引退ブログ 伊良波快斗 ~主将の背中~
慶應義塾體育會端艇部カヌー部門主将の伊良波快斗です。
同期の引退ブログ読みました。それぞれの思いを感じて胸が締め付けられました。一つ気になったことがあります。それは、いかにも私が荒川の漁師みたいになっていることです。1年生のときに荒川で魚を捕まえたのは私ですが、まさかこんなところで使われるとは…。以前、水面から飛び出てきた魚が正面からパドルに直撃したり、サングラスに直撃したりしました。運悪く目に当たったら失明するのではないのか。最近サングラスを壊した私はいつ現れるかわからない敵と戦っています。誰にも言わないでくださいね。恥ずかしいので。それはさておき、最後のブログ。書きます。伏線回収なしでいきます。できるだけ。
集中。
引退ブログを書くということは、そろそろ引退をするということです。当たり前すぎますね。この一年間は主将としてチームのために何ができるのかを考え抜きました。シーズンの初め、当時1年生だった小林とオーパルの練習に参加したことも深く記憶に残っています。そこから私の主将生活は始まりました。同期や後輩の力を借りながらではありますが、カヌー部門を自分なりに理想の組織に近づけられた気がしています。先輩が受け継いできたこの組織を良い形で次の代に託せそうです。肩の荷が下りる安堵感と共に言葉にできない喪失感みたいな感情があります。
主将の背中
この時期になると来年の班はどうなるか後輩がそわそわします。今年のシーズンが終わることを実感します。私自身もシーズンが変わるときの一番の楽しみがそれでした。
縦割り班では毎年、当時の主将の班に入れていただきました。誰よりも近くで各代の主将の背中を見てきました。そこで感じたこれまでの主将の偉大さを少しでもお伝えできればと思います。そしてそんな先輩から主将を引き継ぐ私のプレッシャーを感じてください!
齋藤知主将
堅実で情に厚い指揮官。主将としての知さんは4ヶ月という短い関わりでした。当時、コロナ禍で練習形態を柔軟に変更しながらルールに忠実に部の運営をされていた姿が印象的でした。ルールを破る部員に対しては関西弁で歯に衣着せぬ指導が持ち味だった(個人的感想です)かもしれません。私が特に印象に残ったエピソードは全日本インカレでのことです。当時は関東インカレが中止となり、インカレのみの開催でした。ジュニアの種目にも出場種目制限がかかっている中、私は500mのシングルとペア(相方は浦元だったかなぁ)に出漕を予定していました。当時は慶應の1学年上に秋入部の先輩がいました。シングルでの優勝は少し厳しいと感じ(実際その先輩に負けて準優勝でした)、ペアでの優勝を目指して練習に励んでいました。TTでもその先輩が乗っているペアには圧勝しており、優勝する気満々でした。そして迎えたインカレ本番、1日目の500mシングルが終わった日の夜、エントリーミスによりペアに乗ることができないことが告げられました。大きな目標を失い、正直諦めがつきませんでした。その翌日は500mシングルの決勝があったのですが、その朝、齋藤主将が動きました。各大学に頭を下げてオープン参加でも良いからレースに出てもいいか聞いて回ってくださいました。結果としてペア(後ろに確か浦元を乗せていた気がする)は幻に終わりましたが、齋藤主将の行動に胸を打たれました。自分のレースがあるのにも関わらず、ジュニアの大会のために何とかしようとする情の厚い主将なのだと実感しました。(就活のときも大変お世話になりました。)後輩全員を大切にして、全員が輝ける組織を目指していたのだと感じました。誇りを高くもち、熱意で行動を起こすのが齋藤主将の大きくて温かい背中です。
久保領雄音主将
慶應歴代No. 1プレーヤー。とにかく久保主将のチームは強かったです。最高学年の意識が高かったのはもちろんのこと久保主将のメニューの作り方、カヌーのテクニックを余すことなく教えてくれました。シングル200mの2連覇やフォアの準優勝など格の違いを見せつけてくれました。チームのエースというポジションはカッコよかったですし、憧れ続けています。印象的なエピソードとしてはAチームで練習に参加させてもらったときの叱咤激励です。当時2年生の伊良波は先輩についていくのが必死でしたが久保主将と船を並べて練習したときに言われました。「強度低すぎ。Bチームそんな低い強度で漕いどるん?」本当に記憶に残っています。Bチームでは半分以上1位を取っている状態だったので自分の弱さや練習態度を改めるきっかけとなったからです。慶應は良くも悪くもそんな直接的なことを言ってくれる人はいませんでした。そこで現実を突きつけ、より上を目指させてくれたその言葉に感謝していますし、もちろん非常に辛かったです。常に全力で漕ぐのが私のポリシーです。下克上を達成すべく、部員全員の目標であり希望であり続けたのが久保主将の筋肉隆々な背中です。
永田隼一主将
センス抜群、クールな努力家。永田主将は体の使い方が異次元に上手いので入部半年でフォアに乗るという、これもまた桁違いのセンスを持つ人でした。常にカヌー選手の動画を見て細かい動作に注意を払っていました。そして、とてもかっこよかったです。ビジュアルはもちろんのこと常に余裕があった気がします。あの余裕は生まれ持った才能に違いありません。そんな永田さんとの1番印象的なエピソードはフォア練習でのこと。当時の戦力構図として永田主将と宮本(当時2年)が富士山の頂上にいたとしたら5合目あたりに私がいてそこから団子状態でした。私はギリギリフォアに選んでもらいました。そんな私は全日本インカレ2か月ほど前に右肘を痛めました。永田主将にはチームに迷惑がかからないようにフォアから外れることを提案しました。そのとき、永田主将は私の力を信じてくれて練習頻度を下げてもいいから乗るように言われました。先輩が乗れずにいるのに怪我している自分を乗せてくれた、自分を信じてくれたのです。さらに、チームを背負えるほど実力がないのにフォアに乗せてもらっている劣等感を感じていた私にこんな言葉をかけてくれました。「棚田大志みたいな漕ぎだね。キャッチとか上手くなってきてると思うよ」本当に後輩を立ててやる気にさせるのが上手いし、言葉の掛け方が一流だったと思います。救われました。そんな永田主将の後ろに乗せてもらって一番近くで一流の漕ぎを吸収しました。フォアの後ろから見る、永田主将の立派な背中が目に焼き付いています。やる気を引き出す言葉選びのセンス、常に余裕を持っているのが永田主将のクールでスリムな背中です。
自分にできること。自分にしかできないこと。
こんな立派な主将の背中を目の当たりにし、後を継ぐ未来が描けないこともありました。自分がどんな人間なのか振り返ったときに色んなことが頭に浮かびました。芯がしっかりしてそう。真面目そう。怖そう。熱そう。どれも自分にしっくりくるアイデンティティではありませんでした。競技力も高いかと言われたら同期では辛うじて速かった程度。人格があるかと言われたら、正直「自分に集中」していて機微に疎い。(同期マネに言われたこと、忘れもしません)そんな人間が主将として何ができるか。こんな人間だからこそ深く思考し、答えを出してから主将になりました。
私にできることは二つだったと思います。一つ目は成長を続けること、二つ目は勝利への執念を貫くことでした。自分だけの価値を発揮したいと思ったとき、競技力が低い選手は競技面での活躍を諦めがちです。ただ、私はそこがチャンスだと捉えました。力がないなら力をつけられるように最善の努力を重ね、1番の成長を続ければいい。そんな主将の熱意が周囲に伝わってチームとして勝利に導きたいと思っていました。そして、誰よりもチームとしての結果は追い求められると思いました。力がないからこそ後輩など周りの選手に気を配りどうすれば成果が上がるのか常に考え、練習や寮生活の中で勝利のチャンスを探し続ける。自分一人では大きな成果を出すことのできない私だからこそ、そんな主将としての価値を発揮できると考えました。
貫いた価値観
こんな思いを持って私は主将になりましたがどんなことを考えて行動し、このチームが終わりそうな今何も思うのかを書いていこうと思います。主将として大切にしていた芯みたいな、考え方みたいなところです。
一つ目は、「強いことは責任である」ということです。私は期待をかけられればかけられるほど、また信頼されればされるほど120%の力を発揮できる人間だと思っています。主将として、チームの結果に責任を負ったとき自分の行動や発言を客観的に捉えて重みのある言動ができたのかなと思っています。それも、自分が頑張らないとチームは動かないという勝手に感じた使命感から強くなれたのだと思っています。現状の競技力に対しては満足はしていませんが、間違いなく主将として活動したこの1年がカヌー人生で一番考え、一番練習をし、一番成長したと思っています。その中で、強いことは責任であると日々感じているのです。強い責任とは何でしょうか。私は慶應においてカヌーが速い選手はウエイト種目、体幹メニュー、有酸素トレーニングの全てで隙のない選手である必要があると思っています。慶應の練習コマは乗艇×ウエイト×有酸素で構成されており、実力のる選手は下級生の目標になります。そんな選手が例えば有酸素トレーニングは弱いとか、体幹が弱かったらどうでしょう。有酸素や体幹メニューへのやる気が下がってしまいます。そんなことしなくてもあの人は速いと思ってしまうからです。見られ方という観点から、全ての種目で目標の選手となれるように全力で取り組んできました。特に有酸素では結果が出ないことが多かったですが、冬は木曜日の朝に毎週クーパー走をしたり、春から夏にかけては練習前に有酸素トレーニングをすることもありました。圧倒的に速くなってから言いたかったです。「強さは責任だ」と。
二つ目は、感謝の思いは循環するということです。私が端艇部に入った理由は新入生のときにブログに書きましたが、実はもう一つ大きな目的を持ってカヌー部門に入りました。それは「感謝とは何か」を考えることです。母校の浦和高校は浪人する文化があり、4年間でやっと浦高生になるとさえ言われます。(負け犬の遠吠え感は否めません) 私自身も何の躊躇もなく浪人をしました。もちろん浪人にかかる費用を負担してもらうのが当然だとは思っていませんでしたが、感謝が足りないと親に言われました。「お前はずっと野球をしてきたのに感謝もできないのか。高校球児は皆感謝して野球をしている。」と。そんなことを言われたとき正直、腹が立ちました。自分にも親にも。どちらかというと親に。(最低ですけどこれが自分です)自分の高校野球を否定されたような気がしたからです。確かに野球部は挨拶には厳しく、感謝の言葉をいう機会が多いです。言葉で感謝を伝えるのはもちろん大切ですし、必要なことだとは思っていました。(野球部の挨拶はもはや挨拶というより何か言ってる程度の伝える気のない挨拶になってるので好きになれません。「ありがとうございました」とかはもはや原型を留めず「あした」「した」とかになっていることが多いです)そもそも感謝とは何なのか、どう表すのがいいのかを考えるというのが部活動をする上での裏のテーマでした。そして、3年間ほど考え、ある程度答えが見えてきました。異論は認めますが、感謝は循環するということです。ここでいう感謝は大きく2種類あります。一つ目は言葉による感謝。二つ目は行動による感謝です。前者は自分が享受している当たり前で恵まれている環境や生活を支えてくださる人に対しての感謝でありこの対象は家庭では保護者、部活ではOBに向かいます。一方、後者は今の当たり前の環境をより良く未来に繋いでいくことです。この対象は家庭では自分の子供や孫、部活では後輩にあたります。つまり、感謝とは言葉によるものだけではなく行動も伴わなければいけないということです。ただ、誰に対して行為をするのかが違います。自分の幸せを支えてくれた人への感謝として、①その人への言葉による感謝をし、②次世代のより良い幸せのために行動による感謝をする。感謝の在り方はそうあるのだと感じています。この考え方を言葉に起こしたのは始めてで、私の言語力の低さと相まって伝わりづらいかもしれません。実は、主将としての私のチーム作りの2軸、「応援されるチーム」「未来につながるチーム」はこの考え方からきています。
三つ目。現役部員はまだかまだかと待ち遠しい思いをしたでしょう。三つ目は病は気から始まるということです。よく話をしていたのでここは短めにいきます。スポーツ選手は自己管理が何より大切です。倦怠感や頭痛があるとき、自分に暗示をかけてください。「俺(私)はできる」*15*3 20秒サイクルです。(なんでもないよ、)
なりたい自分になれたのか
ここまで、ブログを読んでいただきありがとうございました。そろそろ終盤戦突入します。せっかくなので良い写真を共有しておきます。
終わりのときにはいつも始まりを思い出します。入部したときに恥ずかしながらこんなブログを書いていました。読み返してみるとどんな思いで入部したのかがよくわかります。少し懐古の念に浸ってみようと思います。
私がカヌー部門に入部したのは新しいスポーツで活躍したいと思っていたからです。ただ、何事も成し遂げるのは覚悟が必要だと考えていました。しっかりと覚悟を持って入ったようです。安心しました。これから先辛いことも乗り越えていけそうな新入生です。
そんな覚悟をもってカヌー競技にも取り組んできた結果、自分の道を切り開くことができたのだと思います。当初の想定では学業でも成果をあげる予定でした。蓋を開けてみると、学業を犠牲にしてしまうこともありましたが自分の選んだ道を常に正解にしてこれたと思っています。
自分がチームを勝利に導いて、モチベーションを高められる選手になりたいと思っていました。覚えています。ただ、背中だけではなく言葉で支えることも大切だと学びました。主将としてスピーチしたいくつかのイベントでは、部員の心に火を付けるために何を言おうか必死に考えていました。
私自身これまで私が見てきたような主将の背中を私は見せられたのでしょうか。自分の信念のもと、それを貫くことで自分の理想のチームを作ってきました。いつかそれがチームの勝利につながると信じて。もし、万一、伊良波主将のようになりたいと思う選手がいなかったとしても、私自身が自分のことを好きになれました。
浦高魂は常に持っていました。これを一義的に説明することはできませんが、私の中では「逆境に立ち向かう力」だと思っています。カヌー競技においてもそうですが、何事も結果がでなかったり思い通りに物事が進まないときに諦めてしまうことが誰しもあるはずです。そのときに臆することなく挑戦を続けられるか。できるかできないかではなく、自信があるかないかではなく、絶対やる!ただそれだけです。いつでもその歩みを止めず、ただ、がむしゃらに前に進む信念こそが浦高魂なのだと思います。これから死ぬまでこの信念のもと活躍していきたいと思っています。
端艇部での生活は私の人間力をさらに高めてくれたと思っています。長所を伸ばしてくれただけでなく、短所も潰してくれました。私は一人が好きで誰かとずっと一緒にいるのが苦手な人間でした。そのため、最初は大変でした。毎日誰かしらに囲まれて、常に誰かと話をする環境です。慣れというのは怖いものでいつの間にか風呂に入るのも誰かを誘うようになり、正月に一人で泊っているときは寂しさを覚えました。少しは社交的な人間になれたかもしれません。
終わりに
ここまで長々と文章を書いてきましたが、あえて最後に言っておきます。私は多くを語らない主義です。その思いを背中で語ってきました。いや、語ってきたつもりでした。それが私にとっての美徳でした。ただ、背中だけで伝えられる人間じゃなかったかもしれません。こうして文章で書いて残せること大変嬉しく思っています。広報係のブログ担当の方、この機会をくださりありがとうございました。校閲大変ですよね。申し訳ないです。
3年と少しの限られたカヌー部員としての期間。気づけばあっという間に終わりを迎えそうです。辛かった時間の方が多いのに、不思議と嬉しかった記憶しか出てこないものです。それにしても楽しい時間は一瞬で過ぎてしまいます。この刹那的な時間とは対照的に永遠に残るものもあります。それは個人競技のカヌー競技をチームスポーツとして勝利したいという思いです。代々カヌー部員が脈々と受け継いだ勝利への思いを背負いながらこれからの現役部員も勝利だけを目指して突き進んで欲しいと思っています。部活動は一人ではできません。支えてくれる全ての人への感謝を忘れずにカヌーを楽しんでくれたらと思います。
端艇部OBの皆様、コーチ、カヌー連盟、学連、保護者、先輩、同期、後輩。それと荒川でカッコいい写真を撮って応援してくれたあべさん。感謝の気持ちでいっぱいです。充実したカヌー人生をありがとうございました。今度のラストレース。かたちあるものを残せるのかどうかはわかりませんが、どんな結果でも私は胸を張って引退します。
楽しかった。
さようなら。
破れ。慶應。
主将 伊良波快斗