noteは思考の深掘りツール
私にとってnoteとは、タイトルの通り。
何故思考の深堀りになるか、というと、これは私のnote記事執筆スタイルによるものである。
私はnote記事を更新する際、あー書こう、という純粋な気持ちから始まる。ネタが先ではない。私の執筆欲というのは純粋な欲であり、言葉を紡ぎたいというものであり、言葉を紡ぐということは(人によっては無意識のうちに浮かび上がるものではあるが私にとっては)深い思考を必要とするものである。つまり私の脳が深い思考を欲しているから記事を更新している、とも言い換えられる。ネタはそのあと勝手に思い浮かぶ。今日は10秒くらいでネタが思い浮かんだ。その10秒の間のプロセスは私にもわからない。ちなみに記事一覧を見ると前回は5月末、前々回は4月末らしいので、最近はおおよそ30日に1本の更新=30日に1回、脳が深い思考を欲している、らしい。
タイトルについては簡易的には上記で終了してしまうので、これだけでは味気ない。ということで思考繋がりでちょっとお話を。
私は、人間は思考をやめてはいけない、と思っている。考えることができる、ということは人間の特権ではないかと思っている。思考をやめるということは例えば新しいことにチャレンジすることをやめたとも言えるし、ということは今までの経験則上のことしかできない、や、反復的なことしかできない、ということである。それは現代においてはマシーンでほぼ代用可能である。なのに思考をやめた人間というのは人間であるが故、余計な感情を抱えている。余計な感情を抱えたマシーンというのは扱いが難しい。故に一般的には敬遠されるであろうと思う。書類のシュレッダーしかできないのに文句ばかり言う、といった光景を想像してもらえればわかりやすいだろう。そんな人と付き合っていたいか?私は御免だ。
先述の例は極端であるが、私はそうなりたくはないと思っているため、思考が足りていないと脳が自動的に思考を欲するようになっており、思考を満たすための行動のひとつがこのnote記事更新、である。
他には、私はある事象に対して「なぜ?(Why?)」を3回繰り返すようにしている。なぜ?は事象において重要な位置を占めるものであり、思考においてはシンプルだが多くのリソースを割く行動である、と私は思う。さらに3回なぜ?と問うとほとんどの事象は根幹部分までアクセスできる。
1.なぜ仕事をするのか?→金を得るため
2.なぜ金を得るのか?→生きるため
3.なぜ生きるのか?→自身の可能性を追求するため
(4.なぜ可能性を追求するのか?→うーん、ちょっと難しい。生きた証?)
最初の問いが高難易度かもしれないが、3回なぜ?を繰り返すとこのように根幹に近いところまで来る。多分どの事象もなぜ?をかなり深いところまで追求すると生物学やら哲学やら学問レベルの話になるかと思う。これは自身の考えに使えることはもちろん、他者の考えにも使えるし、それはすなわち仕事でも使える。なぜこの人は私にこの仕事をお願いしたのだろう、といったように。追求した結果、仕事が踏襲(今までの文化)といったつまらない思考停止状態だったときは大変悲しいが。
まとめると、私にとって「思考」は重要な行動であり、それ故noteは割と重要な役割に位置している、ということである。noteは人それぞれ使い方があるだろうがこれを読んだあなたはnoteをどのように使っているのだろうか。
繰り返すが、私にとってnoteとは、タイトルの通り、である。