限界を超える・大谷翔平さん考
野球シーズンが終わった。結局、話題は大谷翔平さんで始まり、終わったようなものだった。スケールの大きな人は巻き込まれる事件のスケールもけた違いだ。あまりに良いことばかり続くと、どこかで大きなつまずきがあるのではと心配していたが、これで人生の負の部分をすべて支払ったようで、なんだか安心した。
彼の活躍や賞賛については改めてここに記すこともないが、メディアで見聞する中に少し違和感を感じるコメントある。
たとえば「今年盗塁に力を入れたのはDHとしてMVPを獲得するためか」という質問や「怪我が心配だが彼は無理するなといっても無理してしまうから」といった意見である。
私が思うに、彼は賞や記録にはさしてこだわっていないし、それを目的にプレーしない。だから節目の記録に際してもプレッシャーなくに易々と達成してしまうのだろう。そして「無理なプレー」ではなく、常に「勝利のための全力プレー」を心がけているから、その結果怪我をしても後悔はなく、今後怪我を防ぐためにどのようなプレースタイルとトレーニングが必要かを考えているのではないだろうか。
野球に限らず、どのような仕事でも、どれほど多くの練習を積んでも試合など実際の場面でしか培われない能力がある。大谷も「フィジカル面は日々努力しなければならないが、技術的にはある瞬間に会得することがある」と言っている。「ある瞬間」とはいわゆる本番での緊張感と「チームのために」という自我を超えた貢献意識から生まれるのではないだろうか。
翻って、彼の同世代の仕事への意識は比較的「自分ファースト」の傾向がみられるように思う。例えばある個人の販売店の営業は週4日、店の都合で臨時休業もしばしばあり、商品はその営業日数で成り立つような価格設定である。もちろん家族も含め自分の時間を大切にするのは良いことだと思うが、それ以上に驚くのは自分たちの設定したルール以外の要望には絶対に対応しないということ。それで成り立つなら問題ないのだろうが、顧客への貢献を考えることにより、新たな発想が生まれて展望が開けたり、その店が苦境に陥ったときに顧客が支え、信頼が深まるといった発展性は望めないだろう。
過度に無理を続けることは良くないが、時には無理をすることにより、新たな発見をしたり、自分の能力が限界を超えることもあると思う。最近は組織内でも「パワハラ」を恐れるあまり、若い世代に対してはひたすら無難な対応しかしない、という傾向もある。パワハラを推奨するつもりはないが、他人が、自分では気づかない潜在能力を見いだし、伸ばしてくれる機会を逸していると思うと、惜しいような気もする。
大谷さんにとってスキル向上はチームの勝利のためであり、勝利がさらなるスキル向上の源となる、つまり、自己研鑽と組織への貢献が車の両輪のように働いているようだ。彼の姿勢は若い世代にも参考になると思えるが、どうだろう。