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Change the view vol.1イベントレポート(ゲスト:NPO法人モンキーマジック代表理事 小林幸一郎さん)

世の中に存在する「障害」【無知・無関心・偏見・差別】を自然となくす仕掛けを作りたい。2017年、unispoはそんなミッションを掲げ発足しました。

ミッション達成のヒントを得るべく、2017年7月13日unispo初めてのトークイベント「change the view vol.1 ~スポーツから考えるダイバーシティ~」を開催しました。ゲストスピーカーにはNPO法人モンキーマジック代表理事小林幸一郎さんをお招きしました。フリークライミングを通じて人々の可能性を広げる活動をしていらっしゃる小林さんのお話から「スポーツを通じて誰もが混ざり合う社会」について探っていきます。

集まったのは大学生およそ45名。パラクライミングに馴染みのない学生のために、小林さんのクライミング風景を撮った動画からトークイベントはスタートしました。
自然の岩を登る様子や、パラクライミング世界選手権で優勝された際の映像を見て、参加者も感嘆の声をもらしていました。
そして動画の最後に映る「見えない壁だって越えられる」の文字。これは、小林さんが代表理事を務めていらっしゃるNPO法人モンキーマジックのキャッチコピーです。

(写真 小林さん講演の様子。スクリーンには「見えない壁だって越えられる!」の文字。)


「視覚障がい者にとって優しいものは何?」


次に映し出されたのは小林さんのいつも利用する西荻窪駅の写真。写真を見ながら視覚障がい者にとって優しいものとは何なのかを考えていきます。
参加者からは「点字ブロック」や「手すり」、「階段の幅が丁度良い」などの意見が出ました。その中で「床がタイルだから音が出やすいのでは?」という「音」に着目した指摘もありました。


"皆さんは目に映るもので優しいかどうかを判断しているけれど、「音」が視覚障障がい者の生活を支えてくれています。"


「例えば改札口の場所はPASMOをタッチしたときの音で判断するし、トイレには場所の音声アナウンスがあります。ホームに流れる鳥の声の真下には必ず階段があるんです。券売機のタッチパネルは視覚障がい者にとって使いづらいものですが、お金をいれるところの上についているテンキーのアスタリスクを押すと、券売機が喋りだします。」小林さんは駅にある様々な「音でのアシスト」について教えてくれました。


"目に見えるものだけがすべてじゃないということに気付いていただきたいと思います。音に気を配ってもらえると新しい発見があると思います。"


「さまざまな見え方がある」


一口に視覚障がい者といっても、さまざまな人がいます。全国約30万人の視覚障がい者のうち、全盲の方は約1割、弱視の方は100万人ほどです。
白杖をもっている人でも見え方はさまざまであり、「どのように見えているのか」を聞くことが必要だそうです。
スライドには5枚の写真が映し出されました。1枚目はピントがあっている写真、2枚目はピントがあっていない写真、3枚目は霧の中にいるような白っぽい写真、4枚目は真ん中だけが見えている写真、そして5枚目は中心が見えず周りだけが見えている写真。小林さんはこの5枚目のタイプで、「見たいときに見たいものを見れなくなってきている」と言っていました。


"他にもいろいろな見え方があります。失礼だと思わずに、「どんな見え方ですか?」と聞くことは「あなたのことを知りたいです」というアピールだと思ってどんどん聞いてほしいです。"

(写真 小林さんに真剣な眼差しをむける参加者の様子)


「視覚障がい者にとってのフリークライミングの魅力」


小林さんは「フリークライミング」というスポーツをされています。最近流行っている「ボルダリング」は室内に人工的につくられた壁を登る競技を示すのではなく、ロープをつけずに下にマットなどを敷いておこなうクライミングのことをさします。「ボルダリング」とロープをつけておこなうクライミングを合わせて「フリークライミング」というそうです。

ではなぜ視覚障がい者にとってクライミングがいいのか、その理由を4つ教えていただきました。
まず一つ目は自分のペースで自分の目標にむかってやることができる」こと。クライミングは誰かと比べるのではなく、それぞれの目標をたてて、それぞれのペースで楽しむことができます。隣の人が難しいことをやっていても、それをできなければいけないということではなく、持っている能力を最大限に生かせばいい、目が見えない人は目が見えないなりの楽しみ方ができるというのが、視覚障がい者にむいている理由の1つだそうです。
2つ目は「ロープやマットで安全にすることができる」こと。目の見えない人がクライミングなんて危険だと思われがちですが、マットが敷かれていて飛び降りても大丈夫なようになっていたり、高いところにいく場合はロープを使うので、極めて安全に配慮されているスポーツだそうです。「むしろ町中を白い杖1本で歩く方がよっぽど身の危険を感じることが多いです。」と小林さんは言います。
3つ目は「クライミングは障がい者スポーツではない」ということ。ここでいう障がい者スポーツとは、障がい者のための特別なルールや特別な道具があるものです。クライミングは障がいがあってもなくても、同じ場所で同じルールで同じことを楽しむことができます。クライミングは障がい者スポーツではなくて、ずっと楽しむことができる「生涯スポーツ」である、と小林さんは言います。
4つ目は「新たな自信と可能性を広げる」ということ。障がいを持つ人がクライミングに出会い、「できないと思っていたことができるようになる」という経験を通じて、他のこともきっとできると思うことができます。それがクライミングというスポーツの可能性だそうです。

(写真 多くの学生が小林さんの話に耳を傾けている)


「小林さんとクライミングの出会い」


お話は小林さんの人生に移ります。スイスイと壁を登る小林さんですが、意外にも小学校のころ1番嫌いな科目は体育だったとのこと。一生懸命コツコツやるのが性に合わず、中学も帰宅部だったそうです。そして高校2年生の春、たまたま本屋さんで立ち読みした雑誌に載っていたフリークライミング特集が、小林さんとクライミングの出会いでした。


"これなら俺にもできるかも。誰かと競い合わなくていいんだ。自分の目標に向かって、自分の限界をあげていけばいいんだ。 "


早速雑誌に載っていたクライミング教室に申し込みをし、小林さんはクライミングを始めたそうです。豊かな自然の中で、今まで自分が出会ったスポーツとは違う価値観に触れあった瞬間だったと語っていました。
大学4年間はバイトをしながら世界各国にクライミングをしにいったそうです。「小中高と停滞していた生き方を変えるようなアクセル全開の4年間だった」と言います。

就職は旅行会社に3年間、その後アウトドア用の服を扱う会社に転職しました。そこではアウトドアツアー、スクールを企画運営もしていたそうで、充実した日々を送っていたそうです。「私はこのままクライミングは趣味として、アウトドアのガイドの仕事を一生していくんだろうな。」そんな未来予想図を描きながら仕事に励んでいたと話します。


「病気の発症、そしてモンキーマジックの設立」


ある日のこと、車を運転中に「見えづらさ」を感じはじめたそうです。小林さんは子供のころから視力が良好で眼鏡もかけたことが無かったそう。生まれて初めて行った眼鏡屋さんでは視力がうまく測れず、眼科へ行きました。28歳の小林さんは、そこで医師に言われた言葉を最初理解できなかったと言います。
「あなたは、遺伝を原因とする進行性の網膜の病気です。治療方法はなく、近い将来失明します。」
病気はだんだんと進行していきました。アウトドアガイドの仕事をしているのにも関わらず色の鮮やかさから失われていき、新聞や雑誌の文字、人の顔も分からなくなっていく。様々な現実が押し寄せてくる中で、「次は一体何が出来なくなるんだろう?」そんなことばかりを考える日々を送っていたそうです。
病院をいくつ回っても診断結果は変わりませんでした。「あなたの病気は初期段階だから、まだ大丈夫ですよと言ってくれる先生もいました。でも私は誰かと比較してほしいわけじゃなかったんです。俺はこの先どうやって生きて行けばいいのかを聞きたかったんです。」目の中は覗き込んでも心の中までは覗き込んでくれない医師たちに、次第に諦めの気持ちが満たされていったと小林さんは言います。
友達の紹介で行ったロービジョンクリニックにも最初は期待していなかったそうです。しかしそこで出会ったケースワーカーは、後の小林さんの生き方を大きく変えることになります。


「先生、次に私は何ができなくなるのでしょうか?」
「大切なのはこれから何ができなくなるかではなく、あなたが何をしたいのか、どうやって生きていきたいのかなんですよ。それがあれば私たちもあなたの周りにいる人もそして社会の仕組みも、あなたのことを応援してくれるはずです。」


「肩に乗っていた重い荷物を降ろしてくれるような言葉で、足元ばかり見ていた自分がまた前を向いて歩いて行けるような言葉でした。」と小林さんは言います。小林さんは視覚障がいの自分が出来る事は何だろう、と考えるようになりました。

そんな中小林さんはアメリカの友人から結婚式に誘われてコロラドへと行きました。そこで全盲でエベレストに登ったアメリカ人の話を聞き、大きな衝撃を受けたそうです。「たくさんの有名な登山家が命を落とすような山に、全く目の見えない視覚障がいの人が登れる。その話を聞いて視覚障がいっていうのは自分が思っているよりもはるかにいろんなことができるのではないか」と感じたそうです。
小林さんは帰国後早速全盲のエベレスト登頂者エリックにメールをだし、一緒にクライミングをすることになりました。小林さんは心の中で持っていたあるアイデアをエリックに相談します。
「僕は16歳のころからクライミングを愛してきて、目の病気が分かってからも細々と続けてきました。自分が続けられるんだから、自分以外の視覚障がい者にもクライミングの素晴らしさ広めたいと思っているんだ。」
エリックはこう答えました。
「アメリカでは多くの視覚障がい者がクライミングをしているんだ。日本でもしまだ誰もそんなことをしていないのなら、それこそコバの仕事じゃないのか。」
こうしてNPO法人モンキーマジックは誕生しました。

「モンキーマジックを始めてから自分自身の世界も広がった」と小林さんは話します。盲学校の子供へ教えに行くこともあれば高齢の方と登ることもあります。世界中のパラクライマーと共にキリマンジャロ登頂をしたり、スペイン人の片脚のクライマーとパリ郊外でボルダリングをしたこともあるそうです。大会で戦った相手は敵ではなく仲の良い友達という感じで、大会が終われば一緒に岩登りに行くような素敵な出会いだと小林さんは語ります。
視覚障がい者向けの団体として始まったモンキーマジックですが、2011年より交流型クライミングイベント「マンデーマジック」を開催しています。「見える人も見えない人も、聞こえる人も聞こえない人も、同じルールで同じスポーツをする時間を共有することで距離が縮まり、一緒の事を楽しむ意味がでてくる」と小林さんは言います。


"みなさんにとって期待と希望の違いって何ですか?私は期待とは何か良いことが起こるのを待っているだけ、希望は望みにむかって自分の足で歩いていることだと思います。高校生でクライミングに出会ったとき、目の病気が分かったあと病院の先生に言葉をかけてもらって次のステップに進んだとき、エリックに出会ったとき、モンキーマジックを立ち上げたとき、それぞれ自分で勇気をもって前に進んだから今の自分でいられるのだと思います。これからも誰も持ってきてくれない未来に向かって歩んでいきたいと思っています。"

(写真 自らの半生と思いを語る小林さんの様子)


「見るべきものはなに?」


例えば白い杖、車いす、手話で話している様子を見たとき。接点がなければないほど「視覚障がいの人」「車いすに乗っている人」「耳の聞こえない人」と表現してしまいたくなります。「必要なことはその人の杖や車いすを見る事ではなくて、その人自身を見る力をつけることだ」と小林さんは言います。
最後はモンキーマジックのキャッチコピー「見えない壁だって越えられる」に戻り、こんな言葉で締めくくりました。


"自分はここまでしかできない、どうせ頑張ってもできないと決めつけることがみなさんにとっての「見えない壁」だと思います。それを超えていくのも、諦めてしまうのもみなさん自身です。クライミングはたくさん失敗してたくさん落ちて、その中で次に進めてゴールまで行けて、できないと思っていたことができる、そんなスポーツだと思います。多くの人にクライミングを経験してもらって、その意味を考えてもらえたらと思います。 "


「小林さんの中の見えない壁」

質疑応答では参加者から様々な質問があがりました。その中でも「小林さんの今までの人生の中で一番大きかった見えない壁は何ですか」という質問では、今後の小林さんの挑戦について語っていただきました。

小林さんのクライマーとしての目標は試合や大会で優勝することではなく、ある岩壁を登ることでした。その岩壁はアメリカのカリフォルニアにあるヨセミテ国立公園の中にある、スカイツリーと東京タワーを足した高さの世界で一番高い壁です。その岩壁を登ることをクライマーとしての目標としていた小林さんは、目の病気が分かって間もないころ、無理に登頂しにいったそうです。「目が少しでも見えているうちに登らなきゃいけないと思って、焦って登りにいきました。でも、ろくにトレーニングもしていなかった自分には登れるわけもなく、一緒に行った人に『お前なんかにはここは無理だ』なんて言われて、1日目で降ろされたんです。そこで言われた『今の日本の男はこんなに弱いのか』という言葉がずっと心に残っていて、僕の中ではいまだに超えられない壁になっています。」と小林さんは話します。


"でも自分の中で変わっているのは『この岩壁を登ること』に焦っていないということです。焦って登りにいくのではなく、きちんと準備してコツコツ積み重ねることで登頂を果たす。それが出来れば、僕はまだ未来に向かって歩いていけるということを確認できると思います。この挑戦が、僕の心の中にある大きな見えない壁です。 "


小林さんの中の最大の見えない壁は、とても前向きで未来へと繋がるものでした。自分のペースで、自分自身の目標にむかって挑戦し続けるパラクライマーの小林さん。「スポーツを楽しむことを忘れずに、大学を卒業してからも一生涯続けてほしい」という小林さんの言葉の通り、誰もが一生涯スポーツを楽しむことの価値を感じることができました。

(写真 小林さんと参加者全員でモンキーマジックのポーズで記念撮影)


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