が来るように座る。「天子南面す」という言葉はここから来ている。南を向きたくて向いたのではなく北極星を頭上に置いたら自動的にそうなっただけだ。そして天体の中で世界中から「神」と呼ばれる「太陽」は東から上るわけで、南を向いた帝から見れば「左側」から太陽は上る。これが左が偉い理由だ。関西などの舞台で「下手」と呼ばれるのは見る人には左側になるが、演者には右側になるので下手と呼ぶ。
雛人形の飾り方で関西と関東は違う。
関西は向かって右にお内裏様を置き、関東は右にお雛様を置く。
つまり本人たちから見れば関西は「偉い」左にお内裏様を置くことになる。
雛人形は平安の頃公家の間で始まった物なので、男社会だった時代を考えれば然もありなんという感じだ。
対して関東が逆なのは、多分だが徳川が関東にやってきて一族結束の意味で子孫を増やす為に子を産む女性を崇めたのではなかろうかと思う。家康は妻二人に側室が二十人以上いたと言うしね。それに内裏様とは端的に言えば天皇のことなので、お膝元の都で妻が帝より偉い所に座るわけにもいかないだろうし、逆に徳川にしてみれば「天下人」とは自分たちのことなので内裏様より子孫を増やしてくれるお雛様の方を大事にしたとしても不思議ではない。
聡い方なら「令和に天皇が即位した時、天皇は右で皇后が左だったではないか」と気づかれるだろう。
欧米のプロトコルでは日本のように左上位ではなく男性が右に立つ。これは万が一の時女性を守るため剣を抜きやすい右手側を開けておくのが始まりだったと何かで読んだ覚えがある。日本も国際国家として明治以降この欧米のプロトコルに習いこの並びになった。即位の礼としては昭和天皇より採用されたそうだ。
このように男女の並び一つ取っても国によって違うものだ。
最近知ったことで「日本人の美意識凄い」と思ったことがある。
茶道に使う茶碗で「楽茶碗」というのがある。検索して見ればすぐ分かるが、口を当てる部分がでこぼこしている。
つまりは飲みやすくするために縁の一部をへこませたので他の所が上がっている。この「山」の部分が基本的に五つなのだそうだ。これを五山と言う。茶の湯文化は武野紹鴎や千利休辺りからこっち京都で成されてきた文化だ。京都は盆地で山に囲まれている。この山が五つからだと聞いた。茶を飲む容器に京都の風景が盛り込まれているわけだ。この言外のディープランゲージには本当に驚いた。
こういう言い方も失礼だが、たかがお茶を飲むという行為を何百年も日本人は研いて、作法を修行の「道」にまでしたわけだ。だから付け焼き刃にもなっていない私が思うのはこういった言外のコミュニケーションが茶道は多い。お湯の沸く音を「松風」と言ったりなど、お湯の沸く音にすら景色を見せる。
先の記事にも書いたとおり「一つのことを徹底的に磨き上げてレベチにする」が日本人の特質だと思うが、本質的には生活の端々にまで美意識が広がっている。そしてこれが二度目の東京オリンピック以来世界中に知られた「おもてなし」だ。客にお茶を出すにしても素っ気ない容器ではなく、彩色や金泥が施された物や景色が盛り込まれた物で客をもてなす。そして良寛の五合庵などもまた然り。飾らない空間が居心地の良さを生むこともある。どちらももてなす側の心映えだ。その気持ちを客が不愉快と思うとは思えない。
なおこの五山についてはたくさんの異論があるようなので、私が書いたことはその一つという程度で読んでいただきたい。
だらだら書いた割には内容が薄いが、こういった決まりごとは日本は多い。ただ今やあまり多くの人が気に掛けないだけだ。そしてしきたりのみならず作法として見かける物も日本は多い。
日本では家に上がるときに靴を脱ぐしきたりがあるが、膝をつきそれをきちんと手で揃えるのは作法だ。それこそこれまで何度も書いてきた「テリちゃんねる」のテリさん姉妹も、靴を脱いだらきちんと揃えている。かつて親になった人は子供に「脱いだ靴は揃えなさい」と教えた。それが躾だった。躾は文字通り「身が美しい」行為だ。美しい所作の人を見下したり蔑ろにする人はいない。子供が社会に出た時に馬鹿にされないように、親はそういったことを子供に身につけさせた。
私の父親は大正生まれだ。だからかこういった所作については大変厳しかった。私がまだまともに箸を持てない頃も、箸遣いが悪いと父親は黙って自分の箸を逆に持って私の手を叩いた。「こう持ちなさい」と教えることもなく「ちゃんと箸を持ちなさい」と言うだけだった。結果私は父母や兄の箸の持ち方を見て覚えたのだと思う。為に随分と大人になった今まで箸遣いで眉を顰められたことは一度もない。利休箸のような先の細い箸なら胡麻も摘める。
「お客さんが来たときはちゃんと両手をついて挨拶しなさい」も口うるさく言われた。田舎の家なので玄関から奥に向かって廊下があったが、その玄関先や居間の脇で、お客に挨拶をする時は膝と両手をついて挨拶させられた。
私の時代でさえこれは前時代的だと思ったが、親が亡くなった時家で葬式をやったが、その時にこの躾は絶大な効果を発揮した。何ら逡巡することなく、親戚や弔問客に兄と二人できちんと膝と手をついて挨拶することが出来た。最後のこの場面で、親の言いつけに間違いはなかったと心の中で思った。
ついぞ私自身が誰かの親になることはなかったが、今の世の中でこれらを子供に教えることができただろうかと思ったりもする。そもそも家に廊下がない家もたくさんあるわけで、今の生活には合わないものもたくさんあるだろうが、それでも身を美しく見せる躾は子供に与えたいと思った。今の日本では実情に合わなく行われることがないものだとしても「知っている」というのは大事なことだと思う。そして上記の通りそれらが生まれたのにはきちんと理由があって、実行できるかどうかはともかく、そういったしきたりや作法という日本の文化の存在だけは教えてあげたい、と思っていたがもうこの歳になったからには伝える子を持つこともないだろう。
「国際人」と呼ばれた人で白洲正子という人がいる。数年前になぜかちょっとあちこちで名前を見かけた白洲次郎の妻だ。
次郎も正子も明治の終わりの人だが、実家がものすごい金持ちだったのでどちらもそれぞれ若い頃に次郎はイギリスに、正子はアメリカに留学した。どちらも日本語より英語の方が楽だと言う二人だ。
正子は後に物書きになり、何冊かの本を出しているが、その中に書かれた正子の思う国際人の定義は「自国の文化を深く知っている人」と書かれてあった。思うにこの自国の文化の中にはしきたりや作法も含まれるはずだ。やはりこれに尽きると思う。
スマホであらゆる言語が話せるようになった今は特に、話す内容や身を美しく見せる所作を持っていればどこの人と出会っても蔑まれることはないと思う。
その上でその内容を自分の言葉で伝えられれば最高だろう。
ことほど左様にテクノロジーの進化は壁を壊す意味では素晴らしい。何万キロ離れた所からでもすぐに必要な所に連絡が取れる。今子供を海外留学に送り出している親たちは、私の時代の海外留学と比べればさぞかし安心できると思う。
ただこうも思う。
かつて付き合っていた女性とイタリアからイギリスまで旅をしたことがあった。もちろんスマホも無ければインターネットもない時代だ。その当時だってローマでもパリでも日本人はいたと思うが互いの目しか見ない歳だったので、馴染みのない母音の群れが響く石畳の街角に立つと「この世界に自分を知っているのはお互いだけしかいない」と思えた。
世界でたった二人だけのあの感じ。それはとても良かった。
なんだかずいぶん知ったようなことを書いてきたが、内容は私の思い込み、不確かな内容もあると思うので、そのまま信じることなどせず、気になったことはご自分で調べていただきたい。
今ふうに言うなら決して「ドヤ」なつもりで書いたのではありませんよ。
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