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小説「私に花束を」 2

2   あれからの僕たち

 あれから僕はいたって普通のサラリーマンになっていた。このサラリーマンという死後に近い言葉が僕は割と好きだ。今でも目に焼き付く光景はといえば、やはり洋子との初キスと、その日初めてラブホにいった後にしばらく彼女を乗せてドライブし、二人で登った若草山から見た奈良市街だった。   
あのあと、つまり二人がある瞬間からある状態を脱却して、新たに開けた二人だけの世界に突入した、その時はそう信じていたけれど、大学卒業とそれに続く就職(僕は大学院に進学)がそれぞれ別々の人生を歩むことになったのは、今から思えばそういう道が初めから敷かれていたからなのかも知れない。それに洋子が結婚するだなんて思いもよらなかったし、疑問を解消するまもなく時間だけがどんどん過ぎ去っていった感がある。  
あまりに忙し過ぎてしまうと人は、自ら体験した出来事や大切な個々の思い出といった事なども検証できずにただ時間の中で埋没してしまう人生を傍観者のように見ているだけのようになってしまうものだ。
 あれからいつの間にか15年が過ぎていた。今でも僕は当時のことは鮮やかに思い出すことが出来るし、それだけが二人を繋ぎ止めているのだとも言える。
 もう殆ど忘れ去ってしまっていてもおかしくない間柄になっているけど、僕は洋子に会いたくなっていた。そしてそんな気持ちを持っていたある日、登録にない番号からダイレクトメールを受けた。その女性は結婚生活について簡単に説明し、今自分は大阪の西区南堀江で住んでいるけれど、アルバイトも含めて15年以上勤めたホテルを今年解雇されたらしい、というのはその人自身も正式に解雇通知を受け取ってはいないということで、まだ休業補償もなく休業を余儀なくされているというのだ。それもこれも新型コロナの影響みたいだった。
 あの時は洋子も薔薇色の将来を夢見ていたはずだし、そのまま結婚生活も夢の延長上にあったはずだ。
驚きというのは、突然起こるからそう人は思うのだ。突然ではあるが、ひょっとしたらその素地はずっと以前から蓄積されてきているものなのかも知れない。
洋子は以前僕に「結婚願望があるのよね」という言葉を漏らしたことがある。その真意は分からないが、女性にとって結婚、出産という未知の領域がある日目の前にある魅力的なものとして映っていたとしても僕も理解できる。でも人間にとって未知は、ある意味無知でもある。
 だから他人がどう思ったって人は自分の前に思い描いた人生をただ推し進めていくだけだと思う。僕は洋子の選択、結婚したという選択に自分にない領域であることを何となく羨んだ気持ちになっていた。
 僕がその人から突然の電話を受けるまでに都合3回のメールを受け取っていた。そのメールは言ってみれば「謎かけ」みたいなもので、まるで巧妙に発信者を隠して第三者に脅迫メールを送り続けたかつて世間を騒がせた男を連想してしまった。数学的なパズルや写真のメタ情報(データ)を細工して宝探しごっこを警察と演じたが、あっけなく江ノ島の神社で逮捕されたあの男のことだけど、捕まった時は正直がっかりしたものだ。あれほど手の込んだことをしておきながら最後はあまりに呆気ない幕切れだったからだ。誤認逮捕された一般市民こそ良い面の皮だった。あの時は、警察もまだ犯人特定の手段を、単純にIPアドレスに頼っていたように思う。それにしてもあんな才能がありながら、もっと活かせる応用技術があったはずだし、同じ騙すのならクロサギのようにやって欲しかったと個人的に思っていたから非常に残念だった。
 その女性は自分が誰かを悟らせずに僕に違うアドレスでメールしていた。最初は照れ臭さも手伝っていたかも知れないけど、次第に興に乗って僕をからかい始めたのだろうか。

 <初めてのメール>
 『初めまして、わたし篠原瑠衣と申します。同じ大学の卒業生です。最近別の同期生の人から貴方のことをお聞きし、興味を持ちました。だって貴方が大学4年の時に雑誌に音楽の論文に応募し、それが採用されたと知ったからでした。わたしも実はあの論文に応募していたからです、でもダメでした。大学の勉学とは異業種ですが音楽家になろうとしていたので、採用されず悔しい思いをした思い出がありました。それを全く門外漢と言えば失礼ですが理系の貴方が入選し、アメリカ西海岸まで招待されたのですよね。もし良かったら会ってその時のことをお話し頂けないでしょうか?すごく興味があります。』

 当時僕がメールアドレスを教えていたのは、洋子の他にもクラスメイトやバイト仲間、チェス同好会で通じた者たちが随分いたから、疑わなかったし、その論文入選や副賞の話も事実だったから、それが洋子の仕業とは全くその時は疑わずにいた。2005年当時の音楽事情をある音楽家の活動にヒントを得て描いた論文が音楽評論家として著名な選者の気に入ったのだと思う。ただ副賞のアメリカ西海岸行きは幻に終わってしまった。ちょうど父親が病気で入院を余儀なくされ、自分一人がのこのこと海外に行くわけにはいかなかったからだった。僕の他に東京都足立区の男の人が1人いた。
 でも僕は正直に言ってその女性の突然の知らせに少し心動かされていた。

<二通目のメール>
 『今更ながら学生時代に貴方に会わずにいたことを少し後悔しました。と言ってもきっと素敵な女性と付き合っておられたと思いますが。わたしの学生時代は悲惨なほど男気がなくて、その延長線上に今のわたしがいる気がします。今もし誰もお付き合いする方が居られなかったらわたしに会ってください。お願いします。』

 僕は実際洋子が結婚したことを風の噂で知っていたけれど、その後僕自身も誰とも付き合っていなかったから、僕が今誰と付き合おうが誰に咎められる筋合いもないのだった。それでも世の中で流行っているオレオレ詐欺みたいなものに人が簡単に騙されてしまうことに何かしら嘲笑している自分がいるのが恥ずかしい。この時にもまだ見抜けなかったのだった。

<三通目のメール>
 『実はわたしは貴方のことを学生時代に見かけたことが一度あったのです。黙っていてごめんなさい。でも今はそれを伏せておきますね。貴方に会った時に楽しみに取っておきます、その時ちゃんとお話ししますね。
 そうそう場所は、近鉄奈良駅から北に20分歩く必要があるんですが、きたまちの中に民家を改装したカフェがあって一度そこを訪ねてから気に入ってしまって、貴方にもぜひご一緒してもらいたくて。添付したfileはその付近の地図です。』

 僕はこのメールを受け取った時一種の違和感を感じた。ひょっとして、と思ったのだった。僕は今まで結婚を考えてはいなかったけれど、もし結婚するのなら洋子以外はないはずだった。それほど洋子は近しい存在だったし、ごく自然にそばにいてもおかしくない女性だった。幼馴染でもあるので、自分では結婚対象とは最初から頭に入れていなかったと言った方が正確かも知れない。僕のことを知る人はあいつは洋子と結婚するんじゃないかとごく自然に思っていたとしても当然だった。つまり、違和感とは、そういうことを意味していた。まだ断定はしていなかったけれど、可能性として洋子が浮上した、もし洋子であるなら嬉しいし、会える場所に飛んでいっても良かったのだ。

 その日は思っていたより早くに訪れた。おそらく僕の中の意識が、他の事柄は時間をすっ飛ばして先へと急がせたのだろう。僕は既にその日車ではなく、電車に乗り早々に奈良駅に着いていた。駅前のコンビニに入り、ソーダ水を買い、ゆっくり坂を登って奈良公園に入った。春の青空が広がる下に松の木陰で座ったり、群れでゆっくり歩いている鹿を眺めるともなく眺めていた。付近にはボランティア団体の人十人ばかりが鹿に食べさせるのを防ぐようにとプラゴミの回収作業に従事していた。
 そんな光景を見ていると時間は半時間近く過ぎて、そうだ奈良きたまちって、ここからちょっと歩くんだと気づいて、奈良街道を北へと急いだ。30分はかかったが、やっと入り組んだ路地の中にその指定されたカフェを見つけて中に急いで入る。
 すると店員らしい女性が近づいて来て僕に紙切れを手渡す。僕は何か狐に摘まれたような気持ちになり、その紙切れのメモを広げて読む。女性からのものだと直ぐに察知した。何故なら遅れてそこに着いたのだし、やっぱり体のいい騙しの手口だったんじゃないかと思い始めていたからだった。

『ここまでお呼び立てして御免なさい。確かに貴方に送ったメールにある場所はこのカフェに間違いありません。でもよく見直して下さい。地図はそうなんですが、実際の位置情報は違っています。』

 位置情報?と僕は繰り返しつつ一旦カフェの席に座り、アイス珈琲を注文した。そしてメールを見直してみた。添付ファイルの地図はここに間違いなかった。ただ地図のプロパティを見ると、メタデータ(Exif情報)は別の場所を示していたのが分かった。つまり地図の所在地は、緯度経度によって特定されるから体良く騙されていたことに漸く気付かされた。それは京都市伏見区の神社だったのだ。
やっぱりあのWhinny全盛時代にサイバー犯罪で世間を揺るがしたあのKがやった手口のこれかとうっすら笑みを浮かべていると、店員が変な顔をしてこちらを見ているのに気づいた。
 僕はまだ辿り着いていないのだ、女性との頭脳パズルのゴールに。珈琲を飲み干してからレジでお金を払って一旦外に出た。そして直ぐにもう一度店の中に入った。先程の女性が近づいて来たので、僕は16年前に洋子と記念に撮った写真を携帯の中に見つけると、その人に見せた。「貴方にメモを渡した女性ってこの人ですよね?」
すると女性は笑って答えた。「いいえ、女性ではありませんでしたよ」。

 僕は礼を言ってまた外に出て来た道をもう一度辿って駅まで向かった。何か振り出しに戻った感じがした。そして電車の中で思い出していた。洋子と伏見大社に二人で行った時は車でだった。あの入り組んだ朱色の鳥居が二手に分かれて山の方に伸びている情景が浮かんだ。近くの警察学校の生徒らしき声がみんなでグラウンドで走りながら歩調をとっているのが聞こえていた。夕方近くだったろう。季節は冬で、その日は12月5日の日曜日だった。その10日ほど前には2人で兵庫突堤に釣りに出かけたし、その10日後には大台ヶ原に出かけたのだった。既に大台ヶ原山は閉山していたのを覚えている。仕方なく峠の茶屋に見立てた屋根付きのベンチに腰掛けたり、車の中で2人で過ごしたりしていると何故か知らないけどこんなところにまでと思うようにパトカーが来たのだった。そうだ兵庫突堤でもパトカーは来た。
 色々考えて僕は今度は自宅に帰り車で出直そうと思った。電車で神社に行ったことはないし、どちらが早く行けるか分からないけど、車でだったらもし変更があっても対応できそうに思った。

 僕は車に乗り早速ナビ情報を神社仏閣から選んで目的地を設定して伏見稲荷に向かった。
 人は生きていく過程で何が重要で、どこが中心なのか確認することがないまま、どんどん時が過ぎ去っていくというのが有りのままだと思うようになる。自分が実は他人に晒しているものが自分にとっては正解だと思って自信をもっていることすら、本当は違ってたりするのだ。
 過ぎ去る景色を目で追いながら僕は頭の中で反芻する。「いくつくらいのどんな男性でしたか?」とカフェの女性に尋ねた。刑事ではないただのお客だった男に詳しく伝える義務はもちろんないが、店員は親切に僕にこう告げる。「ええ、五十代半ばの方で、大学の教授って感じでしたかねぇ、それ以上はちょっと、あスーツ姿で、手提げカバンもその時持ってらっしゃい、ましたそれに時刻表も」。
 僕は謎解きは好きだけれど、それはもちろん自分自身ではないことが条件になる。自分にまつわることなら気が進まなくなるからだ。あと30分くらいで現地に着く頃に道が少々渋滞気味になって来た。それにしても大学教授風の男性と時刻表?それに紙切れのメモとのつながりは何を意味するんだろう?頭がこんがらかって来たぞ、整理しなくちゃ。ひょっとして、と僕は考えた。つまりその教授とやらは、今日会う女性の大学時代の教授であって、何らかの関係があっていつもよく行くカフェにたまたまいた。よくそのカフェに女性が通ううちに教授とやらもよくいて挨拶をするようになり、今日はたまたま急いでおりその人にメモを渡してお願いした。ざっとこういう推理だった。つまりメモを渡すだけの役割だったということだ。
 僕は今伏見稲荷に車で向かっている。あの朱色の鳥居が鮮やかに蘇る。ナビというものは、非常に便利に出来ている反面、時々人間の意図とは違う場面を演出してしまうことがある。ちょうど今回僕がナビを起動して運転中にそれは起こった。場所は宇治市槇島町辺りでナビは交差点を左折するように促す。信号を避けて北上する車と合流する便利な場所だった。僕の前に一台紺色の軽四乗用車が走っていた。僕はその車の後を継いで左折し本道に入って北上する格好だった。前の車はその先で赤い旗を遮って停止を求められていた。僕も仕方なく停止した。その車は警察官の指示で左に曲がるように指示を受けていた。次に僕の番だった。その警察官は無線で誰かと交信しているようだった。つまり僕が「セーフかアウトか」を決めるために。その瞬間がおとづれた。僕も予想していたようにアウトだった。指示に従い左折して30メートル程進むと別の警察官がいて、すかさず窓越しに話しかけてきた。「あそこは一時停止の標識があるんです。止まってなかったので違反として措置しますので。反則金、7千円と点数2点です」と若い巡査は決められたことを決められたように早口でしゃべった。僕は前の車で停止線が見えなかった点を指摘したが、標識があることを僕に判らせようとして、運転免許証の提示を求めた。僕は急いでいたが、半ばガッカリしたというのがその時の心理状態だった。措置が終わるのに10分以上はかかった。反則切符の記載に間違いはないか自分で点検していたのかも知れない。措置が終わると再び伏見稲荷を目指す。似たような場所は、そこを出て神社までの間に3箇所ほどあった。そして僕は思い起こしていた、ちょうど春の交通安全運動の期間中であったということを。車で再び北上すると途中で一方通行の道に入り、一箇所電車の通過待ちをした後踏切を渡り、ナビが目的地周辺を告げた。本道から参詣する道に車を入れるとガードマンが三人立っていて、参詣者が利用する車の駐車場への案内と周辺で往来する歩行者の誘導に当たっていた。平日で割と駐車場は何台分か空きがあったから助かった。車のところから大社へと通じる道を歩きながら洋子とのことを思い出そうとしていた。確かに僕の気持ちは交通切符を切られたことで少し落ち込んでいたものの、春先の優しい風とマスクをしながらとは言え、境内には割と遠くからの観光客の姿が目立ち、それぞれが笑顔と笑い声で明るく振る舞っていたことが僕に次への行動を刺激していた。本来ならここに洋子が来ていて、僕と一緒にお参りしていたとしても不思議ではなかったからだ。そうではなくて別の女性がどこかにいて、僕が姿を見せるのを待っているのかも知れない。石段を上がると本殿があった。その前で家族4人連れで横に並び礼儀正しくきちんとお辞儀をする姿があり好もしく思えた。僕の気持ちも次第に和やかに変わっていった。
 一人旅の女性が下ってくるのやら、季節的には少し厚着に思えるほど冬着に近い服を着たカップルの姿や、こんなコロナ禍であっても外人の姿も多く見れたのは不思議だった。僕は前の若い男女の後ろに付いて石段を上がってゆく。朱色の鮮やかな鳥居が見えて、右側通行で人々が進むように僕もその中をゆっくり進む。外人は一方通行を知らずに下ってくるようだった。時々人を避けなければならない。どこまでも続く石段を登り、朱色の鳥居をくぐって行くうちに、当時僕は洋子とどこまで登ったんだろうと思っていた。すでに僕のリュックには本殿横の作務所で買ったお守りがふたつと、朱印帳に貼る紙切れが雑誌に挟んで入れていた。時々小さなペットボトルのお茶を飲む。確かにその日はもう夏日と言ってもいい程の暑い日で汗がジトっと上半身に染みてきて、シャツを脱いでTシャツ一枚になったりもした。
 ふと徒然草の52段を思い出した。「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」という件。石清水八幡宮のことで、場所は違うが、僕は茶屋で尋ねた。するとそこの主人らしき人は「頂上はこっちではなくて反対ですよ」と教えてくれた。そして偶々同じように僕と似たような進み方をする四十代の女性がいたから「こっちは頂上へは行かないらしいですよ」と教示する。その女性は少し照れたように笑って礼を言い、その後はしばらく下山するまで一緒に頂上を目指すことになった。
 僕はその人に「一人だったら何故かしんどかったけれど、話連れが出来て退屈しないから良かったです」というと、ほんとね、そうと相槌を打った。
「わたし今年の11月に娘の出産でおばあちゃんになるんやけど、安産のお守りはどこがいいか知ってる?」と下山する頃には、ため口になって聞いてきた。僕は、そこは奈良だけど、帯解寺が皇室にもゆかりの由緒あるお寺だからいいんじゃないかと伝えたら「じゃあ明日早速行ってみる」と答えた。今年の1月にアメリカの娘の所から日本に帰国したばかりで、また今年の末に渡米するにしてもコロナの関係でか「ビザが降りないのよ」とがっかりしたように話す。帰りは身軽に石段を降りることができたので会話も弾んだ。現在は息子と二人で住んでいるけど、下の娘は姉と同じカリフォーニアにいて、今年の6月に大学を卒業する。主人とは別居しているけど子供のために離婚はしていない。でも自由になったわと今の「独り身」の状況を明かし、一昨日から京都のホテルに泊まっているけど、二泊分で一泊の料金で幸運だったこと、昨夜は友人と二人で二条城に行き、ライトアップが綺麗だった、二人で飲み明かしたことなどとても饒舌になっていたが、いつの間にかそんな話に夢中になって聞いていたせいか鳥居を潜ることをせず別の道である石段を降りてきてしまっていた。僕は二条城へは行ってないし、行きたかった左京区にある哲学の道へもまだ今年は行けてない。それに今日は大学時代の女性と会って話をするためにこそここに来ているのだった。下のお守りを買った社務所の前を通ったところで「臨時の連れ」の女性はトイレに入った。僕はその近くで待っていた。観光客が付近を纏まって歩いて行く。彼女が出て来たときに少しの間僕を探しているのが見えた。僕は彼女に近寄り、ここだよと合図した。そして車を駐めた駐車場まで歩き、そこで別れた。別れるのは必然だったとしても、何だか奇妙な半日を過ごした気がした。結局僕は目当ての女性にも会えずにしまった。大阪からやって来た女性は、どうやらレンタカーを利用していたようだった。僕にも気付かずに出て行った。僕は、車内で暑さを堪えしばらくそのままじっとしていた。昔聞いた遠くの声は聞こえていないけど、僕は待つべきじゃないのかと自問自答した。僕は洋子に会いたかった。どこかにいるような気がした。僕が見つけられずにいるだけで、誰かが僕を見ているかも知れない。僕は、狛犬のような狐の像が見えるところまで引き返してみた。辺りには観光客がまだ登り降りしたり、付近で佇んでいたり、写真を撮ったりしているのが見えたが、僕を見ている女性なぞ誰もいなかった。僕はあきらめて車のところに再び引き返して来た。そしてエンジンをかける軽四乗用車の赤いボタンを押すとエンジンがかかり、エアコンを作動させる。室内は熱くなっていて、直ぐには冷えない。きっと屋根が黒い塗装のせいだ。しばらくするとズボンの左ポケットの中に入れていた携帯電話が鳴った。メールを知らせる音だ。ケータイを取って、僕は蒸し暑い車内が少しずつ快適になっていく中でメールを開いた。女性からだった。
つまりそれは4通目のメールということになる。
『ようこそ。あなたを久しぶりに見ましたよ。女性と一緒だったので遠慮しました。私も約束は破らなかったし、あなたもちゃんと来てくれたので嬉しかったです。ですので、会うのは次の機会に取っておくことにしました。』
あゝそっかあ、ちゃんと彼女は来ていたんだと思い安堵した。途中で女性と一緒に行動を共にしなかったら、今日彼女と出会えたかも知れなかったと思うと少し残念な気がした。だけど得てして人生ってそんなものじゃないかな?
 そしてふとこんなことも思った。洋子は、僕が思っていたよりももっと真剣で、僕よりもっと必死だったんじゃないかと。僕は自分が感じたことを洋子に表したり、自分の想いを伝えたりしたことはあったけど、それは一方通行にしか過ぎない。洋子の想いはそこには入ってなくて、その頃僕はちゃんと受け止めていなかったんじゃないかなと思ってしまった。もどかしくもあり、今更それが分かったとしても洋子に伝える術がない。現に結婚してしまった洋子がいる。そして洋子と結婚できなかった僕がいる。

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