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自分は普通じゃない、生きづらさを感じる理由

人間が嫌いだと、そう思うようになったのは高校生の時。
今も、俗にいう一般的な人は「苦手だな」と思いながらも30代を迎えた。

拗らせている、と言えばその一言で済むだろう。

私は、そもそもTVや漫画といったメディアで言われている、大多数の普通を認識して、ある程度理解して、相槌を打ちながら共感する事は出来ても
自分の価値観に、それらをインストールすることは絶対に出来ない。

大体の人は、自分の持つ価値観や意見に間違いはないと思っている節があって、それらを当然だと思い発言している傾向にある。と、そう感じている。

恋愛、友人、会社、世間の人間。
見てきた中で8割以上の人が”普通”の人で、そんなメディアに洗脳された普通を信じて当たり前だと言い張って生きている。周りの人間の事をそんな風に見て、感じて生きてきた。

それを、私たちのような「普通じゃない人」にとっては
受け入れがたく、信じられず、自分とは違うなと感じるようになる。

一般的な人と普通じゃない部分

世間の俗にいう「一般的な人」は
人に対して興味を持ち、人と人との繋がりに重きを置き、3大欲求の食欲・睡眠欲・性欲に素直に生きている。

人の事を知れば知るだけ、人間は自分自身の為だけに生きていて、それが見え透けてくると嫌いだなと感じる事も少なくなかった。

それは、理由のひとつとして「セクシュアリティ」の違いにもあると、最近とても強く感じるようになった。

LGBTでよく聞く単語だけど、これは”人を好きになる”ものすべてに関わってくることなので、知識として入れておくだけでも、大きく差が出るなぁと最近思うようになりました。

何をきっかけに人を好きになるのか、それは恋愛の問題だけじゃなく、幅広いことに言えるので知っておいて損はしないはず。

価値観にも、いろんな理由がある。それを知る事で自分なりの解決策が見えてくる場合もある。

自己肯定感が低いのも理由のひとつ

自分自身が「自分の意見や感情を抑え込んで、周りの人達へ平等に幸せを分かち合うような選択をしたい」と最優先に考える人間だからだ。

大体の人は「自分がこうしたいからする」⇒「相手もOKなら実行する」という自分中心のスタートだけれど、自分はそういう回路で物事を考えない。

自分の意見はある程度持ってはいるけれど、自己肯定感が低く、自信のある人間の気持ちに共感がしづらいというのも、ズレを感じる理由のひとつなんじゃないかと思う。

自分勝手であるといえばそうとも言う

結局のところ、みんなが平等に満足するように選択を選ぶというのも、自分勝手といえば自分勝手ではあるともいえる。

相手の事を考えているようで、自分自身のこだわりを押し付けているに過ぎないともいえる。

最終的には、相手がどう感じたのか次第なので、何が正解だというのがハッキリとないのが人間付き合いの難しいところでもある。

付き合いやすい人と一緒にいるようにする事が相手にとっても自分にとっても生きやすさを感じる。

逆に、自分の価値観で物事を考えて一切の妥協を許さない人とは合わない傾向にある。というか、一緒にいて一番疲れるタイプで、一番嫌いなタイプ。

自分は普通じゃないと感じていて、同じように思う人がいるのかどうかはわからないけれど、少なくとも私はそう。

その他の要因としては、IQに差がありすぎて話が合わないという理由も追加しておきたい。

恋愛や結婚においての普通と違う部分

中でも性欲に関しては、誰かとの肉体関係が無くても生きていけるし
愛情を感じ取る事が出来た。

これは「肉体的な愛情」と「精神的な愛情」のどちらを感じるのかによっても大きく異なる。

これがズレると、話相手や恋人相手との価値観も大きく異なり、うまくいかない事が多い。私はバツイチだけれど、これが理由で離婚も経験している。

このほかにも、自分自身が何に対して愛情を感じているのか。
相手のどんなところに惹かれて家族になりたいと感じるのか。

それが重要になってくる。

まずこの部分が合わないと、うまくいかない事が多いように思う。

私の場合は、相手の知性に惹かれて恋愛感情が同時に発生する、そういうタイプなんだそう。
雑学とか多い人に惹かれやすいっていう事らしい。

タイプの違いといえばそうだけど、それはかなり大きな問題だし、なにより少数派だから合わない事の方が多い。

「性欲=肉体関係=愛情」この方程式で結婚した場合、私自身が苦しむことになるし、相手に理解を求めたところで価値観の大きな違いから生まれた亀裂や溝は決して埋まる事がない。

結局のところ、どちらかが我慢しなくてはならなくなるから、うまくいかない事の方が多い感覚。うまくいってる人がいたら、むしろ詳しく聞いてみたい。

会社・友人関係での解決策は「良い意味で諦める事」

自分が普通じゃないと悩み、苦しんでいる人で何とか「普通」になりたいと考えている人も多いと思う。

むしろ私は「普通の輪の中にいる事で自分が不幸になるなら、抜け出して別の場所を探しに行く」方をおすすめする。

自分が「普通」を理解できず、受け入れられないように
「普通以外」がわからない人とはとことん一生分かり合えない。

議論してお互いが納得するように、と思って話し合っているならば
それは「自分の事を理解してほしさに、相手を変えようとしている」ので、そもそもの難易度が高い事である自覚を持って取り組んでほしい。

私は話し合ってもうまくいった経験がほぼないので、お互いにとって諦めるという選択肢もアリだと思っている。

そもそも、相手に理解を求める事がとてつもないストレスになってしまうので、それが友人関係や会社でのお話だったら、すぐに辞めて別のところを探しに行ってしまうのが楽だろう。

もし自分が「普通」を演じていけるのであれば、イエスマンになってなんとなく普通っぽそうな自分でいればいい。

話を聞いているようで「そうなんですねー!」と流すのがストレスじゃないなら、それでもいいと思う。

とはいえ、会社の人間関係ともなれば早々にというのも難しいし、20代であれば今後のキャリアプランというのもあるので、すぐに辞めるのも大変。

人生設計って難しいし、どう生きたら生きやすいのかは永遠のテーマだけれど、無理をし続けると病むものなので、楽な方向にシフトしていってほしい。

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