自分の芝生が育っていないから隣の芝生が青く見えるだけでは?
4月は新生活と言うだけある。学生は進学進級、はたまた卒業して新社会人になる人もいる。社会人は変化なしの人がいれば昇級する人もいる。私は何も変化ないが、前勤めていた会社の元同僚がすごく昇級することを知り朝から驚いている。あの会社がまさかそんな人事をするとは、という驚きだ。
隣の芝生は何とやらとはよく言ったものだ。さすがにそのポジションが羨ましい訳ではないが、輝いて見える。
ここで注意したいのはそれにより、自分と他人を比較したり、腐ってはいけないということだ。例えば、自分がそのポジションについたほうがアイツよりうまくやれる、人事は見る目がない、と思ってはいけない。アイツは輝いているのに自分はポジションの変化がないし、何も成長していない、とも思ってはいけない。そもそも明確な理由があって会社を去った身だ。あくまで自分は自分、他人は他人だ。
隣の芝生現象は、性格によるところが大きいが、私は日々の思考回路で矯正可能な範囲であると思っている。何故なら自分が過去、一部の思考回路が、隣の芝生現象だったからだ。
その会社にいた頃、アイツ(ここでのアイツは先述の元同僚とは別の人)より自分のほうがうまくやれるというのは常日頃思っていた。しかし、当時の部署の長と直属の上司とはあまりうまくいっておらず、これといったポジションやチャンスを与えられることなく日々を過ごしていた(辞めたあと同部署の元同僚(別人)から、よくアンタあのいじめに耐えていたわね、と言われたのは良い(?)思い出だ。未だにアレはいじめだったかはわからない)。その人間関係が一つの理由ではあるが、別にやりたいことを見つけたので、私はその会社を去った。それから数年経って今があるのだが、その場にいてはわからなかったであろうことがいくつかわかるようになっていた。ポジションという責の苦悩、年齢から逆算される一般常識のようなもの、等。当時先輩に「相手のことをよく観察し、相手の立場になって考える」ということを教わったのだが、ようやくその意味がなんとなく理解できた。私はそのポジションについていない。ポジションなりの苦悩がわからないのだ。アイツより自分のほうがうまくやれるとよくそんな適当なことが言えたものだ。ここの理解ができると「アイツより自分」については解決する。羨ましいのならアイツとか言っていないで自分が同等のポジションにつけるよう努力あるのみである。
「自分は何も成長していない」については、私はないが、こう考える。「仮にアイツと同じように過ごして、同じことができるのか?」である。仮に同じことができたとしたなら、確かに同じような結果になるかもしれない。しかしアイツとは育った環境が違うし暮らしも違うだろう。同じように過ごすのはなかなか難易度が高い。なので基本的には「アイツと同じように過ごすのは無理」と思ったほうがいい。アイツにも自分が発見できる範囲で少なくともひとつはいいところはある。そのいいところを盗めば良い。
つまるところ、「相手をよく観察し、相手の立場になって考える」と「アイツのいいところを見つけ、盗む」という二点を基本軸とする思考回路を構築すると、隣の芝生現象はなくなる(か、かなり薄まる)。わかりやすくいえば自分ファーストの思考回路を捨てよ、ということだ。
そもそも、自分の芝生が青くないのは何故?他者や環境のせいにして自分の芝生の育成を怠っていないか?何故自分の現在地を他に委ねる(依存する)?自分の芝生のは強運でもない限り自分で育てるしかない。自分ファーストの結果が足元の芝生だ。自分ファーストで足元の芝生が育っていないのであれば他者ファーストしかないのでは?
シンプルにタイトルの通り。自分の芝生を青くすれば隣の芝生なんて気にならない。ただそれだけのことだ。