#1-1 西粟倉村から学んだ「資源を生かす」方法
ー 人口1500人ほどの小さな村 ー
岡山県の北端にある『西粟倉村(にしあわくらそん)』が今、林業を軸とした地域創成のロールモデルとして話題となっています。
村面積の95%を占める森林資源をブランド化し、関連事業をはじめローカルベンチャーを増やしていき、雇用が生まれ、村が活性化し。
過疎化が進んでいた村を蘇らせたそのストーリーを伺ってきました。
⚫︎ 西粟倉・森の学校とは
西粟倉村は2004年に市町村合併の動きから離脱し、ひとつの村として自立した村を目指していくことに決まりました。
そこで地域再生マネージャーとして行政から派遣されてきたのが、後に『森の学校』の社長となる牧大介氏です。
「村をどのように成長させていくか、役場や村民と徹底的に協議をした結果、『この木材を生かそう』と(決まりました)。
山があって、水が綺麗で、お米が美味しくて。って、そんな田舎別に多いでしょう?
だったらもうちょっと違った特色にしてみようというところで、木材の事業を行う会社『西粟倉・森の学校』が始まりました。」
西粟倉は村として「森林と共に生きていく」という大きな旗印を掲げるため『100年の森林(もり)構想』を立ち上げました。
植林されてから100年後の森をどう作れるか、どう関われるかというのを村の人と共に考え、実行していく取り組みです。
⚫︎ 森から資源を取り出すために
「植林された木が育ったままで手が掛けられていない、放って置かれた状態からスタート。
山の所有者さん全員に直接アプローチして回って。小さなこの村だから出来たことですね。
とにかく足を運んでは「森の学校に山を預けてくれませんか」と直談判して。
承諾を得られた部分から間伐を始めていき、やっと放って置かれた森に光と風が通るようになり、太くて状態の良い木が採れるようになりました。」
「この杉、市場でいくらで取引されていると思いますか?たった1500円なんですよ。
木の価値って、本当に低いんですよね。
ここからトラック代や市場への手数料に消えていくと、山を預けてくださった所有者さんにお返しできる金額なんてほんの僅かになってしまいます。」
「この辺りの木材って、鳥取の市場まで運ばないと買い手に辿り着かない。逆を言うと、「西粟倉で採れた木材を西粟倉で使うには、一度鳥取まで行かなきゃ買う事ができない」。
木はすぐここにあるのにですよ。だから使われない。
なんとも奇妙が現実がそこにはあったんです。
木材に価値を付けて、そして管理も流通も自分たちでやっていかなきゃ。製品として世に出すまで丸っと全部だ。
そう考えて会社の方向性が決まっていきました。」
「そこから10数年、自社で土場を作り、工場で製品を作り、切られる量は500立方メートルから10000立法メートルへと、20倍にも増えました。
地元で使われる量も増え、今は切った木材の95%を村内でやり取りできるようになりました。地産地消ですね。」
⚫︎ 端材やおがくずも資源のひとつとして事業を生み出す
「商品となる木材だけではなく、伐採の際に出た細枝や、加工の際に出た端材も、村内のバイオマス利用で温泉のボイラー燃料として使われたり。あとは役所の暖房としても使っています。
最近はカットの際に出たおがくずを使ったいちごの栽培を関連事業化して、本来製品化出来ないような木材で新しいビジネスが誕生しています。」
「いずれ木を食べたり、木を着るような未来もあるかもしれない。「なんでいちご?」と疑問に思われることもあるけども、
扱うものが木材からいちごに変わっただけで「森から価値を取り出す」という目的は変わっていなくて。
その価値観を軸に事業を行っています。」
⚫︎ 「お届けまで、最短で50年」の言葉に見る信念
インターネットで注文をすれば次の日には商品が届く便利な世の中に、山笑う、山滴る、山粧う、山眠る、表情を変え四季を巡り育った木が、人々の生活の一部になるまでにはおよそ50年の年月とたくさんの人の手が必要となります。
「自分たちが木に携わる部分って、50年自然で育ってきた後の最後の3ヶ月とかなんです。その3ヶ月手を加えたところだけを見て、はい完成しましたとは言わないようにしています。」
この言葉に、自然へのリスペクトが集約されていると思いました。
村を蘇らせるほどのパワーと手腕を、自分たちの手柄と呼ばず、一貫して「今ある資源を生かさせてもらった」と仰っていたのが印象的でした。
後編|森の学校の「働き方」にフォーカスした記事です。
女性のために整備した環境、動機で買い手と繋がる物の売り方、会社と社員の関係性、など、聞いていてハッとさせられる話ばかりでした。
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