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小説「キャッチ&リリース」 1

はじめに

 ある日講師として呼ばれた私が、大阪市立大学大学院文学研究科の飯田教授に招かれて、挨拶をしている。「本日は、社会学の研究テーマに大阪市の条例を選んで、客引きについて話して欲しいと言われてますので時間の許す限り、お話ししていきたいと思います。最近は行動経済学なんて学問もあったりしますから、彼らの行動が興味深い学問対象だったりするのかも知れません」

 ざっと十五人ほどの学生、と言っても二十代、三十代の若者から高齢の方も混じっていたように思う。話終わればあっというまで、拍手よりも、ザワザワと教室を退席するときのあの雰囲気が懐かしく感じられて、しばらく私はぼーっと突っ立ってしまっていた。

1 キャッチ&スカウト

 今からする話は、数年前のインバウンド(あらゆる物を爆買いしに日本にやって来る中国人とかの観光客)が「くいだおれ」と言われた大阪の食文化や珍しい日本的な風物(刀とか力とか漢字で書かれたTシャツや扇子とか風鈴や浴衣、薬とかスイーツなど)やメイド・イン・ジャパンの製品(カメラとか腕時計など)に魅せられて買い物したり、漢字で書かれたラーメン店や「牛カツ」や「串カツ」といった日本特有の店にも行きたがっていて(串カツは天王寺の通天閣がある「新世界」という所が本場だったのが、外国人が多く訪れるミナミにも出店するようになっていた)、そんなインバウンドが大阪中を闊歩していた光景が、あちらこちらで見られたころのお話です。ある時期から、気がつけばミナミの心斎橋筋商店街はそういったインバウンドで溢れかえっていて、実際に仕事が終わってそこを通るとなると、すごい人間の渋滞に巻き込まれたもので、「どないなっとんねん」という声がちらほら聞かれていた。アニメやゲームや新幹線やウォシュレットに魅せられた外国に住む人々が、憧れの日本にどっとやって来て、商店街は一時嬉しい悲鳴に包まれたりもしたのでした。何しろ日本は世界中の人が一度は行ってみたい国の中でトップなんだからね。

 ところで「キャッチ」とは、「客引き」のことで、客を店に引くからそう呼ばれていて、彼ら客引きには、売上の10%から15%を店側が支払うことになっているんだけれど、一人のバイトがお客三人連れを店に運んだとして、売り上げが1万5千円だとすると、その20%が彼また彼女の稼ぎとなるから、五分の一の3千円が取り分で、同じような客を10件運ぶと一日で3万円となる勘定。 毎日休まず働けば、ひと月ではどう?100万円近くになるというわけ。ただ中々毎日毎日そううまくは運ばないけれどね…。当たり外れがあるっていうこと。それは彼らも身に染みて感じていることだろうけどさ、それでも実際その半分の50万円の稼ぎをする者はざらにいるんだ。公務員や民間の会社員でも役職のない人はそんな稼ぎは出来ないと感じるはずだからボロい仕事ではあるよね。

 最近では新型コロナの風が日本中、いや世界中で吹いたから、ここ三年の間に居酒屋とか、ついこの間までは景気が良かった店もクローズしてしまっていたとしても珍しくない。お客が入ってこそ店が潤う訳で、彼らバイトに支払うデメリットもあるけれど、次回そのお客が来店することを期待できるメリットもあるので「持ちつ持たれつ」の関係って感じかな。

 それからもう一つ「スカウト」ってあるでしょ、よく昔はモデルや女優、歌手が芸能界に入るきっかけとして「私は新宿でスカウトされました」なんてこと聞いたことがあると思うけど、今ではどちらかといえばそんなスカウトマンは路上には殆ど存在しなくて、一つ間違えば「人身売買」などの犯罪になってたりするんですよ。それは例えば10万円キャッシュでもらえるバイトがあるからと言えば「ほんまにぃ?」ってなるくらい期待してしまうかも知れないんだけれど、「少し脱いでくれたら撮影だけでその三倍は出すから。悪いようにしないから、安心して」なんて調子のいい事言われて思案していれば、どっかの個室に連れて行かれ、間違いなく撮影されたものは、自称男優あるいはニワカ俳優との無理やりのSEXシーンを演じさせられて、承諾なくナマでする行為、もう犯罪だからね。それが裏ビデオ(DVD)になったり、いつの間にかネットで配信されたり、商品化されてしまい、取り返しのつかないことになってしまうものだから、ほんとに「自称芸能プロダクション」の人には気をつけてね。

 で、これはそこまで悪質なスカウトじゃなくて、「お姉さん綺麗だからキャバクラで稼ぎませんか」なんて言われて、「私それほど綺麗かな?」と一瞬思わせて、ひと月のバイトが高収入になることを魅力たっぷり説明し「じゃあ今度貴女が空いている日に一度面接だけしましょう。それでその気になったら、その時決めればいいことだし」なんて実際に面接の約束までこぎつけて、「今日はとりまLINE交換だけで」という風に進み、もし両者の思惑が合致して面接やって入店が決まるとなると、これは客引きよりマージンが良くて、夜の仕事を引き受けた彼女クンの毎月の稼ぎの15〜20%は、スカウトに入るって計算なんだから止められないよね。それだけではなくてそういうキャバ嬢をもし10人持てば、 ×10という計算式が成り立つので、実際にかなり稼いでいるスカウトがいることを知っている。街で声をかけたら条例に引っかかるんだけど、次にあったとしても二人の約束で会うのだから違法性はないことになるわけ。メールやらLINEで説明できない部分をカフェでじっくり説明したりもできる。だから客引きを辞めて、スカウトに転向する者が出てきたりするんです。彼らは余裕が出ると決まってウブロ Hublot の時計を嵌め、ルブタン Christian Louboutin のトゲトゲのバッグを抱えていた。

 ただ映画じゃないけど、やたらしつこく声をかけまくるシーンを見たことがあると思うけどさ、彼らはグループで動いていたりすることが多いね、たいてい腕や首に刺青いれずみを入れた半グレだったりする。最初はどれがキャッチでどれがスカウトか分からない者もいたけれど、ミナミで彼らの動きをずっと観察していたら誰でも分かるようになってしまう。


 客引きには、店の前1メートルの範囲ならOKという「1メートルルール」というのが条例にあるんだけど、次第に彼らのエリアはどうしても膨れがちになってしまう。

違反になるのは

⚪︎お客の前に立ち塞がって声をかける行為

⚪︎そのまま追随して声をかける行為

で、その時に客引きが、プレートか何か見せながら「二時間3千円。飲み放題」なんていう言葉で釣ろうとしたら、これは取締りの対象になってしまうんだ。だから、取締りを行う指導員はそこを狙って客引きを捕まえる。たた捕まえるといっても、大阪市の条例だから強制力はない。まず

⚪︎指導書

を交付することになるんだ。そこには客引き本人の住所や名前などが記され、最後に本人が署名をする。もし、2回目に違反が見つかってしまった場合は

⚪︎勧告書

という書類に変わる。内容は同じだけれど、この辺で止めときな、っていう「お達し」。それでもやめなかったら、今度は

⚪︎命令書

という書類に変わる。最後通告という書類で、雇っている店があれば、法人としての責任も問うから、法人の代表の「店長」や、会社なら「代表取締役(社長)」にも命令書が交付される。この命令書は、もう後がないよ、と通告されたようなもので、次に違反したら罰金の代わりに「科料」(通常5万円)という制裁金が科される。サッカーならイエローカード2枚で退場となるけど市の条例だと3回も猶予がある。大阪府の条例には罰金があるから、成人なら50万円以下の罰金を払わせられることになる。市条例でも、確かに5万は痛いよね。個人でも法人でも。しかし、条例においてもし罰がないのだとすれば、条例自体に意味がないでしょう。交通違反と同じだよね。

 行政行為としては、要は「両罰規定」ということが大事なのは知っているかな?違反をした個人だけじゃなくて、店舗側にも責任を取らせるということを行政は時々する。飲酒運転をしたドライバーだけではなくて、お酒を提供した店にも責任を取らせるのと同じ考えだね。


 個人が客引きをして何回も捕まるような熱心な活動をした結果5万円の科料です、なんて市から言われた時に、キャッチの面倒を見てもらえるかが一つのポイントとなると思う。そのために店のために一生懸命(警察に捕まるリスクを冒して)働いてきたんだから。 

 そしてその時点で彼らキャッチの実名が明らかになる。それまで偽名で通してきた者が身分を住所地に確認すると本名を知ることが出来る。簡単に騙される方も悪いのだけれど、免許証を忘れてきたからと「自称」で公文書に署名をすると、これはこれで「(有印)私文書偽造」という罪になる。


 それからこれは別の話だけど、半グレ同士の喧嘩も結構あったりする。それはちょうど彼らが中学、高校でタイマン張ったりしての延長で、学校時代は暴走行為、卒業しては半グレだけど昼間は一応鳶職とびしょく左官さかんや塗装工などの職人をやってたりして、仕事にも慣れて、誘われてK1みたいな格闘技にあこがれて仲間と一緒にジムで一汗流し、体を鍛えることもやったりする。それは一つにはモテたいからだし、一つは実際に喧嘩に負けたくないからなのだ。ここ(道頓堀とか宗右衛門町とか)でグループ同士の喧嘩もあるのは、人間は元来「覇権はけん」というものをもっているものなんだと考えてみてくれたらいい。そしたらちょっと解ると思う。覇権て何かって?う〜ん、例えば中国という国が、東シナ海や南シナ海という公の海で自分達の権益を拡張して、自分の海でもないのに何か工作物を設置して、地底の埋蔵物を測ったり、調査という名目で資源を自分のものにしてしまうあのやり方を「覇権」て呼ぶんだけど、もしその海に日本が出張ってきたら衝突するかも知れないよね。だから最初から自分達の街みたいな顔をしているヤクザみたいに「縄張り」とかテリトリーを守ろうとして新参者と争いになったり、誰かが知り合いの女の子にちょっかい出したりして、覇権とまでいかなくても、ほんのちょっとしたことがきっかけで喧嘩になったりするなんてことが結構あるんだよね。だいたい今の説明でキャッチとスカウトって分かったかな?

<参考資料>
大阪市客引き行為等の適正化に関する条例

https://www.city.osaka.lg.jp/shimin/cmsfiles/contents/0000267/267087/jyourei290601.pdf

上記条例の改正点について大阪市が解説しています。

主な改正点は、上記サイトで確認してください。違反行為の説明や、違反店舗に対して必要な「立ち入り」が定められ、手続きの簡素化等が解説されています。

※なお、違反者に対して作成する公文書のうち、署名欄については「私文書」となるので付け加えておきます。 この小説は、コミックの原作本として描かれたものですが、以後勝手に必要に応じて改変、補追されることがあります。



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