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卵巣チョコレート嚢胞と子宮筋腫、ポリープを手術で取った話

2020年秋、私は生まれて初めて手術をするため病院へ入院していた。
手術するに至った経緯はこちらを参照して頂きたい。

前回の記事にも記載したが、この記事が同じ手術を受ける方にとって少しでも有益な情報になればいいと思う。(痛みの感じ方については個人差があると思うが…。)


本編

同年春頃から骨盤腹膜炎を繰り返していたが、ようやく原因と思われる病気が判明した。

子宮内膜症による卵巣チョコレート嚢胞
子宮筋腫
子宮ポリープ

が私の体の中にできていた。
チョコレート嚢胞とは何ぞや?という方は是非ググって頂きたい。

私はこの骨盤腹膜炎を繰り返すまで、生理痛やPMSが酷い方ではあったが、規則的に生理は来ていたし、ただの体質なんだろうと思っていた。
しかし知らぬ間に色んなものが体の中に出来ていたのである。人体って怖い。

クリニックの先生から
「手術しちゃう?」
と軽く聞かれた時は看護師である私でさえ動揺した。きっと医療職ではない方々は余計に動揺してしまうだろうと感じた。

「これはどっちにしろ近々手術しなきゃいけなくなるよ。総合病院に紹介するからね。」
と言われ、覚悟を決め、手術することにした。


ここからは手術から退院までの流れや出来事を書いていこうと思う。

入院後、担当の看護師さんから入院中の流れをクリニカルパスで説明された。
クリニカルパスとは入院~退院までの大まかな流れが1枚の紙にわかりやすく記載されたものである。
私が受ける予定の手術は腹腔鏡下の手術と子宮鏡下の手術であるため、傷も小さく治りも早い。仕事で何度も腹腔鏡下での手術を行う患者さんを診てきたため、だいたいの流れは分かっていた。

一通り説明後、
「では、今日の15時頃ラミナリアという処置をします。それまでにシャワーを済ませてください。痛いですけど、私もついてますからね。」
と看護師さんから説明された。

ラミナリア?

今まで婦人科と産科で働いたことが無かったため、聞いたことがない処置だった。
説明後、すぐにラミナリアについて携帯でググッた。

ラミナリアとは、海藻で出来た棒状のもので、それを何本か腟内に挿入し、それが分泌液を吸収し、ふくらむことで子宮頸管を拡張するというものだった。

そして、ラミナリアと検索すると

ラミナリア 痛い
ラミナリア 陣痛
ラミナリア 本数 

と何やら不穏な検索結果が表示された。
私はそのままラミナリアを実施したであろう方々のレポートを読みまくった。
それにはどれも「痛い」「意識が飛んだ」「激痛」などと書かれていた。

怖すぎる。

ショックだったが、とりあえずシャワーに入りラミナリアを待つことにした。


14時
「〇〇さん、ちょっと早いけど、先生が出来そうだから、ラミナリアしますね。処置室まで来てください。」

と予定より1時間早くその時はやってきた。痛いと知ってから早めにロキソニンをもらって飲んでおいてよかった。
処置室で内診台に乗り、若い男の先生が処置を始めた。

正直、思っていたより全然痛くなかった。

内心、「全然余裕じゃん。びびらせんなよ~」と思っていた。
しかし、段々と不穏な空気が漂い始めた。

「うーん…もうちょっと…入るかな…うーん…あ、〇〇さんちょっとお待ちください。」

私は瞬時に察した。上級医を連れてくるのだと。その勘は残念ながら当たってしまい、上級医であろう先生が、

「ちょっと痛いけど我慢してね~!」

と言い、ラミナリアを挿入した瞬間激痛が走った。これは痛い。言うなれば、先の尖った鉛筆を腟内にギュウギュウ入れられている感覚だった。しかも、それをトンカチのようなものでカンカンと叩きながら奥まで入れている。

思わず「う"っ!!!」
と声が出た。
しかし、痛いのは一瞬で、入ってしまえば痛みはすぐにおさまった。

「はい、じゃあ終わりです。」
と言われ内診台から降りた。若干の股間の違和感はあったが、そんなことより終わった喜びの方が大きく感じたので、もうどうでもよかった。せっかくシャワーを浴びたのに、汗ビチョビチョで自分のベッドへ戻った。

しかし、本当の地獄はここからだったのである。

下腹部が痛い。

本当に本当にひどい時の生理痛のような痛みが襲ってくる。ラミナリアを行ってから3~4時間後から、痛みが増強してきた。夕方の18時頃には四つん這いでうずくまる程だった。携帯なんか弄っている場合ではない。頭の中が痛みに支配されてしまい、陣痛の痛みってこんな感じなのかなとふと考え、恐ろしくなった。
次の鎮痛剤を飲めるまであと30分程あったが、たまらずナースコールで看護師さんを呼んだ。

若い看護師さんは「あと30分くらい我慢できるでしょ!」

と言い、立ち去っていった。
正直、心の中で〇すぞと思った。

いや、看護師さんの言いたいこともわかる。忙しい時間帯に呼んでしまって大変申し訳なかった。私だって看護師だからわかるんだ。しかし、せめて心の中に留めておいて欲しかった。
と、絶望に打ちひしがれていると別の看護師さんが「あと30分したら飲んでね」とロキソニンを置いていってくれた。

はい、ありがとうございます…と返事し、看護師さんが帰って行ったすぐ後にロキソニンを飲んだ。その後、朝まで痛みは感じることは無く、20時頃下剤を内服し、眠った。

飲んだ下剤はマグコロールPとセンノシドという薬だ。マグコロールPはマグPと呼ばれ、水に溶かして飲む。既に溶かされていたマグPは限界まで濃く作ったジャリジャリな粉末のアクエリアスみたいな味がした。ちょっとクセになる味だ。

そして手術当日、朝の4時半頃から下剤による下痢祭りが始まり、お腹を下す度にトイレへ駆け込んでいた。

10時頃、やっと下痢が落ち着いてきたため、手術までYouTubeでも見てるかと呑気にしていたところ、師長が現れ

「午前中手術予定の人が熱出ちゃって。〇〇さん今から家族呼べる?」

と申し訳なさそうに言ってきた。
私の手術は午後オンコールの予定だったので、急いで夫に連絡し、来てもらうことに。
病院での治療とはなかなか時間通りにはいかないものである、とつくづく感じつつ、担当の看護師さんもバタバタし始め、なんだか申し訳ない気持ちになった。

ベッドの上であれよあれよと点滴を開始され、鎮静剤を筋肉注射された。

夫が来た時にはもう若干鎮静剤が効いており、意識朦朧としていたため何を話したかあまり覚えていない。
されるがままに手術室へ送られた。

不思議と緊張はしなかった。むしろ麻酔をかけられる時どんな感じになるのか、という興味の方が強かった。
手術台に乗せられ、間もなく麻酔科医であろう人が現れた。

「はい、じゃあフラッシュして。」

キタ。麻酔薬を入れるということである。看護師さんから
「麻酔入りますよ~」
と声をかけられた瞬間、視界がグニョ~っと伸びた。熱々のとろけるチーズを乗せたトーストを引き裂き、上に乗っているチーズが伸びるように視界が伸びた。

「うわ~!すご~い!」

と言った瞬間落ちていた。

次に目が覚めた時には手術が終わっており、体を動かされる振動で目が覚めた。
とは言っても、意識は朦朧としている。声は出せなかった。
とてつもない悪寒で、体がブルブル震えた。シバリングだ。

手術室から病室に戻る際、夫と面会したが正直シバリングが酷すぎてそれどころでは無かった。
夫は看護師さんに必死に「この荷物、冷蔵庫に入れて置いてください。生ものかもしれないんです。」と訴えるのが聞こえていた。
友人から送られてきた荷物を持ってくるよう夫に頼んでいたのだ。夫には大変申し訳ないが何で今なんだ、看護師さん忙しいからやめてあげてくれと思っていた。(夫よ、ごめん。そして荷物は冷蔵庫に入っていなかった。)

私は看護師さんもドン引きする程シバリングしていた。吐き気とヘソ周囲の痛み、何より肛門の奥の痛みが辛かった。電気毛布をかけてもらい、痛み止めを入れてもらった後、スーッと痛みが消え、再度眠った。

気がついたら夜の20時になっていた。
酸素マスクは外れ、吐き気は全く無くなっていた。

手術が終わったのが15時頃で、それまでずっと寝ていたらしい。夫や家族、友人からのLINEが溜まっていたため、ぼーっとしながらも返信に勤しんだ。

手術後からずっと寝ていたため、夜は眠れなかった。やっとうとうとしたと思ったら、看護師さんがバイタルを測りに来たり、隣のベッドのおばあちゃんが不穏で暴れだしてナースコールを連打したりと、騒がしく長い夜だった。

朝になり、カーテンから木漏れ日がさした。
多分眠れなくてハイになっていたからか、
「太陽が私を祝福している」
とひどく感動し、泣いた。今思えばどうかしているが、今まで見た中で1番綺麗な朝日だった。このカーテンから覗いた朝日は一生忘れないだろう。

朝から食事が始まり(と言っても流動食だが)、そのおいしさにまたひどく感動した。


起き上がる際や動く際にヘソ周囲の痛みはあるが、想像していた通りそこまででも無かった。
しかし、私にはダグラス窩にドレーンが挿入しされており、おそらくドレーンの先がダグラス窩に当たっておりその痛みがとても強かった。

ダグラス窩、ドレーンについても興味がある方はググって頂きたい。
要するに肛門の奥の方がものすごく痛いのである。

と言っても動かなければ大した痛みではないので、1日3回ほどロキソニンをもらえば我慢することができた。

術後1日目の朝は膀胱留置カテーテルを抜くというイベントがある。術後管理の必要性が無くなったのと、患者さんを歩かせるためである。
膀胱留置カテーテルを抜く際、痛い人と気持ちいい人がいるらしいが、私は痛かった。
しかし、すぐ抜けたため痛みは一瞬で、拍子抜けした。

手術後は散々患者さんに
「歩くことが大事ですからね!」
と指導し、歩かせていたが、これが思ったより辛かった。
ドレーンが入っていなければ違ったかもしれないが、歩くことでドレーンの先がダグラス窩の中で動き、つんつんと腹壁を突いてくるのである。
痛い。

しかし、散々患者さんに指導してきた身として、歩かない訳にはいかなかった。
ゾンビみたいに病棟の廊下を徘徊し、看護師さんに褒められては「リハビリですから…」と万遍の笑み(実際はゾンビ顔)で返し、術後2日間ほど過ごした。

腹腔鏡下でさえ辛いのに、開腹術後スタスタ歩けるおじいちゃんおばあちゃんには本当に頭が下がる。(いつもごめんなさい。)

術後2日して、ダグラス窩に入っているドレーンを抜く時が来た。
処置台に横になり、ラミナリアの時と同じ若い先生が処置を行った。

今回の入院で、痛みとしてはドレーンを抜く時が1番痛かったと思っている。

まるで、体の中を蛇が這っているように、ドレーンが体の中をスルスルと通っているのが分かった。痛い。激痛だった。思わず声が出てしまい、若い先生は2回に分けてドレーンを引っこ抜いた。
痛すぎて、汗で病衣がビシャビシャになった。

ドレーンを抜いた後、浸出液が多かったためナートする事になったが、傷口から局所麻酔を入れてくれたため、全く痛くなかった。

※ナート…傷口を縫うこと

若い先生は「キシロカイン(局所麻酔)の副作用は多弁ですからね~。〇〇さんがたくさん話始めたら副作用だと思ってくださいね~アハハ」と冗談を言いながらナートしてくれた。フレンドリーな先生である。

その後シャワー浴の許可が出て、3日ぶりにシャワー浴をした。気持ちよすぎて、オッサンみたいな声が出た。自分でシャワー浴できることにひどく感動した。

痛い経験や辛い経験をすると、何でもひどく感動するようになるらしい。先生や看護師さんなど、スタッフに対してもありがとう、ありがとう…と拝みたくなってくるまでである。

そんなこんなで、術後経過良好のため4日目には退院することになった。
今思えば、辛いことだらけであったが、日に日に痛みが良くなっていくのが分かったし、それが本当に励みになった。
今日は昨日より良くなっている、という実感を身に染みて感じた。

入院中も担当の先生は丁寧に説明をしてくれ、私の話を聞いてくれたし、本当にこの人になら腹を切られてもいいと思えるいい先生だった。

そしてその先生の予測通り、手術してから腹膜炎を起こすことは無くなった。めでたしめでたしである。


これから手術を受ける予定で、この記事を読んでくださった方には脅してしまうようなこともたくさん書いてしまったが、最初にも書いた通り、痛みの感じ方や処置の内容など、病院や先生によって違うためあくまで参考までと気楽に捉えて欲しい。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
機会がありましたら、また別の記事も書いてみようと思います。その時はまた。

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