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【経セミ・読者コメント vol.10】 山田渉生さま 2024年8・9月号 特集「エビデンスは社会を良くできるのか?」
■ はじめに(編集部より)
経済セミナー編集部です。
今回は、『経済セミナー』2024年8・9月号(特集:「エビデンスは社会を良くできるのか?」)に対して読者の皆様からお寄せいただいたコメントをご紹介します!
毎号、いただいたコメントの中から3~4つほどを選定し『経済セミナー』本誌や経セミnoteでご紹介させていただいております。
※頂戴したコメントは本誌やnoteで公開していないものも含めすべて拝見しております。コメントは今後の企画・制作の参考とさせていただいております。
もちろん、ご執筆者のご了解をいただいたうえで、掲載内容をご相談して進めています(記名でも匿名でもOKとさせていただいております)。
今回は山田渉生さま(東京大学公共政策大学院修士課程1年)によるコメントをご紹介します!
【以下、コメントです👇】
■ 山田渉生さまによるコメント
■ エビデンス市場の活性化に向けて
特集寄稿:「エビデンス業界の市場分析」(伊芸研吾先生)へのコメント
エビデンスを財として考えるアプローチは個人的には驚きであり、EBPM(Evidence-Based Policy Making)の是非を経済学の枠組みで解釈する新たな見方を得ることができました。
本論考ではおおむね、データを集め、政策の効果を測ったり、社会の現状を把握したりする単一の流れから生産される1つの財として、エビデンスを扱っていたように思えました。しかし、「設備投資」を行えば、エビデンスはネットワーク性を帯び、過小供給の問題もいくらか解決されるのではないかと考えます。ここでの設備投資とは、データを結合する共通のキー、たとえば、個人に紐づいたキー、企業の取引等に紐づいたキーを政府側で整備することを指します。
このようなキーとなるデータの整備により、同じデータでもそこから得られる情報は多くなると考えられます。たとえば、中学校の金融教育に関する施策でアウトカムを勉強の成績として、マイナンバーに紐付けた形で記録したとします。この結果、仮説が棄却されず、仮説が正しくなさそうだという、それほど有用性は高くない情報が得られたとします。すなわち、この情報による社会厚生の増分はごく小さいという結果になってしまいました。しかし、その数年後、大学生の金融リテラシーに関する施策でマイナンバーを取得し、その効果の異質性について要因を分析すると、どうやら過去に中学校で金融教育を受けていた人はより大きな効果があるとわかりました。このように、その情報単体では有用でなかった場合にも別のデータと共に用いられることで、有用な情報となることがありうるのです。
また同時に、都度収集していたデータのうちのいくらかを既存のデータに置き換えることで、エビデンス生産のコストを低下させることができるという面からもエビデンスの供給を増やすことができる可能性もあります。ただし一方で、民間企業とデータを共有する場合、企業がデータを利用して、第一種価格差別に近いようなことを行い、消費者厚生が損なわれないようにするなどの規制は必要となるでしょう。
エビデンス間のネットワーク効果があるとして、本当に多くのエビデンスが公共部門や民間企業から提供されうるのかについては疑問が残りますが、8・9月号の「プラットフォームの経済学」内で扱われていたコールドスタートの問題も政府部門が率先して、エビデンスを供給することによって解決されるかもしれません 。
■ ハンカチーフとしての経済学
「経済学キャリア・インタビュー」(有本寛さん)へのコメント
私自身、修士卒の予定で就職活動をしており、非常に興味深く読ませていただきました。中途半端な専門性しか持たない自分が、同じく修士卒で就職予定の後輩に提案したいのは、ハンカチーフとしての経済学という態度です。
私自身の就職活動もまだ前半戦ですが、それでもわかったことがいくらかあります。ビジネスの舞台で自分が学部、修士課程で築いた専門性を直接かつコアな価値として用いるには、少なくとも2つの壁があります。「席数」と「ライバルの強さ」です。
まず、そういった仕事の席数は非常に限られているように思われます。因果推論をとれば、もちろん施策の効果を測定し、次に活かすことは重要でありますが、たとえば事業再生の場においてはそんなことを言っていられません。もちろん、サイバーエージェントをはじめとして分析を重視する会社はいくつもありますが、全体の仕事の席数からすると当然ながら非常に少ないという印象を受けます。あるいは分析等の業務を含む仕事というのはそれなりに多いとは思いますが、それがコアの業務でないことがほとんどであり、「専門性を活かすぞ〜」と意気込んだ学生にとってはあまり魅力的でないかもしれません。
また、席数の少なさと相まって、ライバルの強さが問題となります。ここでのライバルとは経済学の博士号を有する大学教員および会社員と、いわゆる理系の大学院生です。
たとえば、最近の学知の活用例ですと、染谷先生、川口先生、藤井先生による動学ゲームの推定によるサッカーの戦略の定量評価が行われています[1]。仮に私が同じ土俵に立ったとして、彼らに専門性・スキルでの競争という点で勝てるとはあまり思いません。専門的知識が強く必要とされるほど複雑な問題に関しては、少なくとも現時点においてまったく勝負にならないと私は考えています。
[1] 染谷先生、川口先生、藤井先生による取り組みはこちらを参照。
加えて、特に最近「アツい」とされているデータ分析職の競争においては必ずしも経済系の人間が強いわけではないかもしれません。もちろん、計量経済学を学ぶことがデータ分析に生きることは事実だと思いますが、経済系で扱われているデータのほとんどが表データであり、他方必ずしもビジネス側で要求されるのは表データではない、もっと言えば因果推論でないことが多いことを考えると少々厳しい状況にあるかもしれません。競争相手は画像認識や自然言語処理もやっていたり、kaggleをやりこんでいたりします。少なくとも半端者の私は正面から技術力で戦えば負けることでしょう。時に数理系の職のイベントに参加すると、そのほとんどが数学科や物理学科、情報学科などインテンシブに数学を使う人々です。
これらの現状をふまえて、私が提案したいのはハンカチーフとしての経済学という態度です。その心は私自身を表すファッションの一要素でありながら、大きく主張することはなく、しかし私自身のエレガントさを演出する、そして誰かが涙を流していたらそっと差し出すものだということです。たとえば、会社で為替や金利の動向を知る必要が出てきたとしましょう。仮に何の知識もなければ、リサーチ会社がこう言っているからという形で議論を進めるかもしれません。しかし、経済学をやっていれば、自分の中に考えるための土台があるかもしれません。事業再生の例で言えば、どのように組織を再編したらよいかという問題は経験によるところが大きいものの、組織の経済学の知見が生きるところがあるかもしれません。たとえば、人事部として個々人の特性やポジションごとの業務を理解したうえで、マッチングシステムを導入することでよりよい人事活動につなげることができるかもしれません。何よりまず、一人前の職業人であり、そして必要となったときには専門知識を発揮し、他の人には生み出せない価値を生むというのも1つの現実的な選択肢であると私は思います。
2024年10・11月号(特集「日本の金融政策を振り返る」)はこちらから!
また、2024年12月・2025年1月号は11/27(水)発売です!
お見逃しなく!
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