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強さの二刀流
小倉から引き継ぎました、1年の川上です。
いつも走っているjogコースに桜が咲いており、本格的な春の訪れを感じました。
また部屋替えや新入生の入寮など、この時期ならではの出来事にも1年が過ぎることの早さを痛感しています。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
「強さ」とは一体なんなのか。
最近このことについてよく考えます。
現状の我々において考えると速くなって安定感が出てきて、そんな強い選手が12人揃った先に予選会突破という目標が達成されるのだと思います。
このような強さというのは競技の結果から逆算した強さなので分かりやすいですが、逆に求める結果毎に異なります。私が最近考える強さはどちらかというとより一般化された、どのアスリートにも当てはまる人間的な姿勢についての強さです。
私はスポーツ観戦が好きです。特に野球観戦が大好きで、まもなく開幕するWBC関連のニュースには胸を踊らせています。今現在も阪神との強化試合が行われており、大谷翔平選手が2打席連続のホームランを放ちました。大谷選手の凄さならばいくらでも、本当にいくらでも書くことが出来ますが動きたがる手を抑えて本題に戻ります。
私はずっとスポーツ観戦の醍醐味は「選手の努力への共感→結果に対する感動」だと考えていました。そもそも人間の感情を突き動かすには「共感」というのが非常に大きなファクターで、以前このブログでもファンについて書いている選手がいましたがファンというのは根本を辿ると共感することがきっかけに生まれる存在です。
個人的に結果ありきでの物の考え方は苦手で、苦境を乗り越えた先に結果という栄光を掴み取ることに大きな感動を覚えるし、仮にそこで結果が出なかったとしても苦境に対して逃げずに立ち向かったこと、要するに「頑張ったこと」には何にも代え難い価値があると考えていました。そしてこれはスポーツに限ったことではありませんが、今回はスポーツを代表例として話を進めます。
だからこそ『情熱大陸』や『プロフェッショナル』、陸上関連でいうと『箱根駅伝 春夏秋冬』など栄光を掴むまでの裏側にスポットライトを当てたアナザーストーリー的番組は何度も見返すほど大好きです。また選手への密着を記録した本などもよく読みます。そして感動とモチベーションをもらいます。特に自分が辛い時、辞めたくなる時、逃げ出したくなる時に背中を押してくれます。
先ほどの「強さとは何なのか」という問いに話を戻すと、アスリートとしての強さとは「他人に優しく自分に厳しく、逃げずに苦境に立ち向かうこと」だというのが私の考えであり、そこに結果という因子は影響を及ぼすものではないと思っていました。当然結果というのはとても大切で偉大ななものですが、要は頑張ることと結果を出すことは独立した別の評価軸に存在するべきだという認識で捉えていたのです。このようなアスリートの優しくまっすぐな姿こそ人々に勇気を与えるものであり、それ自体が強さとして大きな価値を持つものだと信じていました。
大谷選手の言葉を借りると
「それが成功したかどうかは関係ない
やってみることに大きな価値がある。」
ということです。
しかし最近様々な出来事があり、上記した自分の考えは不十分だと思うようになりました。私の考えていた「努力への共感→結果に対する感動」というプロセスには、「(結果に対して生まれた興味)→努力への共感→結果に対する感動」という()の部分が抜け落ちていたのです。きっかけとなる興味を持ってもらうことはルックスや家柄などでも可能なのですが、これらの要因から生まれる興味は非常に脆いものです。
結果から興味を持つことがファンになる入り口、そこから努力への共感をすることでファンになり始める、そしてその努力の結実の先に結果を出す姿を目にして初めて人々はファンとなり、勇気や感動を受け取るのです。
私は先ほど強さというのは「人に優しく自分に厳しく、逃げずに苦境に立ち向かうこと」だと書きました。この認識自体は今でも変わっていないのですが、その強さを人々に知ってもらって勇気を届けるには「結果に対する興味」が前提として必要なのだと今では思っています。特に陸上というのはタイムという形で結果が出るため、強さの多様性が他のスポーツよりもありません。強さがシンプルな競技である分、より結果の持つ意義が大きくなるとも感じています。
すなわち結果というのは一つの名刺のようなものであり、これがあって初めて選手が乗り越えてきた過去の経験に人々からの興味と価値が生まれます。過去は変えられないが、未来によって過去の持つ意味合いは変わるということです。逆にどんなに慎ましくどんなに直向きに努力しても、結果がないとそこまでの物語は大半の人間(家族など本当に身近な人間以外)にとっては興味のないことになります。というか知りたくても結果が出ていない選手の裏側に密着しよう、という発想にはならないので我々は基本的に知る由がありません。
先ほど紹介した大谷選手の結果が全てではないという言葉も、世界一結果を出している大谷選手が言うからこそ意味があるものだったのです。これを今の自分が言っても、そう思うのは自由ですが真意を世の中に届けることは出来ません。結果の出ない言い訳、と言われ終えばそれまでなのです。
将来記者になりたいと書きましたが、その理由の1つは人々に「伝える」ことを通して
経験値や怪我によってスポーツを諦める人を1人でも少なくしたい
→1人でも多くの人に可能性を信じてもらいたい
という目標を実現するためです。そして自分は結果的な強さが全てではないと信じているからこそ、注目を浴びずらい選手にもスポットライトが当たるような、そんな記事を書ける記者になりたいと志しています。
しかしまた自分はそんな影響力のある記事は書けないし、取材を出来るコネクションもありません。ところが自分は幸せなことに体育会で陸上競技をすることが出来ており、さらに有難いことに目標とする箱根駅伝という舞台は非常に注目度が高い試合の一つです。その注目度のおかげで誰かのことをニュースとして伝えるのではなく、自分自身の走る姿を通して世の中にメッセージを投げかけるチャンスがあります。
2度の手術など沢山の回り道は沢山してきましたが、このチャンスを掴むために過去と今を目線をぶらさず生きていると胸を張って言えます。しかしまだ結果が足りません。圧倒的に。だからこそ結果を出して、最終的には箱根駅伝出場という結果を出して、結果的な強さと人間的強さの両方を持ちます。そうなって自分が今野球選手や箱根ランナーに対して抱くような、結果以外にも興味があるなと、そう思ってもらえるようになった時に初めてそれらについて知ってもらえたら嬉しいです。それまでは結果のためだけに進んでいきます。
そして今は全く興味がなくても、結果を出した自分に興味を持ってくれた人がいたら1年後でも2年後でも、自分が今スポーツ選手からもらっているような感動や勇気を結果を出すまでの過程からほんの少しでも与えられたら何よりも大きな幸せです。
長くなってしまいましたが、要はするに
真っ直ぐに頑張るだけじゃダメなのかな
うん、結果がないとその過程にまで興味を持ってもらえるわけないからね
じゃあ結果を出したうえで、結果的な強さ以上に大切な「人間的な強さ」があるよね、と証明しよう
ってことです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次は島田です。よろしくお願いします。
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