パラアスリートに夢を語ってもらう「ゆめすぽ☆彡」 ~第3弾 永岡真理さん (電動車椅子サッカー選手)~【後編】
周囲のサポートで壁を乗り越えてきた永岡さんは、Yokohama Crackersのキャプテンを務めるだけでなく、女性初の日本代表選手でもある。両者それぞれの立場でのお話を伺った。
個々に目を向けたきめ細やかなリーダーシップ
—— 永岡さんは、Yokohama Crackersのキャプテンでもありますが、キャプテンとして大変なことは何ですか?
電動車椅子サッカーに限らずですが、Crackersのメンバーを含め選手は個性が強く、自分の意見を言える人やなかなか言い出しづらい人、積極的に話す人など一人ひとり性格が違うので、みんなの意見を拾うことが大変なときもあります。
—— チーム内でモチベーションの差があるときは、自分のなかでモヤモヤすることもあるかと思いますが、どのように対処していますか?
まず、フォーカスする選手の性格を見極めます。あとは、その選手の環境がサッカーに取り組める環境なのか、例えば親の支援の程度や仕事先の電動車椅子サッカーに対する協力体制など、選手のモチベーションが変わってくると思う背景を、直接聞くことは難しいけれどコミュニケーションを積み重ねて知ることはできると思っています。
(提供:永岡さん)
どうしようと思う時間があったらまず動く
—— 代表ではプレッシャーがとてもかかると思うのですが、そういったものを感じたりはしますか?
前回の大会でオーストラリアに行く前にすごいプレッシャーはあったと思います。その大会がW杯の出場権を決める大会だったので、負けたら終わりなんですよ。負けたら次のW杯へ日本は行けないので、それはすごいプレッシャーですね。
—— 永岡さんは、これまでの経験でそういうプレッシャーを感じた時は、どんなことを考えて、どうやってメンタルを保っていますか?
「あーどうしよう」と思うとどんどん追いつめられるので、どうしようと思う時間があったら練習した方が良いかなと思うようにしていましたね。
プレーヤーとして、常に周囲への気配りを欠かさず、重圧のかかる場面も経験してきた。フィールドの外では、株式会社マルハンの社員として電動車椅子サッカーの普及活動に力を入れている。
実を結び始めた地道な普及活動
—— マルハンさんで電動車椅子サッカーの普及活動の仕事をされていますが、就職まではどのような流れでしたか?
電動車椅子サッカー初のW杯が2007年に日本で開催されることが決定して、最初に支援してくださったのがマルハンでした。マルハンはW杯の2、3年前から国内の電動車椅子サッカーに対する支援を行っていました。そこから社会で障がい者の就職が課題とされるようになり、マルハンも在宅勤務できる社員を募集した結果、その時の私のチームの監督ともう一人別の選手が就職をしました。私は当時高校生だったので大学に進学したのですが、いざ私が大学卒業する時に、どうやってサッカーを続けるのかを考えた際、先に就職していたお二人のこともあったので一度自分から会社にお伺いして就職をさせてもらえないかと聞いたのがきっかけですね。
—— 普及活動においての永岡さんのモチベーションは何ですか?
やはりマイナー競技なので一気に世の中に広めることは難しいと思います。なので最初は一つのイベントや記事、番組に出ることで、一人でもいいから競技を知ってもらえたらOKというモチベーションでやってました。本当に100人とか200人とかではなくて、まず一人に知ってもらえたらそれでOKという目標を立てて、それを続けていくうちに、今は一回記事に出ても何十人、何百人に知ってもらえる機会をいただいているので、ちょっとずつ目標を上げているという感じですね。
—— 私たちもその一人だなと感じていますが、永岡さんも普及活動をやっている中で知名度が上がっていることを実感しますか?
本当に昔は「車椅子バスケは知ってるけど車椅子サッカーは知らない」と言われることが多かったんですけど、今は「車椅子サッカー聞いたことあるな」と言われることもあって、それは結構嬉しくて自分も普及に貢献できたならやってきてよかったなと思いますね。
電動車椅子サッカーが必要なもっと多くの人に、届けたい
—— 電動車椅子サッカーをパラリンピックの種目にするという目標があると思いますが、それを達成するための課題は何であると感じますか?
まずは競技の認知度向上と、競技人口がものすごく少ないので競技人口を増やしたいというところですね。選手の障がいの種類としてはSMA(脊髄性筋萎縮症)や筋ジストロフィー、脳性麻痺の方がメインで、障がい者になることは世間的にネガティブなイメージがあると思いますが、私たちにとっては障がいの方がいなくなると電動車椅子サッカーが成り立たなくなるので、非常にもどかしいです。障がいを持って生まれてくる子は親御さんにしてみればすごく大変なんですけど 、障がい者スポーツを広めるためにも競技人口が減ってしまうのは、私たちにとってとてもしんどいことです。まずは今より減らさないように、尚且つ必要な人にとって増えるようにしていけたらなと思います。
—— メディアを対象とした普及活動のイメージでしたが、体験教室を開いたりもされているのですか?
電動車椅子サッカー単体での大きな体験会はあまりないのですが、何かのイベントの中で体験コーナーを設けてもらうとか、そういうところで体験会をさせていただいています。
—— メディアでの普及と体験教室の開催、二つの方向で知名度の向上が大事なんですね。
そうですね。
普及活動では“電動車椅子サッカーをパラリンピックの種目にする”という目標を掲げて活動に励んでいる。それでは、プレーにおける目標は何なのか。そして、それを達成するまでに立ちはだかる壁とは。
世界との差 ーフィジカル・戦術・技術ー
—— コロナ禍における目標は全国大会やW杯とお伺いしましたが、最終的な目標は何ですか?
最終的にはW杯が開催されたとして日本チームを世界のトップに持っていきたいという目標があります。今、日本は最高でも5位なので優勝したいという思いが強いですね。
—— 大会で優勝すれば日本での電動車椅子サッカーの知名度も上がると思いますが、世界トップと日本代表の差はどんなところにあると思われますか?
ひとつはやはりフィジカルかなと思います。外国人選手は体が大きいので重たく体力もあるんですよ。それに対して日本人は車椅子は重いけど、体は小柄で男性でも小さい方もいます。やはり体が大きいと体力を維持できる長さや、回転や競り合いをした時の立ち上がるスピードなどのフィジカルの差は感じます。
(提供:永岡さん)
—— 技術や戦術面の差はあまりないんですか?
もう一つの差として技術面ももちろんありますね。
—— それはフィジカル面の差からくる技術の差ですか?それとも操作テクニックや車椅子の性能などですか?
全く別ですね。例えば電動車椅子サッカーは1チーム4人の選手が出場しますが、外国では、ゴールキーパーはキーパーのポジションにいなくて4人でサッカーをやることが多いんです。でも、日本ではキーパーは“ゴールの前にいる人”というのがあって、フィールドでは3人でプレーをしている状態です。でも外国人選手は4人であることを有効活用した戦術をするんですよね。相手をたくさん動かして、ボールのスペースをちゃんと作ります。日本は3人でプレーすることが主流なので、4人サッカーでのスペースの作り方などあまり定着しづらいかもしれません。そういうサッカー文化の違いもあります。
あとは本当に技術ですね。日本と海外では練習量からして差があると思います。外国人選手は練習量が多いようですが、日本はプロ選手並みに練習できる選手は少ないかなと思います。海外では普通に外でも体育館でもやりますし、プロとなればきちんと支援を受けられるシステムがあると聞きますが、日本はなかなかそういうところが整っていないので練習量からして違いますね。
“車椅子は危ない”というレッテルが強い
—— その練習量を確保するための環境があるかないかは電動車椅子サッカーだけではなく、ほとんど全てのパラスポーツで日本は環境が良くないのではないかと思うのですが、なぜこんなに差があると思われますか?
体育館を使う競技だったら使える体育館があまりないというのが課題かなと思います。使えない理由としては、車椅子は床を傷つけるから危ないなどですね。なかなか許可を得られません。
—— その理由は、車椅子について知らないからでしょうか?啓蒙・普及で解決していけそうな課題ですか?
私も体育館を使えるかよく聞くんですけど、傷やその後の修復費用などを気にするんですよね。あと、傷をつける前提で話してきて、“車椅子は危ない”みたいなレッテルがとても強いです。“電動車椅子は危ないものだ”というイメージがすごい強いと思います。
—— 知らないものに対して臆病なのかなとも思いますね。慎重といえば聞こえはいいけど、臆病で何か責任を問われるようなことは手をつけたくないぞみたいな感じですかね。
そうですね。
—— それで、その疑問とか不安とかを解消していくためのアクションはあまり積極的には起こさないみたいなムードが漂っているような気がしますね。
それが日本の文化なのかなってずっと思っています。
—— しかしパラスポーツそれぞれが頑張ってそういうところをこじ開けていければ、多分他のことでも変わっていく可能性はきっとあるんじゃないかなと思います。でも全部一人でやるのは大変ですね。「体育館を使わせてください」というお願いは永岡さんが言いに行くんですか?
チーム練習の会場についてはチームの代表やスタッフが問い合わせてやっていますが、今度私も地元の体育館を使えないか交渉しに行こうと思っています。以前にも、事前に教育委員会を尋ねたことがあって、私は「どうやったら借りられますか」というのを聞いたのですが、「直接学校に問い合わせてくれ」と言われました。さらに、「電動車椅子は傷がついたり怪我したりとかという懸念があるのでどういう学校の反応があるかわかりませんが」というような感じで言われてしまったので、やっぱりそうなんだなと。まだ今は行動を起こせずにいます。
—— おそらく、あらゆる競技でそういう問題は起きているんだと思います。ただでさえ大変なのに、練習する当人が一人で戦わなければいけない。なのでそのようなところでサポートできる体制とかできていければいいなと思います。
電動車椅子サッカーは“生きがい”
(提供:松本力さん)
—— 永岡さんにとっての電動車椅子サッカーとは?
ちょっとありきたりかなとは思うんですけど、“生きがい”ですね。日々サッカーをするための活動をしているので、本当に生活の一部ですね。
—— 電動車椅子サッカーと出会ってなかったら、今とは全く違う生活だと思いますか?
この前も記者さんに「電動車椅子サッカーに出会ってなかったらどうされてますか」と聞かれて、「たぶんすごい友達が少なかったと思います」って答えたんです。やはりサッカーをやっていると色々な方と出会うことが本当に多いです。イベントや大会、練習に来てくれるボランティアさんなど、人と出会うことがすごく多いので、大事にしていきたいなと思いますね。
コロナ禍であっても諦めず、自分が本当にやりたいことをやる
—— 今はコロナ禍でスポーツを続けることが難しい学生も多いと思います。最後に、夢を追う学生にメッセージをお願いします。
コロナ禍で思うように活動ができないとは思いますが、その中で自分が本当にやりたいということを悔いのない形でやってほしいなと思います。やはり人生一度きり。明日何が起こるかわからないので、コロナ禍でできないからやめてしまうというよりも、自分の納得のいく形で活動していって欲しいです。
永岡さん、ありがとうございました!最後に記念撮影📸