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「障がい」が自分ごとになった日。「誰もがそこにいていい社会」を目指す、KEIPEの創業ストーリー
こんにちは、KEIPE(ケイプ)株式会社の代表取締役・赤池侑馬です。
KEIPEは「障がいを特別なものにしない」を掲げ、何らかの障がいを抱えて就労が困難になった方の社会復帰を支援する福祉サービスを展開しています。
今回は、KEIPEの創業のきっかけにもなっている私の原体験のお話をします。
「障がい」が自分ごとになった日
私が地元・山梨でKEIPE株式会社を創業することになった大きなきっかけに、兄の存在があります。
兄は子どもの頃から、頭が良くスポーツも万能で、ちょっぴりやんちゃではありましたが、私にとってヒーローのような存在でした。
しかし、ある日のバイク事故をきっかけに兄と私たち家族の生活は一変してしまいます。
あれは、僕がまだ中学1年生の頃。兄がバイクで事故を起こしたと連絡がありました。命は取り留めたものの、出血多量で10日ほど意識がない日が続き、意識が戻ってからは1ヶ月ほど入院。退院後も右腕にはギブスが付いたままで、兄の右腕は自由が利かなくなってしまいました。
世間的に言えば、兄は身体的に「障がい」を抱えたということです。
それまでの僕は「障がい」という言葉に対して特に何の先入観やイメージも持っていませんでした。それほど、「障がい」というものが身近ではなかったのです。
ところが、突然「障がい」が自分ごとになりました。
でも、私も家族も兄が「障がい者」だという現実を受け入れるのが難しく、どこかで兄を「早く普通の人に戻そう」というような考えがありました。
たとえば風邪などの場合、“悪くなった体調が、また健康な状態に戻る”と考えますよね。当時の私は、「障がい」に関しても同じように思っていたのです。
ところが、怪我をしてからの兄は中身も別人になってしまいました。
命はある。歩くこともできる。話すこともできる。言ってしまえば、自由が利かないのは右腕だけなのですが、兄はそれ以来すっかり変わってしまったのです。
自暴自棄になり、心の病気も引き起こすようになりました。兄は身体的なダメージ以上に、精神的にもダメージを受けていたのです。
数年後に右腕が完治した後も兄の様子は変わらず、結果的に社会に出て生活ができない状況が十数年間続きました。
本人としては、「良くなりたい」「働きたい」という意欲はあるのですが、地域に兄が働ける場所はなく、自分で稼いで好きな物を買うことすらままならない——本人が1番辛いですが、両親も自分たちを責めてしまったりと、心が折れそうになる日々を送っていたに違いないと思います。
「兄のため」と自分の人生から逃げていた私
十数年の間に、私は大学を卒業し、社会人になりました。
兄の通院や治療などにお金がかかることもあり、大学時代は仕送りをもらわず、アルバイト漬けの毎日。卒業後は教員になりましたが、この時も家にお金を送ろうと稼ぐことばかり考えていました。とはいえ、教員をしながら他に仕事や事業をすることはできません…そこで、
「月収100万円」
「28歳で起業する」
ある日そう紙に書き、自分の中の目標として掲げました。
「兄や家族の力になりたい」という思いと同時に、お金に対するコンプレックスもあったのだろうと思います。
その後は、兄の心配もあり、教員を辞めてIT企業に転職。週3日の出社にしてもらい、東京・山梨を行き来する生活を送っていました。
当時、兄が週に何日か外に出られる状況になっていたこともあり、「ここで自分が頑張れば、元気な兄に戻せるかも」と希望が見えたのです。
でも、それは甘い考えでした。
私は浅はかにも「1ヶ月も経てば元の兄に戻れるのではないか」と思っていたのですが、やはり一人の人間を変えることはとても難しいことです。自分の無力さを痛感しました。
そして、同時に気づいたことがありました。
自分の人生を僕自身が生きていないかもしれない、と。
これまで「兄のため」「家族のため」と、良かれと思ってやってきました。そして、それは自分の意思で選択してきたつもりでした。でも、よく考えてみると、
実は、環境によって“選択させられていた”のではないか?
もしかしたら、私は自分の人生から逃げているのかもしれない
そんなふうに思ったのです。
「自分のため」に選択した、再び「障がい」と向き合う人生
それからは、私の生活は一変。
海外へ出て新規事業の立ち上げに挑戦したり、結婚をして家族ができたりと改めて自分自身の人生と向き合って生きることができました。もちろん大変なこともありましたが、充実していたと思います。
そんななか、再び転機が訪れます。
2016年に帰国することが決まり、埼玉県で障がい者就労支援事業の立ち上げに参画することになったのです。
「働きたい」思いを持っているのに、働けない人が世の中には大勢いる
そんな現状を目の当たりにし、兄や私たち家族の姿と重なりました。
その時に、
兄のため、家族のため…それはもちろんだけど、
自分のためにもこんな世の中を変えたい
そう強く思いました。
当時、26歳。いつか紙に書いた「28歳で起業する」という目標の期限まで2年。
こうして私は、自分自身のために再び「障がい」と向き合って生きていくことを選んだのです。
自分自身の故郷に関わる仕事がしたいとも思っていたため、別の会社を経営しながら、2017年に地元・山梨で株式会社U&U(現:KEIPE株式会社)を創業、2018年に父と幼なじみと一緒に障がい者就労継続支援A型事業所・KEIPEを開業しました。
長くなってしまいましたが、以上が私がKEIPEを創業するに至った経緯です。
目指すのは「誰もがそこにいていい社会」
今の兄はというと、山梨で元気に働いています。
後に素晴らしい福祉支援者の方と出会ったことで、2~3年かけて仕事ができる状態まで復帰しました。その方をはじめ、多くの方々が親身になって支援してくださり、大変感謝しています。
兄は今ではすっかり活動的になり、働きながら大好きな音楽活動にもチャレンジしているほど。
兄を含め、私たち家族はようやく長いトンネルから抜けられたように思います。
***
KEIPEは「障がいを特別なものにしない」を掲げています。
僕は、兄のことを昔も今も「障がい者」だとは思っていません。
かといって、「普通」だとも思いません。
かつては、「兄を普通の人に戻そう」と考えていたこともありましたが、今は「そもそも、普通って何だろう?」と思います。
「障がい」の有る無しにかかわらず、「誰もがそこにいていい社会」
そんな社会をKEIPEを通じてを作っていけるよう、これからも取り組んでいきます。
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