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葛藤がないわけじゃないけど

 関口から引き継ぎました2年マネージャーの中井です。
 我々のブログをよく見てくださってる方ならご存じかもしれませんが、全部員、ブログの締めくくりに次の担当者の軽い紹介と「よろしく」という声かけをするのですが、今回、実に二投稿ぶりに関口の「よろしくぅ☆」という声かけを頂きました。
 関口が前回私に対して「よろしくぅ☆」と声をかけてくれた際に「いつもの関口がいわなさそうなことで、雰囲気違っていいね」という内容の返答をnoteでしたら、その次の関口は「よろしく」とそっけなくなってしまいショックだったので、また「よろしくぅ☆」が聞けて嬉しいです。

 本題ですが、今回は夏合宿~予選会にかけて私が思っていたとこと、私が選手の頑張りに支えられていることについて話していければと思います。少し長くなりますが、ついてきていただけると嬉しいです。



取り残された夏合宿

 今年の夏、慶大競走部長距離ブロックは合宿を四度行いました。
 例年通り、蔵王での全体合宿と紋別および菅平での選抜合宿は当初より予定されていましたが、競走部監督の鹿又さんのご厚意によって富津での3泊4日の4次合宿が実現されました。選抜合宿にいらした鹿又監督が選手たちの走りと保科さんの想いを聞いて、4次合宿実現のために動こうと決めてくれたそうです。
 全体合宿(1次合宿)以降は、選手が合宿先の場所と日吉に分かれて練習するという状況に伴ってマネージャーも二手に分かれてサポートをします。2次合宿の帯同メンバーは3、4年生の先輩マネージャー3名、3次合宿も引き続き同じ先輩マネージャー方3名、4次合宿は私(2年)を除く1、3、4年生のマネージャーがサポートに当たりました。
 私だけが選抜合宿の帯同に行くことができませんでした。
 選抜に行くことができなかった私に対して慰めの言葉として先輩が「富津での4次合宿はおまけみたいなものだから」と言ってくれましたが、その時の私は「所詮は合宿に行ってる人の言葉。おいて行かれる事実は変わらない。」と思っていました。
 夏の間、自分の手元にある事務仕事は予選会関連のことばかり。けれど一月以上まともに予選会メンバー候補の選手たちの走りを見ていない。このギャップに自分の心のありようをどうすればいいかわからず苦しみました。
 また、今年のマネージャーチームは、昨年の1年生が夏合宿期間中に経験を積む機会が少なかったことを反省して、タイムなどの経験値がものをいう仕事から一部上級生が退き、積極的に1年生に回すように調整しました。この施策について私は大賛成でした。私自身タイムの練習が昨年の予選会終わりまであまり行えず、苦手意識があったからです。4次合宿の帯同者に関する意見を先輩マネージャーに聞かれた時も、1年生の後輩を推薦するぐらいには後輩に経験を積ませるということに価値を感じていました。一方で私は、次のような感情も持っていました。

「じゃあ、わたしはどうなるの…?」

昨年の『経験を積ませてあげられなかった1年生』は私のことで、今年の『1年生に仕事を譲る上級生』も私であって…
 
 私はやせ我慢してたんだと、後になって気づきました。後輩を合宿に推薦して全体のバランスを見てるいい先輩の顔をしながら、本当は選抜合宿に行きたくてしょうがなかったんです。
 日吉での帯同が選抜合宿での帯同よりも価値が劣るとは思っていませんが、どうしても割り切れず、葛藤する気持ちはありました。

日吉の選手たち

 予選会に向けて、私の気持ちに葛藤がある中、それでも前向きにサポートを頑張ろうと思えたのは日吉にいた選手たちのおかげだったと思います。
 選抜合宿で練習を積んでいる選手たちが好調であることから、日吉の選手が予選会メンバーに選ばれないことはほとんど確定していました。それでも手を抜くことなく練習に取り組む姿は私に「気の迷いを持ってる場合じゃない!」という気持ちにさせてくれました。
 特に同期の梅澤の姿勢には心動かされました。
 今年の梅澤は昨年の梅澤とは一味も二味も違ったのです。
 昨年も今年も選抜に行けず、日吉に残ることになった梅澤。昨年は日吉に走れる選手がほとんどいなかったということもあり、数少ない走れる選手であった梅澤がフラストレーションをためてしまっている姿がありました。一方今年の梅澤は先輩として、チームの練習を引っ張るため、良い雰囲気を作るため懸命に練習に取り組み、ポジティブな表情で過ごしてくれました。
「自分がやらなくてどうする」の気持ちで頑張っていた梅澤が慶同戦(慶應と同志社で行う毎年恒例の公式戦)のメンバーに選ばれ、初の公式戦を走ったとき、私はとてもうれしかったです。
 予選会後の10000mレース、梅澤が卒部していく先輩のためにと試合の連戦で状態が良くない中全力で走って、結果が伴わず全力で悔しがった姿も目の奥に焼き付いています。
 この間の日体長5000mレースで梅澤が14分台のPBを出したときもとてもうれしかったです。そのときちょうど梅澤のタイム計測をしていたのですが、ラスト200の4800〜5000が速すぎて見失ってしまいました(笑) ラスト200の全力疾走、根性で14分台に押し込んだ様子はこれぞ梅澤という感じがしました。
 梅澤のことばかり語ってしまいましたが、夏の間、日吉で練習を頑張っていた選手たちが成果を出してくれたことが、夏から予選会後までもんもんとしていた私の支えになり、私の喜びでもありました。

選手の頑張りに支えられて

「あなたここまで日吉の選手の話ばかりじゃない。選抜に行った選手のことはどうでもいいの?」と思われた方もいるかと思いますが、そんなことはないです!長距離ブロックの選手は全員が一生懸命で、私は全員の頑張りに支えられています。
 私は最近ようやく代替わり後のサポート体制に慣れてきました。夏頃に日吉のほうに引っ越してきた私は、今まで朝練のほとんどを担当してくれていた4年生空岡さんに代わって朝練に行くようになりました。今まで私が住んでいた実家からは始発でも朝練に間に合わないという理由で、授業がある学期中は一度も朝練に参加したことがありませんでした。そのためこの生活に慣れるまで苦労しました。
 私の場合は親との約束で生活費は自分で捻出することになっているため、週3〜4でバイトをしないといけません。24時にバイトが終わって、バイト先から終電もしくは終電一本前で日吉に帰り、次の日朝練に行くという日も少なくありません。その時はいつも睡眠時間が4時間を切っています。
 こういう生活をしているとなぜこんなことをしているのか自分でもわからなくなってくる時があります。「自分の睡眠時間を、命を削ってマネージャーとして人の世話を焼く意味ってあるのだろうか?」とマネージャーをやる意味が分からなくなることもあります。それでも私がマネージャーを続けられるのは頑張る選手がいるからです。
 このまえ一人で帯同した日本体育大学長距離競技会という試合がありました。出場選手は同期の東だけということで私に白羽の矢が立ちました。実はこの試合の前日、前々日どちらもバイトをしていたうえ、試合の日の午前中にはほかの選手たちのポイント帯同を行い、午後は試合帯同。極めつけには次の日の日産スタジアムで行う朝の距離走練習(マネージャーは5:45合宿所発)に参加して、同日には午前練習帯同と午後のバイトが控えているという鬼キツスケジュールを過ごしました。こういう状況で体力的にも精神的にもかなり追い詰められていた私でしたが、そんなことは東の走りで消えさりました。

29’34”65

 東、今年2度目の10000mPBであり、関東インカレ10000mB標準(29'35 "00)の突破タイムです。手元の計測では29'34 "9と微妙なタイムを示していたので、正式タイム29'34" 65が出たときは感動もひとしおでした。
疲れている中の試合帯同でしたが、来てよかったと心から思える試合でした。嬉しすぎて、ほかの人から「東のPBはいくつ?」と聞かれたらすぐに「29'34" 65!」と答えられるくらいには記憶に残っています。

私は本当に本当に選手の頑張りに支えられているなと感じます。

覚悟はできている

 マネージャーをしているなかで、葛藤することも悩むこともたくさんあると私は感じています。だけどここまで一緒に過ごしてきた選手たちが頑張っているから私も頑張れる。もっと努力しようと思える。そういう心構えでマネージャー業に向き合えるようになってきました。
 日吉に引っ越してきて今まで以上に部活のために時間をかけるようになった私は昨年の私とは真剣度が違います。
 あと2年部活にすべてをかける覚悟は出来ています。

以上で今回のブログを終わりにしようと思います。
次回は私のブログ内でも取り上げた関カレ10000mB標準を突破したばかりの東の番です!次はいつ何の標準を突破してくれるのか…(圧)
ではよろしくお願いします!!

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慶應義塾大学 競走部長距離ブロック 〜選手たちの軌跡〜
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