感謝 丸尾司(経4・慶應)
こんにちは。
最近、もはや周りから同一人物として扱われる松田くんから紹介を受けました、本年度主務を務めました丸尾司(経済学部4年)です。中学から10年間ありがとう。そんな彼は留学にいってしまうので、目標にしていた全員そろっての同期旅行が達成されることはなくなり悲しい限りです。いつかちゃんと全員でいきたいです。
引退ブログということですが、とりあえず読んでほしいことを書き出していく感じで進めたので読みづらいところがあれば、お許しください。
現在、引退して2か月あまりが経ちアルバイト三昧の日々ですが、よくあるまた野球したくなってくるという思いは不思議と湧いてきません。本当に長く野球をしてきたのだと、感慨にふけるぐらいです。
そんな学生野球が終わったタイミングなので少し過去を振り返ります。少年野球から野球を始め、普通部、塾高でそれぞれ野球部に所属しました。今では笑い話にできますが、名門普通部野球部では理不尽に野球ができなかった時期もありました。それを横目にライン禁止が理由で辞めていく秋葉とまた大学で野球ができたのは何かのご縁でしょう。先日の彼のブログを読んで、彼の成長には涙が止まりません。高校の思い出をあげるならば、塾高野球部の新人トレでしごきにしごかれ、今は真っ白に染まっている記念館のロータリー走で足がもつれ内野くんと一緒に転倒したことなどでしょうか。
本当に数え切れない思い出があります。
そして下記の大学4年間を含めて、野球を続けて本当に良かったと感じています。
【4年間を振り返って】
引退して改めて振り返ってみると、楽しい思いも悔しい思いも全て経験できた4年間でした。
1年生、コロナにより8月入部となりました。下級生はイメージ無いと思いますが、入部当初、高校までと同じようにサードをやっていました。練習試合や練習で思いのほか、普通にプレーできたため、新人戦にサードで出場。先頭打者のサードゴロを難なく捕球すると、高校時代(中学時代かも)を彷彿とさせるファースト頭上を遥かに超える送球で出塁を許し、僕のサード人生は終わりを迎えました。(嘘です。実はリーグ戦最終戦で少し守ってます。)
2年生、最初は内外野兼任で、試合前シートは内野ノック受けたあと、外野ノック受けるみたいなことをしていました。どっちつかずになりそうなのを見兼ねて、当時の学生ヘッドから外野手専念を言い渡されました。大学で新調した内野手グラブを小林に譲り、内野手とお別れしました。外野手として試合に出始める中で迎えた2年春の日体大戦、2番バッターの打球を背走し、大師球場のコンクリートフェンスに激突し悶絶。人生で初めて肋骨を負傷しました(その1年後にももう1回肋骨やります笑)。出だしとしては苦い思い出ですが、結果的に外野手を選んだ選択は大正解だったと思います。
この年チームは全国に出場し、ベスト4まで勝ち上がりました。私も1打席立たせてもらい、ヘッスラを決めました。長野オリンピックスタジアムは本当に気持ちよく滑れます。後輩たちにも経験してほしい。秋リーグは毛島さんとの代打争いで、先にヒット打った方にラーメンを奢るということでリーグ戦に臨みました。結果は完敗、毛島さんの4年生の意地すごかったです。4歳上にしっかり奢りました。
3年生、2年秋の新人戦から結果を出し、レギュラーを射止めたこの年が結果としてピークでした。長谷川ヘッドの下、試合に出続ける中で、自分のプレーが勝敗に直結する機会が多く、今までの野球人生の中で一番のやりがいを感じました。何とか長谷川ヘッドを勝たせたかったですが、結果は春準優勝、秋4位。なかなか勝ちきれず悔しい思いもしました。
主務を兼任した今年は本当に一瞬でした。朝起きたらメール確認をして、家を出て、練習が始まると、金光とキャッチボールして、本当にその繰り返しでした。もう一回できるかと言われるとできないですが、このルーティンが無くなって寂しい気持ちはあります。プレー面に関しては、3年秋冬に自分史上一番の結果を残し4年春迎えたのですが、台頭する同期や後輩の後塵を拝し、野球に関しては悔しいの一言に尽きます。なかなか自分の思った通りの結果がついてこず、苦しかった1年でした。特に秋リーグはチームの状態も芳しくなく、それでいて自分の練習試合の成績もふるっていなかったので、勝負所では起用されず本当にもどかしく、悔しかったです。
主務としては、春合宿の思い出が強いです。
今年はコロナが明けたので、4年間で初めて合宿を2回おこないました。特に春合宿はコロナ前以来となり、合宿地探しから本当に1からおこないました。実は合宿が終了するまで不安で夜はあまり寝られませんでした。けが人やクラスターが起こらず、無事終了した際は、達成感よりもほっとした安心感の方が大きかったです。なっちゃん頑張れ。
【後輩たちへ】
優勝を経験させてあげられなかったことがやはり一番悔いが残ります。ただ4年間を通して、1つ言えることは強かった3個上の代の練習量は今思うとかなりあったと思います。コロナで授業が忙しくなく時間が取れたということもありますが、やはり厳しい雰囲気の中で練習量をこなすことの重要性を感じます。自分たちの代と同じような雰囲気だと優勝できないことはわかったと思います。竹松、増池中心に頑張ってほしいです。
それから、当たり前ですが試合に出てなんぼ、勝ってなんぼだと思います。3年生でレギュラーを張り、4年生で外れた身として言えることです。自分なんかと思わず、貪欲に行ってください。余計な馴れ合いも必要ないと思います。わかっていると思いますが、負けるとしんどいです。勝つことが本当に大事です。
またチームを運営する上で一つ、もっと意見をぶつけ合ってほしいです。僕らの代は仲良さそうに見えて、実は本音でぶつかり合う瞬間が少なかったと思います。そこが自分たちの弱さだったかなと思います。なのであまり偉そうには言えませんが、現状感じていることを書きました。
【3年生外野陣へ】
全員は書く気力が無かったので、一番お世話になった3年外野陣へ
竹松
メッセージ読みましたが、本当にこちらこそありがとう。竹松が外野にコンバートしてからの2年間、君の存在があったから、自分も本気でプレーすることができました。ともに戦えたこと間違いなく誇りに思います。コーチとの兼任大変だけど、頑張ってほしい。
佐藤
圧倒的な飛距離脱帽です。実直にストイックに取り組むところ、尊敬します。いろいろありましたが、高校時代のことを考えると、応援が鳴る中一緒にプレーできたのは最高でした。本当にありがとう。
河合
高校時代はポジションが違ったのでほぼ関わらなかったかな(笑)。大学でこんなに関わるとは思わなかった。常に研究熱心な姿勢、陰ながら見ていて応援していました。来シーズンは鉄壁の外野陣構築をよろしくお願いします。
増池
自分含めてコンバートぞろいの外野陣に最後にやってきた男。監督兼任ということでなかなか大変だろうけど頑張ってほしい。自分より試合経験がある人達を束ねるのはそう簡単ではないと思うけど、監督が先頭に立って方向性を示せればみんなついてきてくれると思います。頑張れ!
最後になりますが、あらためて軟式野球部に関わる全ての皆様にお礼を申し上げます。私は主務として、この1年間部内外さまざまな仕事をこなしてきましたが、軟式野球部は本当に多くの方に支えられていると実感しました。正直普段の活動は学生のみで行うためなかなか気づくことは難しいです。その点で、主務になって本当に良かったと感じています。今後は中村監督はじめOBの方々とともに軟式野球部をさらに盛り上げていくお手伝いをしていきたいです。
そして個人的な話ですが、この年まで野球を続けることに理解を示し、多大なサポートを頂いた両親、家族、本当にありがとうございました。今後の人生で恩返しさせてください。
駄文ですが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回は、引退ライフを同期で一番満喫している三宅晃太郎(法4)です!最終学年で遂に奇跡のバッティングが開花、トレードマークの鉄板を身につけグラウンドを躍動した男は最後に何を語ってくれるのでしょうか。同期、後輩に愛された男のラストブログに乞うご期待!
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