二次創作が嫌がられる根っこの理由について考えてみる
そもそも、二次創作は「もしも○○だったら……!」という「もしも」から始まる「妄想」である。
あなたの妄想は、誰かにとっては「ねつ造」になるのだ。ここが、二次創作が嫌がられる1番大きなポイントなのではないだろうか。
あなたにとって、作品やキャラクターへの「愛」があるからこそ、二次創作をしていることだろう。私も二次創作をするからとても良く分かる。愛がないのに、絵や文章を形にするのは相当難しい。
もちろん、175などの存在もあるのでみんながみんな愛のある二次創作者ではない。しかし、絵や文章などで妄想を創作するにはかなりのエネルギーが必要である。私は、そのエネルギーに敬意を表したいと思う。
二次創作を否定しているのではない。むしろ、二次創作が好きだからこそ、こうした「理由」を考えて理解する必要があると思うのだ。
この記事では、主に2つに分けて二次創作が嫌がられる理由を考えてみようと思う。
作品が好きな人にとって二次創作は「ねつ造」だから
二次創作の中でもあまりにも「ねつ造」が酷いものは嫌がられる
あくまで「私」の考えなので、すべてが正しいわけではない。どうか、ひとつの視点として読んでもらえるとありがたい。
嫌がられる理由1:作品が好きな人にとって二次創作は「ねつ造」だから
二次創作のベースは「ねつ造」でできている。これは、二次創作者であるなら誰もが分かっていることだろう。
私も二次創作をするが、「私が読みたい妄想がないから自分で作る」というモチベーションがある。これは、決して褒められることではない。なぜなら、作品自体を否定する行為でもあるからだ。
本来なら、作品そのものだけで満足するのが「正しいファン」であると私は思う。しかし、私は作品の隙間を見たいし紡ぎたいと思っている。これは、とても矛盾している感情だと思う。
だからこそ、私は二次創作を否定しない。「見たい!」だけでなく、それを形にするエネルギーの大きさをとてもよく知っている。時間も技術も必要なことが多く、愛でもないとやっていられないのだ。
正しいファンにとっての二次創作は「ねつ造」
先述のとおり、「正しいファン」は、作品そのものだけを楽しむものだと思う。つまり、二次創作というのは正しくない楽しみ方なのだ。その点が、作品そのものを楽しみたいファンが二次創作を嫌がる理由ではないだろうか。
ねつ造なんかみたくないのである。私は、作品の中で好きなキャラが死んだら、死んでいない世界を脳内に作ってそこで生き続けて欲しいと思う。でも、これは作品のファンからすると間違っているのだ。私の好きなキャラクターが死んでいるからストーリーは進んでいく。死んでいないと、もはや作品が成立しない。
そして、作品自体が好きな人の中には「ねつ造」された二次創作を見るととても嫌な気持ちになり、作品を見るだけで嫌な気持ちを思い出してしまい、作品そのものが嫌いになってしまう人もいる。
作品そのものを嫌いになるのは「言いがかりだろ」「そんなの見る方が悪いじゃん」と思うかもしれない。気持ちはわかるが、これはちゃんと考えるべき部分じゃないかなと私は考えている。
二次創作によって正しいファンが失われる可能性
例えば、AB地雷です!といっているBA派の人が、ABを見てしまって怒るのはまだいい。もちろん、AB派の人がAB表記や必要な配慮をしていないことが悪いが、「どんまい!」くらいで済む話だと思う。
二次創作を認識している
AB嫌いは趣味趣向の範囲だから
という2つの理由で、私なら「どんまい!」と声をかける。それで筆を折ったり、作品ヘイトが募るのは不憫だとは思うが、まだ救いがある方だ。
私も経験があるが、作品自体に忌避感を持ってしまうのだ。「うっわ、もう見るのやめよ」と思うのである。私の場合はエグめのエログロやBL・GLなどを見るとそう思うことが多い。グッズを集めていても、もう買うことはないし、好きじゃなくなった作品のグッズはいらないのでそっと処分した。
ただ、この場合私は二次創作に対する知識があるので大きな問題があるわけではないのだ。ただ静かに作品から去るだけで済む。
しかし、問題はABもBAも知らない「二次創作を認識していない」人である。このタイプの人が「ねつ造」された二次創作を見てしまうと、かなり悪い方向に進んでしまうことが多い。
かつて二次創作を知らなかった私のように、「まったく知らずに見えてしまったBLにとても大きなショックを受けてしまい、作品自体を見るのをやめる」というのは二次創作がもたらす最悪の効果だと思う。
純粋に好きだった作品を見るのが嫌になってしまうのだ。「それだけで見るのをやめるなら、所詮その程度のファンだっただけ」と思う人も少なくないと思う。
でも、純粋に作品を楽しんでいた子どものころの私は「作品側が想定する1番正しいファン」だったはずだ。そうした純粋なファンを失わせてしまう可能性がある。ということを、二次創作者は考えておくべきだと思う。
嫌がられる理由2:あまりにも「ねつ造」が酷いものは嫌われる
私は、圧倒的にこちら寄りの立場であるが、基本的に二次創作そのものが絶対嫌!!と思う人は少ないような気がする。二次創作に忌避感を示す人の多くは、「あまりにもねつ造が酷い」作品を目にした人ではないだろうか。
ねつ造が酷い二次創作とは?
ねつ造が酷い二次創作とは「BL」「GL」「夢」「エロ」「グロ」の5つではないだろうか。もっとあるかもしれないし、細かく分ければもっと細かく分けられるが、面倒なので大きく分けている。
この5つの基準は「見た人にショックを与えるかどうか」で判断している。個人的な判断なので、絶対正しいわけではないことを理解してもらいたい。
また、あくまで個人的にではあるが、「BL」「GL」「夢」「エロ」「グロ」以外の二次創作に関しては、特別な配慮が必要だとは思わない。
ただし、公式と区別できるよう「自分が作った作品」であることだけは絶対に明記するべきだと思う。
ねつ造が酷い二次創作は、「え、そんなキャラじゃないじゃん」「え、そんな作品じゃないじゃん」というのが全面に出ている作品だ。
BLのように、勝手にキャラクターの性的指向を変えたり、作中に性的指向が記載されていないのに、勝手に性的指向をつけたりするのは酷いねつ造といえるだろう。GLも全く同じだ。
また、夢のように存在しないキャラクターを勝手に追加するのも酷いといえる。エロやグロはいうまでもないが、そんなシーンは作品にないのにねつ造するな。という話だ。
たまたま見てしまった人に大きなショックを与える二次創作は、特に嫌われやすいのだ。程度に限らず、しっかりとした配慮が求められる。
ねつ造が酷い二次創作以外は特別な配慮が必要だと思わない理由
多くの作品で見られる傾向に「二次創作が人気なジャンルは売れていると判断される」という理由がある。つまり、二次創作は作品の人気指標になるのだ。
だからこそ、私は二次創作を否定しない。人気があるかないかを判断する材料になるし、ジャンルに活気があることはとても良いことだと思う。
基本的に、ファン同士が二次創作で盛り上がることは悪いことではない。配慮をするとしても、「公式タグを使わない」「正式名称で呼ばない」くらいで済むと思う。
なんなら、公式がエゴサしやすいように二次創作専用のハッシュタグを使ってあげても良いのではないだろうか。
つまり、ねつ造が酷い二次創作は、ヘビーな配慮を、ねつ造が酷くない二次創作はライトな配慮をしたら良いと思うということだ。
まとめ
二次創作が嫌われる1番大きな理由は、作品を「ねつ造」しているからである。
作品自体が好きな人は、作品がねつ造されていることが嫌だと感じる人が少なくない。また、二次創作を知らない人が見てしまうと大きなショックを受け、作品自体に忌避感を感じてしまう可能性もある。
そうした可能性について、二次創作をする人は考えるべきだと私は思う。
しかし、二次創作のすべてが嫌われていることは少ない。ねつ造が酷くない作品に関しては、受け入れられることも多い。人気を測る尺度になっていることもあるので、みんなで楽しめたら良いと心から思う。
「BL」「GL」「夢」「エロ」「グロ」の二次創作は、ヘビーな配慮をしよう。それ以外の二次創作は、ライトな配慮をしながら、ジャンルを盛り上げていけたら良いのではないだろうか。