小説「風の仕業」kaze no itazura 6
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「私?」
私がサラリーマン生活に終止符を打つ少し前のある日、私が家に帰るといきなり妻がそう切り出した。妻は私を待って遅くまで起きていた。私と話すためだった。自宅を造って三年が経ち、二階のリビングのソファに私が座り、彼女は片づけが終わって台所から出てきて、リビングの中央で突っ立ったままだった。
「私がいけないの?」「あなたのお母さんとうまくやっていけなかったのは、パートに出てたから?」「あの子の成績が落ちて高校進学で能力があるのに、努力しないのは私のせい?」「私は学校の三者懇談、役員会や塾の先生との進路を決める話、全部出たわ。その時あなたは仕事でいなかったでしょ、違う?私は今まで家族のためにやることは全部してきたつもり、家庭のことは全部してきたつもりよ、それでも自分のことは後回しにしてきたわ」
私に対し訴えかけるような眼で、一気にはき出すようにそう言い、問いつめてきた。彼女の目を見れば、真剣だということは明らかだった。私は押し黙ったままだった。不利だからというより、うまく言葉が見つからなかったのだ。
「いつも話したいと思ってるのに、あなたは避けてたんでしょ?」
私は避けているんではないと答えたが、その時自分も完全無欠ではあり得ない世の男と同じで、まるで弁護士のいない法廷で自分を弁護しなくてはならない立場に追い込まれているのに気付いた。今までノンポリの学生のように社会でも傍観者的立場に甘んじてきたのに、今度は自分が渦中の人みたいに、だんだん弱い立場に追い込まれているようで憐れさえ感じだした。記者は「中立」の立場が大事だが、家庭内では中立な立場などはあり得ない。彼女は次いだ。
「私が変わったんじゃないのよ、あなたが変わったのよ」
決定的なことを告げるみたいに勢いを更に増して話を続けた。私はその間ずっと聞き役だった。
「覚えてるでしょ。ヒロと三人でハイツに住んでいたときのこと。私はあなたやヒロのために買物したり、料理を作ったり……」
ここまで言って彼女は言葉を詰まらせて、遠い目をして、窓の外を見渡した。
その頃三人で住んでいたハイツは駅から十五分くらいのところにあって、彼女が不動産の仲介物件の中で特に気に入って見つけてきたものだった。庭はないが駐車場付きで、裏には小高い小山があって、数年は狸が生息さえした。散髪屋と酒屋が近くにあって、そう遠くないところにスーパーもあったし、当時は有名な動物園のある遊園地すら散歩する距離にあった。ほとんどすべてが満足な立地条件だった。私は思い出すことをやめて現実の世界を見ようとした。
かつては田園風景が広がっていた今の我々の家の周囲には、土地を持て余した家主がマンション経営に乗り出すために、不動産屋にそそのかされて、同じようなハイツやマンションをいくつも造ったため、殺風景な住宅地が広がっていた。そこが森林や海であったならば妻の気持ちもいくらか和んだかも知れない。今度は私が口を開く番だった。
「おれも幸せだったと思う。サチコやヒロがいたから今の自分があると云ってももいいし。仕事をしているおれや子供の世話でもよくやってくれたと思う。これからもそう出来ればいいと思う」
自分で云っておきながらそこに感情がこもってないような話し方だった。彼女は首を横に振った。それはもう出来ないという合図に見えた。彼女は既にひとつの決心をして臨んでいたと思う。私が例えば不倫をして彼女との間に最後の話を持っている、といったような切羽詰まった事情があるのではなかったが、もしこれが喫茶店か何か街中での店の中での会話であれば、他人も、倦怠期を迎えた夫婦二人が、微妙な話をするために一席を設けているなぞと思うかも知れなかった。
そうではなくて私の仕事が不規則な上に、彼女が私の両親とソリが合わず、彼女がいて欲しい時に私がいなく、彼女が話したいときに私が側にいなかったというところに問題があったのだろうし、彼女の鬱屈した精神状態もどうやらピークに達していたと思う。
彼女には子供の学校関係で、小学校・中学時代を通じてそれぞれ幾人かの親しい女性の友人がいた。母親同士だから、学校のバザーや模擬店、ペットボトルの回収などの役員での付き合いから、パートの紹介、塾関係、ピアノやスイミング等の稽古ごとでの話題など子供の養育、成長に関して殆ど同じ立場で話が持てたと思う。そんな時父親というものは、母親に任せきりで、仕事をしていれば、それで家庭生活は成り立っていると思いこんでいる。その家庭生活という言葉の中には自分もいると思い込んでいる。
妻ははけ口をそういった女性間の中である部分吐き出すことも出来たろうが、すべてを言葉のはけ口で片付ける訳にはいかなかった。森林の中で、長い時間をかけて枯れ葉が降り積もるみたいに徐々に、人々の意識の中に、ある種の言葉の断片みたいなものや整理の付かない心の状態が放出されずに積もっていくように、妻も時間をかけて今の心の状態を蓄積させてきたのかも知れない。
それらの意識の奥にある小さなものは、成長したり増殖したりして、次第にひとつの「かたち」あるものになり、ある日前触れもせずに我々の前に現れるのだ。
妻が持ち出したものは、私がこれまで選択し、行動したことの結果に対する云ってみれば「最後通牒」だった。
妻は私の前で声を出して泣くことによって、自分の苛々した感情や鬱積した意識を調整しているように見えた。私は遂に一言も彼女に対しては弁解じみた言葉も云わなかったし、又謝罪の言葉も言わなかった。何故ならそれが有効とも思えなかったし、逆にそれは子供を除く私と彼女が過ごした十六年という人生の一部に関する自信のようなもの、他人に対しては少しでも誇れる程度の、歩いた軌跡への偽りのない「無言の表明」だったからである。
人間の間に起きている事柄というものは、話し合わなければ何も解決しないし、一歩も前に進めない。話し合うために「ことば」というものが発明され、声によってそれは表現される。また言葉に心がなければ、相手に真意は伝わらないだろうし、相手からも真意は引き出せない。しかしその時の私は妻に対して用いる適当な言葉を見つけることは出来なかったし、弁解じみた言葉で取り繕うことだけは避けようと思ったのだ。そのあと妻の口からほとんど予期しない言葉を私は聞いた。
「ありがとう」