山口・防府旅行記 ~眼鏡の始まりと終わりの地を巡る~ 2日目、宇部新川・山口・湯田温泉
いよいよ本番眼鏡旅行編です。
行程、目的などはこちらを。
初日は行程に示した通りおまけです。
先取りの、3日目はこちらを。
2日目
宇部新川ー山口大内・ザビエルめぐりー湯田温泉
2日目はいよいよ眼鏡旅の始まりです。
宇部新川、エヴァんげりおん聖地巡礼
山口県宇部新川は劇場版エヴァンゲリオンのラストの舞台となり、新たに聖地となった場所。特に眼鏡っ娘である真希波さんが大活躍した場所なので、真希波大好きの故人の眼鏡にその場所を見せてあげたいと思い、訪問。いやそれがなくてもせっかく山口まで来たので、それはなくてもいく予定であったのだけれどもね。そう遠くなかったしね。
なぜか予定より早く起きれてしまったので予定より1本早い電車で防府を出発。山陽本線で宇部市まで出て宇部線で宇部新川へ。新山口から直接宇部新川に向かってもよいのですがせっかくなので乗り鉄。所要時間はほぼ変わりなし。
というわけで、旅行気分を味わうため宇部駅へ。そこで宇部線に乗り換え。旅行のノスタルジーに浸れる電車が待ってます。
ちなみに朝早くいったのは、人が多くない土曜日の朝であれば写真撮ったりとかいろいろできそうだから、というのと、比較的電車の本数が多い朝であれば写真撮影すまして、程よい時間で新山口まで戻れるからです。宇部線自体単線で駅感覚の短い路線なのですが、「宇部新川の駅は単式・島式の複合型2面3線のホームを持つち、ほかに側線もあり、電車が留置されていることがある。下り側に向かって左側(単式ホームである1番のりばに面した位置)に木造の駅舎がある。(某所よりコピペ)」島式の3・4番のりばへは跨線橋で連絡している。といったそこそこでかい駅。
で、その宇部新川駅がこちら。
次の列車まで20分ちょいあるので早速駅内での聖地巡礼を開始。
「だーれだ?」「背と声が高い眼鏡のいい男」とかやると、今一人朝ここで何やってるんだ?感がすごく高まりやけくそ感なテンションが高まります。
せっかくなので一人で撮影してるテンションが微妙な方向へ極まって気田んぼで、怒られない範囲でのスピードで他に誰もいないタイミングで同じくかけ上がってみました。
あちしは一人で何やってるんだ感と、この日この時間他に誰も聖地巡礼してる人がいないこともあり、そんでもって、人がいないならできる限りのことを怒られない範囲でやってやろうじゃねぇか!とおもい、せっかくなので持ち込んだ明日供養してもらう故人の眼鏡を取り出し、聖地を見せてあげることにする。
あちしは早朝の駅さわやかな空の下、眼鏡に一人語り掛けながら何をやっているのだろうか?気が付いたら負けであるが、十分聖地巡礼は楽しんだ。来てよかった!きっと故人も、故人の眼鏡も満足であろう。よし、来たかいはあった。
さすがに眼鏡片手にカメラ回して階段かけ上がる様は不審すぎるのでできなかったが。
まじめな話をするならば、結構そのままなアングルで使われているので、宇部新川の駅は来るだけで楽しめますので、おすすめですよ。
山口大内・ザビエル、眼鏡の始まりの地へ
午後は山口に戻り大内の文化と、「なぜそこでザビエルが」ということを巡ってきた。
山口市で大内ゆかりの地を
前にも書いたので繰り返しになってしまうが、前段飛ばした人のためにも、もう一度説明。なぜ、山口が眼鏡の始まりと終わりの地なのか。
簡単に説明すると日本に眼鏡が伝来したのは、おそらくイエズス会の宣教師ザビエルが持ち込んだものが初めてとされています。そのザビエルが日本に布教の許可を求めて京都へ登りますが、天皇との面会はできず、さらには当時の京は荒廃し布教の許可も取れなかった。そこですでに将軍を擁して上洛し、山口で京都の影響を色濃く受け、有力な力を持っていた大内氏を頼り、そこで日本で初めてのキリスト教布教の許可を得ることになる。ザビエルは以来山口で日本初の教会を開くことを許可され、そこで布教を始めることになる。飛躍した言い方になるかもしれないけれども、その中の献上品の中に眼鏡があり、眼鏡というものが日本に広がるきっかけ他なったのが山口の大内氏の文化であり、「西の京」とよばれ(もっともこれは近年つけられたキャッチコピーらしいが)それだけ山口が栄えていたことが現在につながるきっかけとなっているわけである。
その山口の大内がどうしてこのように栄えたのか、その側面を見ながらキリスト教と日本の眼鏡伝来のきっかけの地を巡るのが目的である。
新山口から山口に入り山口市内散策方法
新山口の駅で友人と合流し山口へ向かう。実際に山口までは山口線で7駅ありそこそこ距離が離れている。また現在の山口の中心地は湯田温泉周辺になるのだが、大内氏が支配していたころの中心地は山口駅周辺になる。
どうしても鉄道での移動が必要。今回の旅行では山口を中心に回るけれども、新山口からはSLやまぐち号が走っており、それに乗って津和崎あたりまで行って観光なんかするのもポピュラーだったりします。帰りもやっぱりSLで湯田温泉まで戻ってこれますのでね。
もちろん、もったいないけれども、湯田温泉、山口にもやまぐち号は止まるのでそれで移動しても構わないのだけれどもね。今回は山口駅でシェアサイクルを使うので早めの移動で、山口線普通列車を使う。
山口駅ではレンタサイクルもあるのですが、今回はシェアサイクルを選択しました。理由は山口に戻らないでも湯田温泉の中心街に自転車を乗り捨てることができるので、山口駅で少ない電車を待つよりも、自転車で一気に湯田温泉まで行ってしまったほうが(公式発表で8分)時間効率が良いからです。
シェアサイクルの関してですが、アプリでレンタルするのですが、アプリの評判があまりよくなく、実際あちしもなかなか借りることができずかなりてこずったので要注意です。また、あまりお勧めはしませんが無理やり歩いて観光できなくもないです(起点となる一の坂川の案内所まで徒歩20分くらい)。ちなみにシェアサイクルで回るのが限られているのは、午後から湯田温泉発の観光タクシーでいろいろと周るからというのも付け加えておきます。
散策・大内築山跡(八坂神社・龍福寺)周辺
山口でレンタサイクルを借りて季節により蛍が乱舞するという散策路、一の坂川のほとりをサイクリング。ほどなくして最初の目的地大内築山跡にたどり着く。まずは八坂神社から。
まずは、その大内文化を築いた大内氏の館周辺を散策する。隣接する八坂神社と龍福寺を散策。まずは八坂神社から。
今は広い土地にたたずむ神社なのですが、八坂神社の名を持ち祇園様と呼ばれている神社です。大内弘世が、京の八坂神社から神霊を勧請。国の重要文化財に指定。このころに京都から勧請できるだけの影響力を大内氏が持っていたことの象徴でもあります。これだけの影響力と財力を大内氏が持っていた背景として源平合戦で清盛たちが奈良の東大寺を焼いてしまいます。そこに対し山口県は良質な檜(間違ってたら御免)と銅を産出できる土地であり、それをもって中央の寺社仏閣等に影響をもたらすことができたのです。また最盛期には大内は下関を超え九州博多一帯を大友とともに支配し朝鮮半島、中国との貿易で財を成します。このころ中国はモンゴル、金、北宋の時代で戦火が激しく木材は戦船用に持っていかれ、本場中国仏教では木材が足りなくなります。これを輸出することで財を成すだけでなく、積極的に文化、技術を吸収していきます。そういったことの影響を受け、ここ山口市内では社殿と楼門が一体化した非常に珍しい作りの神社の造りになっています。おそらく全国でも山口県以外ではほぼ見られないつくりだと思います。またここは木造の屋根ですが、先に訪れた岩国が朝鮮半島由来の瓦造りだったのも興味深いところです。
次に向かったのはおとなり、龍福寺。ここは大内氏の館があった場所でその中に龍福寺がある。
先ほどの八坂神社と合わせて大内氏の館の後なのでその影響力の大きさがうかがえるのと、ま隣なので参拝。立派な寺でした。大内氏の資料館があるのでいろいろと参考になります。また本流の観光スポットから外されがちな2か所ではありますが、大内の文化を知るに非常に面白いスポットなので寄ってみました。
ちなみに、近所に十朋亭維新館(じっぽうていいしんかん)や
色々な資料館があり、たかだか居候だった分際で旧宅と言われてるこんな施設もそばにあり、
この周辺で大内、幕末、文人(ろくでなしども)、維新関係(テロリストども)を楽しめる施設がたくさんそろってて半日は余裕で過ごせます。シェアサイクルがうまくいかないで時間短くなってしまったのが合流した友人に申し訳がない。ちなみに十朋亭はなんとかまわれたので写真を何枚か。さすがに室町と文化が違うなぁと思えるところです。
山口大神宮・今伊勢へ
タイトル見るとなんじゃい?と思うかもしれないが事実なので。西のお伊勢さん。大内義興が伊勢神宮の神霊を勧請して創建したものである。このこと自体当時あり得ない、前例のないもので伊勢神宮を山口に持って来ようといいもの。それだけ大内の勢力が大きかったということである。まぁ、そりゃそうであるよね、将軍連れて京都に上洛してるんだから。信長より前に天下人になってるわけだしね。
当時伊勢参拝が流行し、各地に勧請がはやり神明神社が乱立するのであるが、江戸時代まで、伊勢神宮より勅許を得て神霊の勧請を受けたのは日本中でここだけなのだから室町の信長以前の時代にこれが行われたことがいかに大きなことで、当時の大内氏、山口の繁栄ぶりと中央への影響力が大きかったかを示す存在である。なるほど、だからザビエルも京都での挫折を経た後、この地で布教を行おうと思ったわけである。山口大神宮は今伊勢とよばれ、西日本での伊勢神宮参拝的な賑わいを見せ、大変な参拝客を集めたという。
先ほどの大内館の八坂神社と比べ全く別の作りであり、様々な文化が入り混じっているのも面白いところであるね。
昼飯、湯田温泉
そのままシェアサイクルで湯田温泉へ。シェアサイクルを観光案内所で乗り捨てその湯田温泉観光案内所すぐそばのめし屋でランチタイム。しゃえサイクルはこれだけ周って時間貸しで300円程度(30分50円)。鉄道を使うよりはるかに安く時間にも融通が利くのでお勧めです。お昼ご飯は長州名物瓦そば。
"瓦そば"とは、熱した瓦の上に茶そばを乗せ、その上に錦糸卵や肉が乗ったものを甘めのつゆでいただく、焼きそばのようなもの。程よく焼け焦げた感じと甘めのお出しがいい感じに楽しめるもの。防府、山口というよりはもうちょい西のほうの食べ物なので、せっかくなのでね。パリぱっりの感じの部分とそうでなくそばの風味を感じる部分、これ雄良い香りの茶そばでいただくのは、い牡蠣食べてみるのはありですね。うまかった!
ところで、注文を頼んだ際に「瓦そば2人前一つと生ビール2つ」と頼んだところ、「瓦そば2人前一つと生一つですね」と言われ「それじゃ殺し合いが始まります!」といた友人は秀逸だった。
お昼ご飯を終えた後は観光タクシーで山口の観光。一人3000円でタクシー貸し切り、2時間なのでおとくと思われる。ゆとりを持って行動してるので湯田温泉観光案内所すぐそばの井上公園で足湯したり色々見たりする。
千葉31期の競輪選手を記念する公園があったとは知らなかった。
井上馨…千葉県の競輪選手(引退)500勝越えのキャリアを誇り特別競輪でも活躍した。しばしば大阪の井上薫(41期)と間違えられることもある。
千葉31期の競輪選手を記念する公園があったとは知らなかった(2度目)。
他に、園内には、井上馨の銅像や実美が宿舎にあてた建物を再現して建てられた「何遠亭」、湯田温泉生まれの詩人・中原中也の詩『帰郷』の一節を刻んだ詩碑、一時湯田温泉に住んだ俳人・種田山頭火の句碑などが立ち、湯田温泉とともに刻んだ歴史に触れることができます。
また、公園内には無料で利用できる足湯や、湯田温泉ならではの白い狐の形をした遊具があり、子どもの遊び声が響く中で、市民や観光客の人々の交流や憩いの場になっています。
タクシーで巡る山口、ザビエルへ
14時からタクシーで2時間の山口市内観光。
コースはリンクにあるように、
湯田温泉→サビエル記念聖堂→パークロード→藩庁門→洞春寺・観音堂→
香山公園→国宝瑠璃光寺五重塔→一の坂川→山口市菜香亭→常栄寺雪舟庭→
サビエル記念碑→山口駅→湯田温泉、これだけのコースをめぐって3000円はおとくであろう(ただし、パークロード→藩庁門→洞春寺・観音堂→
香山公園→一の坂川は車内からで下車なし)。さっそくさっそくサビエル記念聖堂へ。
サビエル記念公会堂へ
現役の教会でもある。現地ではザビエルと言わずサビエルとよんでいる。シャビエルがなまったものではないかな?記念聖堂は、昭和27年にサビエルが山口を訪れてから400年を記念して建てられました。内部にはサビエルの一生を描いた美しいステンドグラスがある。ほかにもキリスト教布教の歴史、禁教時代の弾圧の歴史等の資料が多く展示されており、日本におけるキリスト教の流れを学ぶにはいい施設である。
基本的にキリスト教に関して日常で触れることはキリスト教徒以外ではなかなか少ないのではないのであろうか?そういったものに触れるいい機会であり、今まで解説してきたキリスト教の流れが学べる。眼鏡を預かった故人はキリスト教徒でもあり、眼鏡っ娘教団員でもあり、この地に遺品の眼鏡を連れてこれた手向けになったのではないだろうか?こじつけになるかもしれないけれども、曲がりなりにも、眼鏡の始まりの地に連れてこれたのだから。ちなみに人が結構いたので、眼鏡記念撮影はちょっと断念、宇部新川の時より冷静になってました。
そのまま山口市内の観光へ
次に巡ったのは香山公園、国宝瑠璃光寺五重塔。
こっからはしばらく観光。そら純粋な観光もするよ、せっかく山口まで来てるんだから。
境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。大内文化の最高傑作と言われ日本三大名塔と言われている。京都の醍醐寺、奈良の法隆寺と並び立つ塔が山口にあること自体が文化レベルの高さを物語っており、なるほどザビエルがくるわけだと再確認させられる。屋根は檜皮葺で建築様式が和風なのに対し、一部に唐様が用いられているのも特徴。実に見事であったね。山口来たらば是非に押さえておきたい場所である。ボランティア観光ガイドさんがいるので丁寧に説明をしてくれるよ。
同じく香山公園内にある、香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。鴬張りの石畳から上に毛利墓所を望むのであるが、ここで手をたたいたり、強く足を踏み込んだりすると変わった音で反響して面白い。この音を鶯が鳴くようだ、として鴬張りの石畳と呼ぶそうな。なかなかに面白く子供の様に遊んでしまったが、人んちの墓の前で一体何をやっているのだか。
他にも、枕流亭(ちんりゅうてい)薩摩の西郷隆盛・大久保利通と長州の木戸孝允らが集った建物を再現したものや、露山堂という、藩庁内にあった茶室(毛利敬親が、茶事にことよせて身分に関係なく会談をした)茶室があったり、時間があればかなりゆっくり楽しめる場所でした。
この後山口県切手の料亭跡、菜香亭を観光し
常栄寺雪舟庭を見学する。
そうなんだよなぁ、先にふれたけれども、大内は大陸と貿易してた関係で坊さんたちが集まり、そこからあこがれの本場中国へ留学したがるわけで、雪舟とかも来たわけだよなぁ。やっぱり大内はすげぇわ。こりゃ、大内滅ぼされてなかったら、ザビエル、雪舟どころかたらペリーすら来たかもしれん。もう、港にうんこをまくしかない!
まじめな話、山口氏は文化が非常に発展し、歴史的にも大内の文化から毛利へというもの、幕末の流れ、いろいろとあるものの、それが幸運にも空襲を受けずに残っている貴重な地域でなかなかの見ごたえがあります。
いよいよサビエル、日本最初の教会跡地へ
今日の旅の最後の目的地はサビエル公園。
今はこの公園には記念碑とビリヨン神父の銅像があるだけの公園である。しかしこの地は荒れ寺であった大道寺があり、そこを布教の拠点として日本で初めての教会として活動した場所である。のちにザビエルは仲間の宣教師に後を託し山口を去りましたが、残った神父トルレスに義隆が建て直しの許可を与え、日本最初のキリスト教教会となり、日本最初のクリスマス(降誕祭のミサ)もここで行われました。
記念公会堂は新たに建て直されて、根付いたものであるのに対し、ここは日本のキリスト教会発祥の地である。つまりは日本の眼鏡伝承の始まりの地であり、ここがなければ、ここで布教が始まらなければ、日本の眼鏡の歴史のスタートはだいぶ時を経たからになったのかもしれないとおもうと、感慨深いものがある。敬虔なキリスト教徒の方には感無量の場所かもしれない。そんなことを思い、最後に故人の眼鏡を取り出しその記念碑を見せてあげることにした。
自己満足ながら、きっと故人は喜んでくれたと思うことにして、眼鏡をそっとしまい、明日の防府での眼鏡供養に備えるこにして湯田温泉に戻ったのであった。
2日目おまけ湯田温泉で遊ぶ
観光タクシーでそのまま湯田温泉に戻り、少し街を散策。というか、のど乾いた。せっかくなので山口の酒が飲みたいという話になるのは当然の話。
湯田温泉の中心街にある、「狐のあしあと」というところで利き酒。
観光案内所にもなってるので立ち寄ってみるのもよいかと。
山口のお酒はどれもおいしかったです。フルーティーなのにわざとらしい感じもなくするする行ける。
写真にあげたのは1000円のものだけれども、500円で三種類のみ比べができるので、酔いつぶれない程度に利き酒を楽しみ、すぐそばに酒屋さんがあるので気に入ったものをお土産に発送するのもよいのではないでしょうか?飲んだ、ゾロていう陰謀論みたいな酒も面白かったです。山口にザビエルが来たのは、湯田温泉の白いきつね=天使ゾロであったかもしれない、そうするとそれは必然だったのだ!みたいな感じだった。六芒星の日本酒ってのもすごいよね。
https://www.haradashuho.com/p1-haradasyuho/index.html
ちなみに目の前に中原のなんちゃらもあります。
この日のお宿は湯田温泉の梅の屋という料理旅館。ここに素泊まり。
料理旅館に素泊まりというのももったいない気はしないでもないが、素泊まりであれば今回一人8000円で温泉宿に泊まれたのでね。決め手は温泉の泉質でした。源泉かけ流しのお宿で、アルカリ性温泉。温泉に関する法律が変わったので、今循環式温泉だとお湯の消毒が義務付けられていて、アルカリ性の温泉に消毒は興ざめだからね。周りにビジネスホテルなどもありお安く泊まれなくはないけれども、結局ここまで来たらいい温泉に入りたいと思って日帰り湯につかると、お値段結局変わらないくらいかかるので、だったらば最初からこのお宿にしようと。少人数なのでね。大人数でみんなで泊まるのであれば「女将劇場」で有名な「西の雅」とかも考えたんだけれどもね。ちなみに今回あえて外食選びましたが一人+7000円くらいでお宿でふぐのコースが楽しめます。温泉につかろうと思って食堂を通過するたび、何とも言えない梅のいいおだしの香りが漂って、次回はありかもしれないとも思いました。
晩御飯も湯田温泉の居酒屋でいただく。泊まる場所を湯田温泉にしたのはもちろん地理的なこともあるし温泉目当てなのもあるのだけれども、山口や、新山口と比べると湯田温泉のほうが町が発展していておいしい食べ物にもありつけるからです。というわけで、この日入ったのは、味わい処あかぎ
ここままぁ当たりだった。初めて食べたのだが、フグの白子のてんぷらがまぁ、うまいのなんの。食べた瞬間もう笑っちゃうしかない!死ぬまでにもう一度食べたいと思える食べ物ができたといえる食い物に出会えた感じ!他のてんぷらも食べたけれども、対象の腕がいいのかな、ほくほくサクサクジューシーなものも多かったです。
ほかにも金太郎のてんぷらとふぐ刺しなんかも頼んでやった!
これだけ豪勢に飲み食いして最後に雑炊まで頼んで一人7000円程度はなかなかにお値打ちじゃないですかね。ふぐは言ってるんだし、コースじゃなくてざっくばらんに頼んで。なかったけれども、車エビとかにが次の標的だな、って思いながら故人への思いを語りながら愉快に笑って山口2日目の夜は更けていくのでした。悔しかったら化けて出てきやがれ!
さぁ、いよいよ次回は3日目、防府玉祖神社での眼鏡供養です。
まったくの余談ではあるが、香山公園の浄瑠璃寺で分社された神社にもお参りしていたのであるが、そこに出雲の一畑神社があり、そこでも眼鏡供養をやってるらしい。ちょっと興味あるね。
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