公立小学校は地獄。小学校受験のすゝめ
あらかじめ断っておきますが、
ここでは
「公立小学校に進学することが全般的に悪である」と主張しているではありません。
この話はフィクションです。
特定の個人や組織を誹謗中傷するものではありません。
フィクションとして、
ご参考ください。
もとより、
このブログを見ていただいた方は、
少なくとも小学校受験・受験全般に関心があり、
もちろん、
お子様にはある程度以上の水準の(いわゆる高学歴の)大学には
進学してほしいとお考えであると、
仮定しております。
居住地域にもよりますが、
多くの場合、公立の小学校・中学校では、
個人的な体感では8割以上の学生が、
いわゆる低学歴・低所得労働者として、
人生を過ごしていきます。
ほとんどの人が、
動物の集いみたいな、
授業もまともに進行されていない
低偏差値の高校卒業後、
劣悪な工場や劣悪な労働環境の会社に就職をするか、
「名目上の」専門学校に進学していきます。
そして、
ほとんどの人が、
単純労働者、肉体労働者、
あるいは、
平均的な労働者、非生産階級、
ただの消費者として、生涯を終えていきます。
公立小学校・公立中学校では、
学生にとっては
低俗なテレビ番組やゲームの話が
唯一の話のネタであり、
同じような趣味や嗜好を持っていない子供、
例えば、教養高い親御様の下で育ったお子様は、
仲間外れにされます。
話が合う友達もできませんし、
考え方、話す言葉の種類、趣味や嗜好も、
全面的に異なるため、友人として噛み合うわけがないのです。
教養のあるお子様からすれば、
あたかも言語・文化の異なるスラム街に放り込まれ、
その中で投獄されたようで、
小学校~中学校と9年間にかけて、
資本主義社会の「囚人」と共に時間を過ごさないといけないのです。
そこでは、
長期間にかけて
莫大な精神的苦痛が伴い、蓄積されます。
お子様が、
隠蔽された暴行・傷害によって、
長期にわたり、犯されていきます。
その苦痛が賠償されることもありませんし、
法的救済が行われる根拠もありません。
いわゆる文化的資本の水準が高いお子様にとっては、
自分と価値観が合う人間に遭遇する可能性は低く、
自分が間違っているのではないかと、
疑心暗鬼になったり、
自信を失ったり、
自分の可能性に蓋をしてしまう可能性があります。
水準の低い公立の小学校・中学校では、
生涯の財産になるような
友人に巡り会うことも難しいでしょう。
もちろん、
親御様にとっても当てはまります。
保護者同士の交流でも、
フランスの社会学者、ピエール・ブルデューが提唱した、
文化的資本・経済的資本を大して持たない、
労働者階級の方々と、
意義のある交流を行うことは難航します。
むしろ、
勝手に相対的な敷居の高さを感じられ、
妬まれたり、敵対視されるリスクも想定されます。
そのような
公立の小中学校に通わせることは、
親御様も含め、お子様を「生き埋め状態にする」に等しいです。
これに対して、
小学校・中学校受験をすれば、
大学受験をしなくていいから、
苦労が足りない、
頑張る力を成長させることができない等の
反論が見受けられます。
しかし、
大学受験なんて、
労働者を育成する制度です。
現代でいう、奴隷や兵隊を養成する制度です。
お子様を奴隷・兵隊にするために、
子育てを行うという考えなのでしょうか。
もっとも、
兵隊が兵隊を生み出すという、
恒常的な階級の再生産と解するならば、
批判の意義や
改善の余地は期待できませんね。
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