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[小説] 愛しき名前 ~ある特定失踪者少女の運命(8)

 第三章(五)

芸術団に戻った直後、父と会った。37号室勤務の時は時間の融通がきかず、思うように面会が出来なかった。
 久し振りにあった父がまず伝えたのは本妻さんの死だった。
 総盟の活動に熱心だった彼女は、過重労働の末に世を去ってしまったそうだ。だが、本人は本望だっただろうというのが父の思いだった。本妻さんの葬儀は総盟主催で行われ、とても立派なものだったそうだ。そして、遺骨は平壌の愛国功労者墓地に葬られた。全て本人が生前に望んでいたことだった。
 ここまで話し終えた父は、
「やっとお前を日本に連れ戻す日が来た。もう少し待っていてくれ」
と言った。父の最期の言葉だった。
 数ヵ月後、俺のもとには父の代わりに“朴おじさん”が訪ねてきた。幼い頃から知っている父の最側近である。彼が父の死を伝えてくれた。そして、力強く言葉を続けた。
「日本に帰る準備が整いました」

 その日、俺は平壌の空港から北京行きの飛行機に乗った。朝鮮遊戯文化視察団の団長として日本に行くのである。
 父が亡くなった後、俺は新しく平壌にオープンするホテルのゲームセンターの支配人になった。父が生前に始めた事業の一つだった。ゲームセンターの施設や経営ノウハウを知るために俺は関係者と日本に視察に行くことになったのである。
 北京に着いた我が視察団一行は日本の旅客機に乗り換えた。空席が多かった北からの便に比べ、こちらは満席だった。乗客も中国人、日本人、欧米系の人々等多彩で、日本語、北京語そして英語等々、様々な言語が飛び交っていた。まさに別世界だった。こうしたなか4時間もしないうちに成田空港に着いた。ついに “日本に帰って”来たのだ。感慨深い思いを抱きながら飛行機を降りたところで、日本側の関係者たちの出迎えを受けた。
 彼らと共にタクシー乗り場に行く途中、日本側のメンバー一人が
「団長、お加減が悪そうに見えますが…」
と声を掛けてきた。
「久し振りの長旅に疲れて」
俺は応えた。
「私の知っている病院に行って精密検査でも受けられては如何でしょう」
 メンバーの提案に従って俺はそのままタクシーに乗って病院に行き、他のメンバーは別のタクシーで東京のホテルへと向かった。
 川端病院というところに連れて行かれた俺は、そこの特別室で一夜を過ごした。

 翌朝、病室に白衣を身につけたこの病院の医師らしき中年男性と上品な中年女性がやってきた。
「よく眠れたかい?」
医師は訊ねた。
「はい」
 俺が答えると医師は
「計画は大成功したよ」
と嬉しそうに言った。
“計画”とは俺を日本に帰すことだった。
まず、俺を北朝鮮から出国させる必要があった。父は俺を日本に来させる口実として訪日団を作った。名目はなんでも良かった。例の如く、関係部署に金をばら撒き、それらしきものを作らせた。交通手段も北のものは出来るだけ使わないようにと北京経由にして日本の旅客機に乗るようにしたのだった。
「自己紹介がまだだったね」
 医師はこう言いながら言葉を続けた。
「私は川端哲生。林長吉の長男でこの病院の院長、これは妹の山田哲子。私は婿入りして苗字が変わったんだ」
「…朝鮮の人って姓にものすごく執着するって聞きましたけど」
哲子さんは、ともかく長男である哲生先生が婿入りとは。
「日本国籍になるための手段だよ。父は私たちに日本の国民としてこの地で生きていくことを望んでいたんだ。だから子供たちは民族学校にも入れず、所謂、在日関係の組織とは敢えて関わらせないようにしたんだ」
 俺は何て応じていいか分からなかった。
「父の林長吉という名も本名ではないんだ。少年時代、日本に働きに来た父は雇い主の日本人が朝鮮の名前は呼び難いからといって日本風の名前をつけたそうだ。役者みたいにいい男だから役者風の名前がいいなとかいってこの名前になったらしい。父はこの名前が大そう気に入って戦後もずっとこの名前を使い続けた」
 相変わらす、俺はどう答えていいか分からず黙っていた。
「さて、最後の仕事をしなくてはな。北朝鮮人・林哲男〈リムチョルラム〉氏の死亡診断書の作成だ。視察団がもうじき取りに来る。これで林哲男という北朝鮮人はこの世からいなくなるんだ」
 こう言いながら哲生医師は出て行った。部屋に残された哲子さんが話を継いだ。
「一応、遺骨も用意したのよ。視察団には、日本で生まれ育ち、日本に家族の墓があるのでそこに埋葬したいと言う予定だけど、もし駄目だといった場合に備えてね」
 計画は完璧といえるだろう。ここまでするのにどれほど金が掛かっただろうか。哲子さんたちにとっては、愛人の子である俺は目障りな存在に過ぎないのに、ここまでしてくれたとは。俺は心から感謝の言葉を言った。
「何言ってるのよ。私たちはあなたの大切な青春時代を奪ってしまったのよ。日本人である仲村哲男くんは、北朝鮮なんかに行く必要なんて全くないのに…。あの国であなたが苦労しているのではと思うと…」
 哲子さんの声が詰まったので、俺は明るい口調で言った。
「父さん…じゃなかった、社長のおかげで俺は何の苦労もしませんでした」
 本当のことだ。父の経済力で俺は普通の日本からの帰国者とは比べものにならないくらいの待遇を受けていたのだから。
「いいえ、あなたは私たちに礼など全く言う必要はないわ…。父の息子はあなた一人~林長吉の血を引いた子供はこの世にあなただけなのよ」

 “青天の霹靂”というのはこういう状況なのだろうか。俺の頭の中は大混乱していた。
「疲れているところに、驚かせること言ってごめんなさいね」
 哲子さんが申し訳なさそうに言うので、俺は反射的に
「とんでもありません」
と答えてしまった。そして話を続けるよう促した。
 哲子さんは、父と自分たちの母親について話し始めた。
 父は朝鮮半島南部つまり韓国の農村で生まれた。貧しい小作人の家庭で、兄弟姉妹が多かったため、十代の初めに働き口を求めて日本に渡って行った。当時、朝鮮は“大日本帝国”の統治下にあったため、日本への渡航は敷居が低く感じられたようだ。日本に来た父は、商店の手伝いや肉体労働で金を稼ぐかたわら、夜学に通って将来に備えて勉強もした。当時の日本には、日本人、朝鮮人、台湾人を問わず、こうした少年たちが大勢いたそうだ。
 こうしたなかで、父は自分と似たような境遇の朝鮮人、日本人、台湾人の少年たちと親しくなり、共同生活をするようになった。
 日本の敗戦と共に朝鮮は日本の統治から解放されたけど、父は国に戻らず仲間たちと共に日本での暮らしを続けた。
 もともと故郷で食べて行かれなかったため日本に渡ってきたのだから、今さら帰ったところで経済的に受け入れてもらえる余裕などないだろう。これは父の仲間たちも同様だった。
戦後の混乱期の中で父は仲間たちと商売をして当てたそうだ。
「“ハヤシ食材”の歴史 はここから始まったわけね」
 哲子さんの話はここで一段落した。
「興味深い話ですね。父さ…いや社長から直接聞いたのですか?」
「ううん、父は自身のことは一切話さなかったわ。この話も父の側近の朴さんや蔡さんから聞いたの」
 確かに父は自分のことは、ほとんど話さなかったな…。
「次は、私たちの母について話すわね」
 哲子さんと哲生先生の母親である閔明順は父の実家が借りている農地の持ち主の娘だった。父にとっては主人宅のお嬢様ということになり気位が高く、我儘な面もあったそうだ。
 彼女の家は当時としては進歩的で女の子にも高等教育を受けさせていた。それゆえ、娘の言うままに内地日本への遊学も許したそうだ。
 東京に来た彼女は、朝鮮人学生の集まりに参加し、そこで知り合った男子学生と親しくなり半同棲生活をするようになった。だが、男子学生の方には既に配偶者がいたため、正式な結婚は難しかった。こうした例は当時よくあったらしい。幼いうちに親同士が勝手に決めた結婚相手に男子学生は愛情も何も感じていなかった。
 東京で暮らす二人は、戦中の困難な時期も力を合わせて乗り切ったらしい。
やがて、日本は戦争に負け、祖国は解放されたのだが二人は東京に留まった。国に帰ったら別れなければならないためだ。
二人の関係は結局、それぞれの親に知られて、当然、両家とも別れさせようとした。もちろん二人は別れなかった。
その間、世の中は敗戦の混乱等で両家の‘離別工作’はなかなか進まなかった。二人は相変わらず共に暮らし、ついに子供まで儲けてしまった。
しかし、結局、二人は別れてしまった。
男子学生は国に帰って妻と暮らすことになり、子供は閔明順が引き取ることになった。未婚のまま子供を産んだ娘を実家に置くことを世間体もあって憚られた閔家は、取り敢えず娘を結婚させ、子供は養子に出すことを考えた。“訳あり”ゆえ、相手選びは難航した。そんななか、選ばれたのが小作人の息子の父だった。年齢的に釣り合い、人柄から経済力まで申し分なかった。何より自分たちの手の内にあるような人物だったのが好都合だった。
父は断れなかった。だが、これによって自身の親族たちにも恩恵が及ぶだろうと考えて割り切ったそうだ。
結婚した二人は日本で暮らした。父は妻の連れ子も引き取った。
本人の意思など無視して押し付けられた“身分の卑しい”配偶者に閔明順は好意など全く抱かなかった。そのため彼女は妻としてではなく主人家の人間として夫に接していた。そんな妻に対して父は気の毒に感じていたため、好きなようにさせていた。
その後、朝鮮半島で戦争が起きると妻の愛人が戦乱を避けるという口実で妻子を連れて日本に舞い戻ってきた。再会した二人はすぐにかつての関係に戻った。愛人側も父夫婦と同じく“仮面夫婦”だったため彼の奥さんも仕方がないと思っていたようだ。
祖国の戦争に対して在日同胞たちも、それぞれ思うところがあり、さまざまな活動を展開していた。父の本妻さんも愛人と共に民族団体で働いていた。父の方は故郷にいる親族のことを気遣いながらも民族団体などとは距離を置いて自分の仕事にのみ専念した。
祖国の状況が一段落すると、本妻さんと愛人はそのまま民族団体の仕事を続け、父はそれを黙認し自身の仕事に邁進した。
日本社会は敗戦から少しずつ立ち直りやがて高度成長時代を迎えた。父の商売も順調に進んでいった。
表面上は全てが順風満帆で幸福そうに見えた父だが、実際は顔を合わすたびに高圧的な態度をする妻との生活に嫌気がさしていた。それでも彼女が言うままに民族団体~朝鮮総盟には資金援助をしていた。同胞たちのためになるのだからと自身を納得させながら。
こうしたなかで出会ったのが、俺の母親だった。
たまたま入った飲み屋の女将だった母親を気に入り、通っているうちに親しくなったそうだ。美人ではないが気さくでいつも笑顔の母は本妻さんとは正反対の女性だった。
「父はあなたのお母さんに出会って本当の家庭を得たのよ」
 俺は応える言葉が見つからず黙ったままだった。
「本来だったら、離婚はしなくてもあなたのお母さんと一緒に暮らしたって構わなかったのに、母と私たちの体面のために別居もしなかったのよね」
 相変わらず何も言わない俺に対して、哲子さんは微笑みながら話を続けた。
「実は哲男クンの顔を見るのは今回が初めてではないのよ」
 哲子さんが俺と母の存在を知ったのは学生時代のことだった。友人とデパートに行った時、俺と母と父が一緒にいたのを見たそうだ。
「父、いや社長にはよくデパートに連れて行ってもらい、いろんなものを買ってもらいました」
 ようやく俺は話すことが出来た。
「あの時の父は本当に楽しそうだったわ」
 哲子さんはすぐにこのことを哲生さんに話した。二人とも父を責める気など全くなく、ただ真相が知りたいと思い、父の側近の朴おじさんに聞いたそうだ。
 初めは話し渋っていたおじさんも哲子さんたちに説得された全てを話したそうだ。
「私たちね、それからこっそり哲男クンの様子を見に行ってたの。入学式や卒業式の時も陰から見ていたのよ…。本当に父によく似ていて、可愛かったわ」
「母は私が母親似だといって残念がっていました。父親似だったら美形だったのにと嘆いていました」
「そんなことないわ、あなたを見るたびに兄と、こんなによく似た子だもの父も目の中に入れても痛くないだろうなと言っていたのよ」
 哲子さんは俺の顔を見ながらにっこりした。
「だから、母があなたを北へ行かせると行った時、実の親ながら何て酷いことをするのだろうと思ったわ。父も今回ばかりは物凄く怒ったわ。私も兄も抗議したけど“本人が行くことに納得した”といって聞き入れなかった。口の上手い母が北の実情なんて全く知らないあなたを丸め込んだのでしょう」
「やはり妾の子の存在を許せなかったのでしょうか?」
 もしかすると本妻さんも少しは父に好意を抱いていたのではないかと聞いてみたが…。
「体面もあったのだろうけど、父の財産を一銭たりともあなたに渡したくなかったのでしょうね」
 俺は父の財産など興味はなかった。相続放棄しろと言われたら喜んで応じたのに…。
「あなたが北に入った後、父は絶対あなたを連れ戻すといって、その手段をいつも考えていたわ。そのためには全財産を注ぎ込んでも構わないとまで言っていたわ」


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