パラアスリートに夢を語ってもらう「ゆめすぽ☆彡」 ~第1弾 古澤拓也さん(車椅子バスケットボール選手)~【前編】
企画概要
Unispoの新企画「ゆめすぽ☆彡」は、先の不安な世の中だからこそ、パラアスリートの方々に夢を語ってもらうことで未来への希望を持ってほしいという想いで立ち上げました。
誰もが「足が遅い」だったり「背が低い」だったり、コンプレックスや障がいを抱えていると思います。そんな困難を乗り越えて、パラスポーツで活躍されているアスリートの方に夢を語ってもらうことで、少しでも希望を捨てずに頑張るきっかけになれば嬉しいです。障がいのとの向き合い方、競技面や精神面、学生へのメッセージなど、内容盛りだくさんでお届けします。
第1回目は、車椅子バスケットボールU-23日本代表のキャプテンを務めた次世代の注目選手、古澤拓也さんにお話を伺いました。本日は、競技との出会い、挫折経験やその乗り越え方に迫ったインタビュー前編をお届けします。
プロフィール
古澤拓也さん(車椅子バスケットボール日本代表)
生年月日:1996年5月8日
出身地:神奈川県横浜市
所属:パラ神奈川SC
ポジション/クラス:ポイントガード/3.0クラス
車椅子バスケットボール
下肢などに障がいのある選手が、競技用車いすを巧みに操作しながらプレーするバスケットボール。使用するコートやリングの高さなどは一般のバスケットボールと同じで、激しい攻防やスピーディーなパスワークが魅力。1960年にローマで開催されたパラリンピック第一回大会から実施されており、現在でも最も人気のある競技のひとつ。
車椅子バスケットボールとは
車椅子になることより、野球ができなくなることが受け入れがたかった
ー車椅子になった時はどのような心情でしたか?
元々先天性の二分脊椎という障がいを持っていました。最初は車椅子をまだ使っていなくて、運動も活発に行っていたのですが、小学校6年生の時に脊髄空洞症という合併症になり車椅子ユーザーになりました。車椅子ユーザーになる前はずっと野球中心の生活を送っていました。だから歩けなくなるとか、走れなくなるとかよりも、野球ができなくなることが受け入れがたかったです。でも車椅子ユーザーになった時に担任の先生、友達が「車椅子かっこいいね」と声をかけてくれて、元気を取り戻すことができました。
ーどのようなきっかけでパラスポーツに出会いましたか?
2008年の北京パラリンピックです。その時、車椅子テニスの国枝選手をみて、車椅子でも活躍できるスポーツがあることを知り、パラスポーツの体験会に参加しました。そのとき12歳くらいだったんですけど、車椅子テニスと車椅子バスケと水泳など一気に始めました。その中でも求めていたチームスポーツ、部活動的な感覚を味わえる車椅子バスケを続けました。
パラスポーツを始めたことで、自分の世界が広がった
ーパラスポーツを始めたときに困難はありましたか?
車椅子バスケを体験したとき、小学校ではバスケを習わないから難しくて全然シュートが届かず悔しい思いをしました。元々どんなスポーツも得意だったので、できないことに納得できなかったです。
でも車椅子バスケは自分を表現できるスポーツで、普段僕は前に出る方じゃないけど、コートに入ると自信に満ち溢れた堂々としたプレーができるんです。また日本代表の試合に出たときに多くの人に応援してもらえて、僕と同じ10代で車椅子になった子供たちから憧れのまなざしを向けられることが嬉しくて、車椅子バスケを続けてきて良かったと思ってます。
ーパラスポーツを始めたことによる心情の変化はありましたか?
もともと野球をしてた頃は休み時間も放課後も外に出てみんなで運動するような活発な子供でした。しかし車椅子になったことで全く運動しなくなり、外にあまり出なくなりました。でも、パラスポーツを始めたことで、外に出て色々な人と交流できる機会も増えました。また海外遠征で多くの国に行き、自分の世界観が広がりました。
継続の秘訣は、書けなかった日もあっていいと思うこと
ーバスケノートを書いているそうですが、いつからどのようなことを書いているんですか?
中学校1年生のときですかね。コーチに体育館にいる間だけが練習じゃないぞと言われて始めました。ノートの内容は普段の練習メニューや試合の良かったところや悪かったところ、メンタルトレーニングもやっているときはゲーム中に何にイライラしたかも書くようにしていました。自分が中に溜め込んでいたことを全部書いています。それで次試合をやるときはあまりそのことでイライラしなくなるんですよね。
ー継続してこれた理由とその効果は?
書けなかった日もあってもいいと思うようにしていました。勉強もそうだと思うんですけど毎日やらなきゃいけないと考えると、できなかった次の日が辛いじゃないですか。書けなかった日があってもいいと思えば、次の日やる気満々で書けるんですよね。効果については、自分のやってきたことが無駄じゃないんだなってことがノートを見たりすればわかるし、ノートじゃなくてもブログとかtwitterでもいいからやってきたことを残すことが大事なんだと思います。そうじゃないと自分が指導者になった時に、今の自分の気持ちで答えてしまうとちょっとレベルが高い話になってしまうと思うんですけど、同じ年代の時のノートを見返せば「その当時の自分よりできてるよ」みたいなコメントができると思いますね。
目標に至るまでの過程を重視することで、挫折を乗り越えられた
ー挫折した経験は競技の中でありましたか?
たくさんあります!U23の日本代表に16歳からなり始めて、21歳からA代表になって、経歴だけ見るとスムーズに進んでいるように見えますが、18歳のときにはじめてA代表の選考合宿に呼ばれて行った時に、2個下の選手(鳥海 連志)がA代表になって僕がなれなかったときがありました。その選手はU23に選ばれてないのに飛び級で合格したんですね。今までは年齢って理由でA代表に選ばれなかったことに対して自分の中で納得させていましたが、その出来事で全て覆されてすごくジェラシーを感じましたし、翌年のリオオリンピックの予選も観客席からその年下の選手を見ていてとても悔しかったです。それが1つ目の挫折です。
2016年からは僕も強化選手に選ばれて、補欠まで選ばれたんですけど年下のその子は選手に選ばれて僕は日本で待機するよう言われて、まだ差があるかって思って、その年に僕は成人式がありましたが、成人式にはいかずに練習をしてました笑 リオオリンピックが終わってから気持ちを切り替えて練習して、10月にはU23のキャプテンに就任することができて、去年までずっとキャプテンをしてました。こんな感じで競技人生のアップダウンが激しくて、うまくいってたときはすごくうまくいってたし、ダメな時はダメでした。競技をやめたいぐらい悔しい時もあったけど、負けず嫌いだからここで辞めたら逃げだなと思いながら諦めずに続けてきました。
ーそのような挫折をどのように乗り越えてきましたか?
僕は目標に至るまでの過程を重視するタイプなので難しい目標を設定することが多かったです。例えば車椅子バスケを始めた時もほとんどの選手はなれない日本代表を目標として、その過程での成長を大事にしていました。過程を大事にすることで競技でアップダウンがあったとしても人としてやプレイヤーとしての質が上がるのかなと自分なりに思っています。なので、目標だけではなくてそれに至るまでにうまくいった場所、そうではなかった場所をきちんと振り返ることができてるから今まで続けてこれたのかなと感じてますね。
ー目標に至るまでにどう成長したかも大事ということですが、古澤さんにとっての成長とは?
色々な側面で思うことがあって、技術力に限らず努力し続けられる選手になることも成長だと思います。ある程度うまくなると探求しなくなるんですよね。そうではなくて追求し続けられるようになるのが成長だし、それ自体が成長に繋がるのかなと思います。
ー挫折などの経験で競技を辞めたいと思ったことはありますか?
辞めたいというか、一回離れたいと思ったことはありますね。2017年のU23の世界選手権にキャプテンとして臨んだんですけど、そこでここ最近で一番良いベスト4という結果を残せたんです、メダルゲーム(3位4位決定戦)でオーストラリアと当たったときに前半20点ぐらいリードしてたのに後半一気に逆転負けしてしまって。そのときが一番悔しかったですね。果てしなく遠いメダルというわけではなく、負けた理由もスキルや能力でもなかったので、立ち直るのに結構時間かかりましたね。そこで競技から離れたいなとも思ったけど、やっぱりここで諦めたら逃げだなって思って結局続けてきました。
あえて厳しい役を買い、プレーで引っ張った
ー2016年からキャプテンに就任されたということでしたが、みんなを引っ張っていく上で工夫したことはありますか?
僕自身キャプテンをやるまではミーティングの時とかも意見を言うような人ではなく、自分がうまくいけばいいやって思ってました。自分がうまくなればそれがチームにも良い影響を与えられるんじゃないかって。受け身でしたね。でもキャプテンになると、そもそも自分がチームミーティングを開く立場になるし、U23だと僕が年上だったので、年下の選手に日本代表としての自覚を促さなければいけなかったので、ずっと一緒に活動してた前キャプテンと相談をしながらキャプテンという役割を担っていました。無闇にリーダーシップを発揮するというよりかは、必要な時に必要な言葉だけを言うようにして、あとはプレーで引っ張ろうと心がけていました。
ー実際にキャプテンとしてチームをまとめるときに衝突などはありましたか?
ありますよやっぱり。みんなエゴが強いので笑 そのときはいいからやれ!みたいな感じで一言で圧力をかけたりしていました。メンバーの相談には乗るけど、プレーの際にどの選択がチームを勝たせられるのかを模索していましたね。そしたらもう誰かが衝突していてもどっちのプレーが正しいのかはすぐにわかるので。ちょっときついことを言うと、逆にメンバーが思いやれるようになるし。あえて厳しい役を買ってチームをまとめていました。
ー競技人生を経た強みなどはありますか?
車椅子バスケを始めてU23の代表になった時にまず先輩に萎縮したし、A代表になってまた萎縮したけど萎縮しててもうまくならないことがわかってたからどんどん練習してたし、ボールを出すポジションだったので責任感も増えましたね。コーチから以前チームが負けたらお前のせいだと言われたりもしていたので、常にギリギリの自分との戦いのラインに立てるようになりました。集中力が上がったって言うんですかね。でもA代表の先輩はまだまだその責任感が強いですね。A代表のキャプテンは選手1人1人がキャプテンのようになることをモットーに練習をしていて、自分もやっと12年間でそのスタートラインに立てた感じがします。
古澤選手の華々しい経歴の裏には、挫折と向き合いそれを乗り越えるための懸命な努力がありました。後編では古澤選手の精神面の強さや今後の夢、パラリンピックへの想いに迫ります。乞うご期待ください!