書評:長田華子・金井郁・古沢希代子編著『フェミニスト経済学』(経セミ2024年2・3月号より)
評者:牧野百恵
アジア経済研究所開発研究センター主任研究員
フェミニスト経済学による批判と主流派の応戦
フェミニスト経済学(Feminist Economics)は、JEL分類コード [注] ではマルクス経済学などと同様に異端派に分類される。ちなみに、2023年ノーベル経済学賞を受賞したゴールディンをはじめ、主流派経済学のなかでジェンダーにまつわる諸問題を扱う場合は、大きくは労働・人口経済学のなかのジェンダーの経済学に分類される。
フェミニスト経済学は、およそ50年前に、新古典派経済学を批判するかたちで誕生した。本書はフェミニスト経済学初の日本語テキストなので、随所で「フェミニスト経済学は…」に主流派への強い批判が続く。ただ批判を現在のこととして文字通り読んでしまうと、すでに主流派が解決したのではないかと思われる点も多い。そこで経済学史として読めば、主流派がそれらの批判に応える形でいかに現在まで発展してきたかを垣間見ることができるだろう。
行動経済学の発展はわかりやすい例である。フェミニスト経済学は新古典派の合理的経済人を批判する。合理的経済人の仮定を緩めた行動経済学のその後の発展は、ノーベル経済学賞受賞者も輩出するなど主流派の一分野として堂々たるものだ。
フェミニスト経済学は、世帯を単一の意思決定主体と捉えるユニタリーモデルを批判する。家族の経済学では、35年前にキアポリがコレクティブモデルを提唱し [1]、ユニタリーモデルへの批判を乗り越えただけでなく、その後両モデルを検証した実証研究や、コレクティブモデルのパレート最適の仮定を緩めた非協力モデル [2] も生まれた。
フェミニスト経済学は労働と余暇の二分法も批判する。ベッカーが時間の概念を入れた家庭内生産モデルを提唱したのは50年以上前だが [3]、ベッカーと同じような問題意識があったのかもしれない。本書は家庭内生産モデルには触れていないのでわからないが、相互作用がもしあったのなら経済学史として大変価値のあることだろう。
実証面では、たとえば「男女間賃金格差と職場の権力構造の問題は把握されない」(p.100)と量的調査の限界を指摘する。これは主流派の実証経済学への批判ともいえよう。現在の主流派では、すでにセクハラが多い職場ほど男女間賃金格差が開くこと [4]、男性の校長や教育長が交渉相手である場合にのみ教員の男女賃金格差が開きやすい [5]など、量的な実証研究が出ている。結果として批判に応えたといえるのではないか。
批判に応えるのではなく、フェミニスト経済学の知見を活かした主流派の研究もある。なかでも、フェミニスト経済学のパイオニアとされるボーズラップが1970年に提唱した仮説 [6]にもとづいて実証に取り組んだアレシナたちのジェンダー格差の起源に関する研究 [7]は見事だ。フェミニスト経済学の着眼点には腑に落ちることが多く、アレシナたちもそれをぜひ実証したいと意欲を燃やして挑戦したのではないだろうか。
評者個人は、フェミニスト経済学者のカビールが提唱したエージェンシー論 [8] にとても共感している。バングラデシュ女性の労働参加に関する評者たちの実証研究 [9] は、エージェンシーがなければいくら人的資本が蓄積されても活用できないというカビールの主張に大きく影響を受けた。ほかに、フェミニスト経済学から影響を受けた主流派の研究にはどのようなものがあるのだろうか。本書を手に取った方々からぜひ伺ってみたい。
主な目次
*『経済セミナー』2024年2・3月号からの転載。
神林龍先生(武蔵大学)による書評はこちら!
こちらの記事では、今回紹介した『フェミニスト経済学──経済社会をジェンダーでとらえる』、ならびに評者の牧野百恵先生のご著書『ジェンダー格差──実証経済学は何を語るか』の2冊を取り上げています! 牧野先生による評とつながる部分もあり、こちらもあわせてお読みいただくと本の内容理解がさらに深まります。