[小説]愛しき名前~ある特定失踪者少女の運命(14)
第四章(三)
「五十鈴ちゃん、早く起きて。朝御飯が出来てるよ、一緒に食べよ」
ママさんの声だ。平壌に戻ったのかしら…。
ちょっと、なに馬鹿なことを言っているの!
自身を叱咤しながら星香は起き上がった。
ソウルに来てから随分経つというのに、今でも時々、ママさんの起こす声を聞くと平壌のあの集合住宅に居ると錯覚してしまう。もう何十年も前のことなのに。
繁子は再会してからもずっと星香のことを五十鈴ちゃんと呼んでいる。彼女もママさんと呼ぶ。そのせいかも知れない。
床を出て顔を洗って居間に行くと朝食が用意されていた。昔から朝食はママさんの担当だった。星香もドナちゃんも朝に弱かったからだ。
テーブルの上にはトーストと紅茶、そしてオムレツがあった。韓国や日本では当たり前のメニューだが、北ではあまりお目にかかれないものだった。毎朝、こうした食事が出来ることに、星香は有り難さを感じる。
二人は朝食を食べながら、テーブル脇のテレビを見る。ソウルに暮らすようになってから朝の情報番組と夜のニュースは欠かさずに見ることにしている。情報を得るには、やはりテレビが一番容易い。
突然、星香にとって忘れられない歌が流れてきた。
「これ五十鈴ちゃんの歌じゃない」
繁子が言うと星香は頷く。
『…今歌ったのはTVドラマ「少年田禹治」の主題歌です。子供の頃、よく口ずさんだものです。こことは違い北には娯楽がほとんどありません。TVドラマは数少ない楽しみでした。中でも金輝星が主人公をやっていた「少年田禹治」は面白く、子供も大人も皆見ていました』
脱北者が出演して北の生活を語る番組だった。
『このドラマは政治色が全く無かったので、みんな気楽に見ていました。単純な内容でしたが、特撮やアクションシーンが多く、毎回ワクワクしながら見ました。ドラマを見ている間は日常生活の嫌なことを全て忘れて楽しむことが出来ましたね』
『そうそう、皆、主人公が好きで、学校では“田禹治ごっこ”が流行ってね、バカな男子が田禹治の真似して校舎の二階から飛び降りようとするなんてこともあったわね』
『あった、あった』
脱北者たちは「少年田禹治」の話題で盛り上がっていた。
「五十鈴ちゃんが主役やってたドラマだね。」
「うん、みんな私の番組を喜んでくれたんだね」
「そうだよ。私たちも見ていたし、北の人たちは皆、五十鈴ちゃんのドラマが大好きだったんだよ」
星香は嬉しかった。自分の主演作がこんなにも愛されていたとは考えてもみなかった。
北にいた頃は自分のことばかり考えていて、見ている人々のことは想像することさえなかった。じかに反応を知る機会が無かったこともあるだろう。だが、自分自身そうしたことに興味が無かったことも事実だ。
今やっと、こうして、自分のドラマに対する評価を実際に知ることが出来た。自分は人々の心を癒していたのだ。星香はようやく自分の人生を少しだけ肯定した。ほんの僅かだが、人々の役に立つこともあったのだから。
このドラマは、また星香自身にとっても様々な思いのあるものだった。
制作の為に憧れの香港スター・ウォーリー=ラウと共に過ごす時間を持てたこともそうだが、彼の妻であるマリコ夫人の言葉が今も耳の奥に残っているのだ。
『あなた、日本人でしょ』
彼女にそう言われた時、
「そうです、私は日本人の輝田星香です。高校生の時、さらわれてここに来ました。助けて下さい」
と何故言えなかったのだろう。
37号室の公演の時もそうだった。あの時、客席に蒜田監督の後輩のクトケンこと九東健吾もいた。クトケンさんは星香に気が付いたのだ。舞台に近寄ってきた彼に
「クトケンさん、星香です。私を家に連れて行ってください。監督とはるこさんのもとに帰りたい!」
と何故、訴えられなかったのだろう。
日本に来た時、何故、すぐに監督のもとへ行かなかったのだろう。ママさんは、ソウルに送り込まれると、すぐに警察に行って保護を求めたというのに。監督もはるこさんも自分がどのようになっていても受け入れてくれただろうに…。
自分は幸福になってはいけない身の上なのだ。自分のために父も母も姉の月ちゃんも殺されてしまったではないか。皆、自分の身代わりになって死んでしまったのだ…。
自分が拉致されたのも、工作員にされたのも天罰のように思われた。犯罪に手を染めた自分はいつの日か逮捕され、死ぬまでその償いをすることになるだろう。それが自分の運命なのだと。
だから、生まれ故郷にも帰れず、愛する人々とも二度と共に過ごせないのだと。
「五十鈴ちゃん!」
繁子の呼び掛けに星香は我に返った。テレビ画面は次の番組になっていた。
「ソウルで人気のケーキ屋さんだって。今度、行ってみようか」
星香の心中を察したのか、繁子は明るい口調で話題を替えた。
「本当、美味しそうね」
二人はテレビを見ながら、あれこれ言い合った。日常の細やかな幸福を感じるひと時だった。
星香は安全院職員に逮捕されて以来、繁子と共にずっとソウルで暮らしている。皮肉なことに工作員教育のお陰で二人ともソウルでは戸惑うことなく生活出来た。
安全院の保護下にある二人は、今のところ、定職は無く、時々、安全院本部に行き、事情聴取を受けるだけである。そのため、ここでの生活が慣れると時間を持て余すようになった。そこで、ある日、繁子は安全院職員に駄目もとで、星香と二人でソウルの街を歩いてみたいと言って見た。意外にも簡単にOKの返事が来た。
さっそく数日後の天気の良い日、二人はソウルの繁華街に向かった。
21世紀に入り、ソウルは新宿や青山あたりと比べても遜色の無いおしゃれな町になったと日本のファッション誌が伝えていた。繁子には実感が無いが、実際、東京に暫くいた星香には頷けた。
センスのよいカフェが目に入ったので二人は入ってみた。平日の午前中のためか空いていた。店内の雰囲気もよく、二人はカウンターでコーヒーを求め、窓際の席に座った。豆から挽いたコーヒーは味が良かった。
「こんな風にソウルのカフェでコーヒーを飲む日が来るなんて想像すらしたこと無かったね」
繁子が口を開いた。日本語である。
「そうね…」
星香が感慨深そうに日本語で答えた。
「平壌、ソウル…。まさか、こんなところに暮らすなんて日本にいた頃は思っても見なかったわ」
「うん」
しばらく、二人は何も言わず外を見ていたが、
「ふと思ったんだけど」
繁子が口を開いた。
「はい?」
「東大生さん夫婦と大工さん夫婦は帰国し、私と五十鈴ちゃんは韓国に来た。ドナちゃん以外は、皆、あの国から出ているのよね」
そういえばそうだ、と星香は頷いた。
ドナちゃんの本名が太刀川希枝(たちかわきえ)であることを星香は日本に来てから知った。
公務員の父と専業主婦の母、兄と弟のごく普通の家庭の娘のドナちゃん…。
何度目かに日本に来た際、星香は北陸のある海辺の町に滞在したことがあった。
日本中、どこにでもあるコンビニがその町にもあったが、店舗の様相が他店とは異なっていた。看板にはそのコンビニのマークがあったが、その下に大きく「太刀川正希商店」と書かれていた。
さらに店の出入口にはコンビニの名称よりも「太刀川正希商店」という店の本来の名称の方が大きく書かれていた。そして扉にはドナちゃんこと太刀川希枝の大きな写真が貼ってあった。ピアノか何かの発表会の時のものであろうか、白いドレスを着て髪には白いリボンが留められていた。その笑顔は可愛らしく天使のようだった。
星香がしばらく、写真を見つめていると
「姉を、希枝ちゃんを御存知ですか?」
と声を掛けられた。
振り向くとコンビニの制服を着た壮年の男性が立っていた。
「いえ…」
星香は口ごもるように返事をした。
「そうですか…」
残念そうな表情を浮かべながら応じた男性はドナちゃんの弟である太刀川正希(たちかわまさき)だった。
店に客も来ないため、正希は姉が行方不明になってから今日に至るまでのことを話してくれた。
「両親と兄は現在、東京にいます。姉がいなくなってから数年後、父親の転勤により東京に行くことになりました。しかし、万一、姉が帰って来たら困るだろうと思い、私だけここに残りました。兄は優秀なので東京の大学に進学することを望んでいました。私は特に頭が良いわけでも勉強が好きなわけでもないので、ここに残って全寮制の高校に入りました。そして、卒業後は家族や友人、知人の協力を得て、この地に自分の名前を屋号にした店を出しました。希枝ちゃんが帰って来ても迷わないようにと」
看板や入口に自身の名前を大きく表記することにはコンビニ本社も反対しなかった。事態が事態だったので、むしろ、お姉さんが一日も早く帰ってくることを私たちも祈っていますと励ましの言葉を掛けられたそうである。
ドナちゃんの家族は今もその帰りを待っているのである。恐らく、それはママさんの家族も蒜田監督夫妻も同様だろう。
「…私はね」
繁子は言葉を続けた。
「東大生さんたちと一緒にドナちゃんも帰国する予定だったのではないかと思うの。何らかの事情があって替わりに保健師見習いだった女性が帰国したのではないかと」
たぶん、そうだったのであろう、繁子の言葉に星香は同意した。
「あの時一緒だった人々は、いずれ国外に出す目的で連れて来たんじゃないかと思うのよね」
「そうね、だから帰国第一号に東大生さんたちが選ばれたのよ。そして、私たちもここにいる」
「だから、ドナちゃんも帰国第一号は駄目だったけど外に出ているような気がしてならないのよ」
「もしかすると…」
二人はここで黙ってしまった。
視線を再び窓の外に移すと、老若男女様々な人々が行き交っていた。皆、とても溌剌としているように見えた。若い人には未来があり、中高年には相応の歳月を過ごしてきた重みが感じられる。ここでは、みな自分の人生を生きているのだろう。
星香と繁子が韓国での生活にすっかり馴染み、また、行動の制限がかなり緩くなったころ、二人を担当している安全院職員がある提案をしてきた。新地民<세터민・セトォミン>すなわち大韓民国の新しい国民として生きていかないかということである。
最近、韓国では脱北者のことを“新地民”と呼ぶようになった。北朝鮮は一応、大韓民国の領域である。そのため本来は北の人々も韓国の国民である。だが、現実は違っているので、このように呼ばれるようになったようだ。
星香たちの場合は、もともと北朝鮮の国民ではないので文字通り“新国民”になる。祖国である日本国からは自国民と認めて貰えず、北朝鮮は当然彼女たちの存在など認めていないのだから、二人は無国籍のような状態になってしまった。そんな彼女たちが、現在、身を寄せられるのはもはやこの国しかなかった。考えるまでもなく、二人は職員の提案を受け入れ、手続きを始めた。
暫くした後、再度、職員がやって来て二人に住民登録証を手渡した。
星香の登録証には「オシムニョン<五十鈴>」と記されていた。“オシムニョン”は、五十鈴の韓国語読みである。“五”いう姓は韓国人には有り得ないだが、同音の呉〈オ〉という氏はざらにある。日常生活ではハングル文字しか使われない昨今の韓国では、こうした氏でも問題はないだろう。
繁子は「チョンハッチャ<千鶴子>」である。日本でクラブの雇われママをしていた時使っていた名前である。“千”という氏も“鶴子”と名前もこの国では珍しいものではなかった。
二人とも日本的な名前にしたのは、自分たちが日本人であることをそれとなく示したからである。こうして“新国民”となり、韓国風の名前を名乗っても二人の心は母国である日本にあった。だから、何時の日か誰かに気付いて貰いたいのだ、自分たちが日本人であることを。そして、出来れば“日本人”として日本に帰りたい。恋しい人々に再び会いたい、そうした願いを込めた名前である。
繁子はともかく、星香は罪を犯した身である。それを許して貰おうとは思っていない。刑に服して償うことを望んでいる。だが、その機会すらも与えられずにいるのである。
大韓民国の国民となった二人は、そろそろ自立しようと考えた。これまでは公的な援助で暮してきたが、いつまでもそうしてはいられないだろう。
だが、このような身の上なので就職は難しいだろう。そこで二人は何か商売を始めることにした。
「パン屋さんはどうかしら」
星香の家は製パン店だった。両親と姉が製造から販売を行い、時々、星香も手伝っていた。
「いいわね」
繁子も賛成し、さっそく安全院職員と相談した。安全院職員の支援を得て二人は準備に取り掛かった。
暫く後、二人は製パン業を始めた。店を開いて人前に出るのはいろいろ差し障りがあるため製造のみにしたのである。納品先は安全院側が用意してくれた。
パン作りは大変だけど楽しい。作っている間、星香は両親と姉の存在を感じられた。家族はずっと彼女を見守っていたのかも知れない。そして、これからもそばに寄り添ってくれるだろう。星香はそう信じた。
製パン事業の利益はそこそこだが、生活していくには十分だった。
国家安全院の監視は相変わらず続いていたが、特に不自由はなかった。
ソウルにいても二人は、衛星放送のおかげで今の日本の様子を知ることが出来る。ニュースを始めとして、芸能情報、ヒット曲、ファッション、東京のB級グルメまで分かるのだ。ただ、実際にそこへ行って食べることは出来ないが。
放送には、時々、拉致関係の番組が流れることもある。先日はドナちゃんの弟・太刀川正希が出演していた。また、繁子の妹の鈴木洋子が出たこともあった。小さかった妹も結婚し、子持ちのおばさんになっていた。
テレビを見ながら、繁子は妹や彼女の夫そしてその子供たちに会いたいと言って涙を流した。星香はそんな彼女を黙って見守るばかりだった。
そんなある日、安全院職員が一台のラジオを持ってきた。
「最近、日本で対北朝鮮向け短波放送を始めたそうだ。聴いてみるといいよ」
こう言いながら二人にラジオと放送時間、周波数が書かれた紙を手渡した。
その夜、二人はさっそく受信を試みた。
放送は二種類あった。一つは日本政府が行なっている「桜のたより」、もう一つは民間の有志団体の放送「さざなみ」だった。二局とも、北朝鮮関係のニュースと解説、拉致被害者家族のメッセージそして日本の歌という構成の内容だった。
二人はこの放送も毎日聴くようにした。雑音がかなり入ったが内容はなんとか聴き取れた。
放送を聞き始めてから暫く経った頃、「さざなみ」から聞き覚えのある声が流れた。
「監督、はるこさん!」
星香の養父母である蒜田監督・はるこ夫妻だった。
星香は声を上げて泣いた。二人は自分が生きていることを知っていて待ってくれているのだ。
ここから飛行機に乗れば約二時間で、愛しい人々がいる場所に行ける。北朝鮮とは異なり、韓国と日本の間には国交がある。なのに、どうして行かれないのだろう…。
だが、親族に会えないのは自分たちだけではない。ここには大勢の南北離散家族がいる。彼らだって目の前の三七度線を渡れないのだ。また、韓国にも自分たちと同じ拉致被害者が多くいる。北に親族を残したまま脱北した人々も年々増えているそうだ。
他にもいわゆる“帰国運動”で北朝鮮に行ってしまった在日の人々やその日本人配偶者たちも何十年も親族に会えず、生まれ故郷に行くことが出来ない。
そうなのだ、自分たちだけが不幸ではないのだ。
ソウルに来てから、そうしたことにも気が付いた。
安全院の監視があり、行動も制限されている二人だが、自分たちにも何か出来ることはあるのではないかと思うようになった。
ただ嘆き悲しむだけでなく、自分たちでも何かをしよう。ただ、じっとしているのではなく、動いてみよう。
そうすれば、いつの日か自分たちの願いも叶うのではないか。
こう思いがここまで至った時、二人は前向きに生きていこうと決意した。生きてさえいれば、何とかなる。世の中は常に変わっているのだから。とにかく諦めずに生きていこう。
異国の空の下、星香と繁子は今も未来を信じて生きている。
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