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4年生引退ブログ②『走』福島真紘

平素よりお世話になっております。
4年の福島真紘です。
 
まず初めに、日頃より応援してくださっている皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。皆様の応援なしでは自分たちはここまで来ることができなかったと思います。
 
今回のブログのタイトル『走』は自分の4年間を表すのにぴったりな言葉だと思っています。ぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。
 

ソフトボール部での4年間を振り返ると、長いようで短い不思議な時間でした。
 
自分たち4年生が入部した頃は、コロナが始まったタイミングで、授業はすべてオンラインでした。地方出身の学生は上京を延期する人が多く、入部当初は内部生4人+マネージャー1人のみでした。このままどうなるのかと思うようなスタートだったのを覚えています。
 
入部して半年ほどが経った10月頃、秋学期の始まりと共に徐々に同期が増えていきました。自分が公式戦に初めて出たのもこの時期でした。
 
自分は高校まで全く別のスポーツをしており、ソフトボールは初心者でした。そんな中で、入部から半年で試合に出してもらいました。(人数が少なかったのでたまたま出れました。)嬉しい気持ちもありながら、緊張が上回り、あまり試合のことを覚えていません。
 
しかし、記憶が正しければ、僕がスタメンで試合に出たのはこの試合と1年後の2年生で出た関カレのみです。
 
なぜなら、下級生が入ってきて自分に彼ら以上の実力がなかったからです。
 
初心者の自分は、上手い人と張り合うために自分の価値を見出さないといけませんでした。たまたま足が早かったということもあり、それが走塁だと気づきました。これがこのブログのタイトル『走』に繋がります。
 
正直そこからは走塁に全振りしました。笑
誰よりもスライディングでユニフォームを一番汚した自信があります。

チームの中で自分の存在価値を見出すということは、それがなんであれすごく大事なことだと思います。自分にとってはそれが走塁でした。
 
代走をやっていて、自分の中で印象に残っているシーンが2つあります。
 
一つ目が、21年のインカレです。
初めての大舞台で、ツーベースを打った古川さんの代走として試合に出ました。次のバッター和田のヒットで生還し、得点に繋げました。全国大会で、高校から仲の良い同期の和田のヒットでホームに帰るという個人的にアツい展開でした。(彼がどう思っていたかはブログで確認するとしましょう)
 
二つ目が、21年秋リーグの中央戦です。
1部5位6位を決める試合で、7回裏ヒットを打った元気さんの代走として試合に出ました。盗塁からの送球エラーで一気に3塁。そこから、林さんのゴロ打ちでホームにヘッドスライディングでサヨナラ勝ち。起き上がった時にチームメイトに迎えられたあの瞬間は忘れられないくらい嬉しかったです。
 
個人的に、代走は使われない方が良いと思っています。チームが勝っている時は基本的にいらないからです。試合に出ても、一歩も動かず攻撃が終わる時もあります。ただ、そんな中でも使ってもらえると頑張ろうと思えます。
 
そんなこんなで、代走として試合に出れる可能性があるのもインカレが最後になりました。そして、慶應義塾大学ソフトボール部の部員としても最後の大会になります。

うちはすごく面白いチームだと思います。初心者がいいプレーをしたらみんなで喜べるし、時にはこれでもかっていうくらい険悪な雰囲気になります。ただ、指導者がいない中なんだかんだここまで全力で取り組めることはすごいと思います。普通だったら誰にも言われることなく朝7時に集まれません。笑

役割上、一瞬しか試合に出れない自分からすると、試合に出ている部員の全員が輝いて見えます。かっこいいです。これからも輝き続けてください。
 
平日は朝5時に起きて、7時からソフトボールをする。週末は埼玉や千葉まで試合をしに行く。人生で何かをこんなに真面目に頑張るのも最後ではないでしょうか。
 

最後に、後輩のみんな、同期のみんな、先輩方、改めて本当にありがとうございました。特に、同期の和田と佐久間には感謝しています。彼らがいなければ自分は今ここにいません。恥ずかしいので絶対に普段は言わないけど、ありがとう。
 
引退まで残り少ないですが、自分のできる限りチームに貢献し、最後まで全力で「走」り抜けていきたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
 
『走』
 
4年 福島真紘

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