初めまして、小倉謙心で申す。
初めまして、梅澤くんから引き継ぎました小倉謙心と申します。
まずは簡単な自己紹介をさせてください。
名前:小倉謙心
学部:総合政策学部
出身:愛知県豊橋市(朝倉未来の地元)
高校:愛知高校
趣味:イヤホン収集
皆様、改めまして長距離ブロック1年の小倉謙心です。今回、大好きなイヤホン紹介をしたいところですが、さすがに「陸上」ついてお話させてもらいます。
一度陸上競技を引退し、そこから競技復帰したこれまでの軌跡について書こうと思います。
中学ではラグビーと陸上競技を両立していたのですが、ラグビーでの毎試合によるケガが原因で中学2年時から陸上に専念し始めました。私の兄が短距離(100m)で全国トップレベルだったこともあり、自分が全国大会に出場するのは当たり前だと思っていました。今思い返せば、そんなすごい兄がいた環境があったからこそ全国大会2位という成績を残せたのかなと思います。そんな順風満帆な中学生活とは裏腹に高校では地獄をみることになりました。私の中学は駅伝はそこまで強いわけではなかったため、高校では「チーム」として全国高校駅伝に出場したいと思い、県内でも強豪校の愛知高校に進学しました。そこで私はケガに苦しむことになります。1年目は足が痛い中、だましだまし練習を積み、なんとか記録は残しました。そんな中コロナウイルスが大流行したことで学校に通えなくなり、地元で個人練習する機会が増えました。これはライバルとの差を広げる良い機会だと思い、かなり練習したことで恥骨の疲労骨折をしてしまいました。このけがは非常に厄介で2年次をすべて棒に振ってしまいました。中学でライバルだった選手が軒並み結果を残している中、私だけが置き去りになってしまいました。そこで私は初めて「挫折」、「屈辱」を経験しました。そこから私は練習を1か月も継続できなくなってしまい、ケガから抜け出すことができなくなってしまいました。気づけば高校3年生になり、大学について考えざる得ない状況になっていました。自分の世代は全国的にレベルが高く、私の持ちタイムでは箱根常連大学に進学するのがかなり厳しかった。高校での結果、練習がしたいのに全く練習できない状況が2年間続き、私のメンタルはズタボロでした。入学当初は世代のエースとしてチームを引っ張っていく立場なのにもかかわらず、結果も出さなければ練習もしていない落ちぶれた選手だと周りから評価され、そんな姿を後輩や同期に見せることも悔しく、屈辱でした。何度も陸上をやめたいと思うようになってしまいました。私はキャプテンだったのにも関わらず、高校3年次,陸上競技に終止符を打ちました。こんなことは独りよがりで勝手な決断だとわかっていましたが、私は耐えられませんでした。そこからは努力のベクトルを変え、受験勉強に専念しました。受験期については割愛させていただきます。私はまだ陸上競技を全く楽しめていません。完全燃焼したなんて口が滑っても言いません。いや、言えませんね。この心奥深くにしまってしまった陸上の対する情熱を今一度掘り返し、そのエネルギーを箱根駅伝に陸の王者としてぶつけていきたいと思っています。
拙い文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。さて、次は僕の大好きな川上君の出番です。おしゃべりな人なので一つの物語を繰り広げてくれることでしょう。お楽しみに!