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子どもへの期待が親の呪いに変わる前にできること
長男が高校3年生の時の話。
忙しかった部活も引退し、久しぶりに家族で
ゆっくり大晦日を過ごせると思い、
ちょっとリッチに仕出し屋のオードブルを注文
して、ワクワクしていた。
ダウンタウンのガキの使いやあらへんでの
「笑ってはいけない」を酒を飲みながら
家族で楽しい大晦日を過ごそう!と。
だがしかし、その期待はもろくに崩れ去った。
長男がいつも遊びに行かせてもらっている友達の
お家から大晦日のお誘いがあったからだ。
どうやらそのお家のご長男夫婦の帰省する予定が
なくなり、用意していたご馳走がたくさんあるから
食べに来ないかということだった。
そのお宅のママさんは息子が連れてくるお友達は
みんな我が子のように接してくださる
神様のような方。わたしも仲良くしていただいて
感謝感謝なのだが、
今回のお誘いは「え?」と気持ちが揺れていた。
(わたしもオードブル用意してるんだよな・・)
長男に「行っていい?」と聞かれ、
「ダメ」なんて言えないよね。
高校生活最後の大晦日をお友達でワイワイ
過ごせるなんて、そりゃ楽しいに決まってる。
子どもは大きくなったんだな。
大きくなるってこういうことなんだな。
親より友達。
親より仲間。
親より彼女(彼氏)。
思い返せば、わたしもそんな時代を過ごして
大人になっていったなと。
期待していた自分に「残念だったね」と声をかけた。
その次の年から
家族で大晦日を過ごすことに対して
期待するのをやめた。
期待という呪いを子どもにかけたくないから。
オードブル注文する時も
「万が一、子どもたちが大晦日いなくても
食べ切れるんだよね?」
「急に友達と大晦日過ごすからいないよ」と
言われても大丈夫なわたしですか?
と防御線を張るようになった。
勝手に期待してさ、
勝手に裏切られたとか思ってさ、
(別に子どもは裏切ってないのに)
勝手に「どうせ、どうせ」と落ち込んでいる自分を
見たくなかったんだよね。
期待はマジで呪いだなと思った。
だって、期待通りにならないと
「裏切られた」という思いが
自動スイッチのように沸き上がるでしょ。
でもさ、でもさ、長男はさ、
自分が行きたい方を選んだだけの
話なんだよね。
これ、子育てじゃなくても
パートナーシップでもあるよね。
旦那に期待、
彼氏に期待。
期待通りの返答が来ないと
「裏切られた」と勝手に騒いで
ひとり勝手に落ち込む。
だから「期待は呪い」の何ものでもない。
期待してさ、確実に自分の思い通りの結果に
なるならいいけど
それは期待しようかしまいが結果は一緒なのよ。
子どものテストの結果聞いてがっかりとかさ。
わたし、期待してたんだろ?みたいな。
だったら期待なんかしないでさ、
そしたら予想外のことが起こるかもしれない。
そしたら、予想外の結果に
きゃー!!
とか言っている方がいいよね。
それすら期待しないってことだけど。
そもそもですね、
期待が外れてがっかりしている
ということは
自分の思い通りの結果が来なかったことに
がっかりしているんですよ。
ということは子どもの気持ちや事情は抜きにして
自分のことばっかり考えて
子どもを自分の思い通りにコントロール
できなかったことに
落ち込んでいるんですよね。
他人はもちろんんこと
血がつながっている子どもですら
自分の思い通りになんてできません。
無理なんです。
☝
まず、ここに絶望するべし!
明日の天気も
自分の体重でさえもコントロールできない
のにさ、自分以外の他人をコントロールする
なんて無理無理。
じゃあ、子どもに何も期待しないで
育てたらいいの?と極論言ってくるひとが
いるけど、状況によって期待してあげた方が
子どもが頑張れることもケースもあるから
絶対ではないよ。
でもさ、オリンピック選手が国民の期待を
背負って挑んだ試合で金メダル取れなかった
時に「すみません」と涙を流しているのが
テレビで放映されるのを見ると
いやいや、こちらが勝手に期待した
だけですから自分を責めんといてください
って思うよね。
期待されるのはうれしいけど
相手への重圧になっていることもある。
だいたいね、
期待が裏切りに変わったと感じる時って
自分以外の他人の気持ちを勝手に想像して
知らず知らずのうちに
相手に尽くし過ぎちゃっているのよ。
だから
「わたしがこんなに頑張って尽くしてきたのに」
と裏切られた気持ちになる。
だから、そんな期待は手放して
やりたいことや好きなこと
心地よいことを自分に与えてあげて
自分の幸せに注力することが優先事項。
その結果、自分が幸せであることが
鏡である周りのひとをしあわせにするのだから。
だから
「自分がご機嫌でいることがいちばん大事」
防御線張ることは諦めではないよ。
自分のご機嫌を保つためにやるんだよ。
どうしたいかは自分が決める。
大事な自分のご機嫌は自分で取ることが
いちばん平和でしあわせな近道なのです。