パラアスリートに夢を語ってもらう「ゆめすぽ☆彡」 ~第2弾 小貫怜央さん(車椅子ソフトボール選手)~【前編】
第1弾に引き続き、本日は小貫怜央さんへのインタビュー前編をお届けします。前編では、車椅子ソフトボールとの出会いや競技の魅力について迫ります。
~小貫怜央さんへのプロフィール~
・車椅子ソフトボール日本代表
・TOKYO LEGEND FELLOWS 所属
~経歴~
小学1年生で野球を始め、地域の軟式野球クラブチームに所属。
中学では軟式野球部に入部し、控えのファースト、試合ではスコアラーとして活躍。
中学3年冬、左膝に骨肉腫が見つかり、人工関節に置換する手術、抗がん剤治療を受け、野球選手としての道を絶たれた。
高校2年夏より、軟式野球部にマネージャーとして入部。
高校3年秋、偶然にも車椅子ソフトボールに出会い、現在、日本代表として活躍中。
~車椅子ソフトボールとは?~
車いすソフトボールとは、原則的にスローピッチ・ソフトボールの公式ルールに則って行われる10人制の車いすスポーツ競技です。発祥はアメリカで、約44年前から全米選手権が行われている。日本において、2012年にアメリカで開催されたワールドシリーズに有志により日本代表をチームを結成したのがスタートである。2013年には一般社団法人日本車椅子ソフトボール協会(JWSA)を発足し、同年には第1回全日本車椅子ソフトボール選手権大会が北海道で行われた。現在、全国で20チームが活動している。2028年のロスパラリンピックでの正式種目入りを目指すとともに、障がい者と健常者、男性、女性、年齢においても分け隔てなく誰もが一緒に同じフィールドで楽しむことのできる、バリアフリーなスポーツとして、普及・発展を目指している。
車椅子ソフトボールとは より作成
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病気になったこと以上に野球ができない悲しさが大きかった
——小貫さんは中学3年生の時に骨肉腫を発症されたそうですが、病気が発覚した当時はどのような心境でしたか?
最初は足が痛くて、怪我かなと思っていたところから、少しずつ重大さが増していきました。病気の名前を聞いて、薬をもらって治療が必要と言われた時ですら、まだピンと来ていなくて、深刻さを感じていなかったんです。ただ、一つだけ今でも記憶に深く刻まれているのは、「走ることができない。野球をもうできない」と聞かされた時の衝撃です。それだけは忘れられませんね。
——もう野球ができないとわかった時からどのように気持ちを立て直しましたか?
「野球ができない」と聞かされたときが悲しみのピークで、徐々にその状況を理解していった感じです。何かの瞬間やきっかけで大きく変わったということはないですね。今も普通に野球をやりたい気持ちはあって、プレーはできないけれど何とか野球に関わりたいと思っていました。
そういう風に前向きに捉えられたのは、シンプルに「野球が好きで、自分には野球しかなかった」からですかね。野球に関わるには、高校の部活で言えばマネージャーをやるしかなかったから、マネージャーになりました。今まで熱心に取り組んできた野球への情熱が自分を支えてくれていましたね。あとは、時期的に中学から高校にあがるタイミングでの病気の発覚で、同じ中等部の軟式野球部の仲間たちが塾高で野球を始めるときだったから、素直にマネージャーとして携わりたいなって、自分のやりたいことをすり替えていったという感じです。
辛い治療期間も精神的に追い込まれることは特になかった
——なんで自分なんだろう?という思いを感じた瞬間はありましたか?
すごい落ち込んだのは2日くらいで、仕方ないと思って入院生活を送っていましたね。家族を含め、お見舞いに来てくれる人の「自分が生きている」ことに対するリアクションが思ったよりも大きくて、そういった周囲の反応で事の重大さを自覚したくらいなんです(笑)
だからどん底だった時期というのは特には無いかもしれないですね。治療はたしかにしんどいけれど、精神的に追い込まれたことはなかったかなと思います。治療期間中も、留年しないために友達からノートを借りて勉強していたとので、メンタルがやられたことは特にないです。
——精神的にタフだなという印象ですが、闘病中に支えとなったものはありますか?
入院生活の中で言うと、野球はもちろん、ラジオも支えになっていましたね。病院内で話す相手もいないのでお笑いのラジオとか聴いていました(笑)
一番印象的なのは爆笑問題がやってるお昼の番組で、タレントの大橋巨泉さんも当時放射線治療をして味覚が無くなったという話を耳にしました。「自分の抗がん剤治療もしんどいけど、もっと大変な人もいるんだ」と思って、支えにはなって助けられた記憶はあります。
(提供:小貫さん)
諦めかけていたプレイヤーとしての道が再び開かれた
——続いて競技について話を伺いたいのですが、まずどういったきっかけで車椅子ソフトボールに出会ったんですか?
一言で言うとTwitterで見つけたからですね(笑) Twitterで車椅子ソフトボールの記事を偶然見つけて、「俺でもできるじゃん!」という想いからすぐに近くのチームを調べて連絡を取って、直後にあった練習に参加しました。
——もともと思い立ったらすぐに行動するようなタイプだったんですか?
そんなことはないと思うんですけどね(笑) 今までを思い返してみてもそういったことはなかったです。でも今思えば、逆にその時がきっかけだったかもしれません。車椅子ソフトボールの練習に飛び込んで以降は、とりあえず行ってみる、連絡してみるという意識を持つようになったかもしれないです。やっぱり自分から情報を取りにいくといいことあるんだなってその時気付かされましたね。
——大学でも野球部のマネージャーを続ける選択肢もあった中、支える立場としてではなくて、プレーヤーとして車椅子ソフトボールをやりたいと思ったのはどうしてですか?
車椅子ソフトに出会う以前は、自分自身がプレイヤーとして野球をするという選択肢が僕にはないと思ってました。だからプレイヤーの選択肢がない中で、どうにかして野球に関わろうと思った結果辿り着いたのがマネージャーだったんです。
でもプレーヤーとして関わりたいという想いがやはり1番だったので、その中で僕にもできるスポーツに出会ったから、「じゃあやってみよう」という感じですね。
——小貫さんは、車椅子バスケもプレーするそうですが、実際に車椅子バスケを始めてみてソフトとの違いを感じますか?
ソフトボールは、車椅子に乗るということ以外は今までの野球でやったことのある動作だったので、ある意味楽だったんです。反面、バスケを始めたときは、車椅子は乗りこなせるけど、バスケ自体はやったことなくて、シュートの打ち方すらわかりませんでした。その点、バスケは新しいことにどんどん挑戦し、動きやシュートの打ち方を習得して上手くなれるのが楽しいですね。
ソフトは日本で歴史の浅いスポーツで技術力の高い人が多いわけではないので、自分が車椅子ソフトならではのテクニックを発掘していく面白さがあります。
自分の楽しみ方の違いはそういうところですね。
(提供:小貫さん)
車椅子ソフトボールは共生社会の縮図になれる
——小貫さんが感じている車椅子ソフトボールの1番の魅力は何ですか?
やっぱり車椅子ソフトボールを宣伝していく中で1番打ち出している表面上の魅力は、様々な障がい・性別の人が一緒にできるスポーツであることだと思います。基本的には下肢に障がいを持つ方がプレーするスポーツだけど、試合参加時には上肢に障がいを持つ方も含めなければいけないので、様々な障がいを持つ方々が参加できるという点では、車椅子ソフトボールならではの魅力かなと感じています。それに、日本では障がいの有無や性別に関係なくプレーできるスポーツなので、そこもイチ押しポイントですかね。誰でもできるという点で車椅子ソフトボールが共生社会の縮図になれればという想いはあります。
最近では、そういった車椅子ソフトの「誰でもプレーできる」という考えが車椅子バスケにも広がってきていて、去年の4月からは健常者の参加も可能になりました。このような動きが今後どんどん加速していけば良いなと思っています。
——表面上の魅力というところに引っかかったんですけど具体的にどういうことですか?
今言った誰でもできるという魅力は前提条件でなければいけない部分であって、この競技の魅力であってはならないんですよね。じゃあこれを踏まえた上でこのスポーツの本当の魅力は何かって考えた時に、現段階での競技の魅力の1つは「これから成長していくスポーツである」ことだと思っています。車椅子ソフトボールは現在パラリンピックの種目化を目指していて、世界的にも徐々に広まりを見せているスポーツです。そういった意味では、これから盛り上がっていくスポーツに関われることはなかなかないと思うし、そういうところに面白さを感じています。
——小貫さんは選手として車椅子ソフトボールをプレーすることに加えて、普及活動も熱心に行っていると思いますが、こうした活動を継続できるモチベーションはどこにあるんですか?
純粋に車椅子ソフトボールが楽しいと感じているから、できるだけ多くの人に知ってもらいたいですね。後は、自分自身が障がいを負う前後、車椅子ソフトボールに出会う前後で考え方が大きく変わったなと自分の中で感じています。障がい者にとって障がいは日常であって、例えば生まれつき車椅子で生活しなければいけない人に対して「車椅子の生活大変ですよね?」と聞いてもそれは当事者からしたらあくまでも日常であるということに気付きましたね。
こんな風に自分が障がいを負う中で経験した障がいに対する考え方の転換をより多くの人に知ってもらいたいですね。そういった意味では、車椅子ソフトボールはこの想いを伝えていく上で1番体現できるスポーツだと信じているので、これを広めていくことが大切だと思っています。
現実を受け入れ、車椅子ソフトボールとの出会いを通してプレーヤーとしての道を再び歩み始めた小貫さん。後編では日常生活についてや小貫さんの今後の夢に迫ります。乞うご期待ください!!!