算数ができない子
わたしは1+1=2ができなかった子でした。
わたしが小学校1年生の時、母はそんなわたしを心配して
算数をよく教えてくれました。
母「いい?1はね、リンゴが1つ。リンゴ1つとリンゴ1つをたすと2になるんだよ」
今振り返れば、母は一生懸命に数の概念を
わたしに教えてくれていたのですが
わたしの脳内はどうしても理解できませんでした。
だって、なんでりんごが1なん?
1がりんごが1個というイコールが成り立たないんです。
数を数えることは、幼子あるあるでお風呂の中で親に教えてもらっていたので、100まで数えることはできていたのです。
それがある日突然、「1はね、りんごが一つなんだよ」って教えられるわけです。
は????
もっとわからないのが「+」「ー」「=」という記号。
それなに?
なんで「=」になると数字がかわるの?
なんで「+」をするの?
なんで「ー」があるの?
意味わかんないんだけど。
こんな脳内の子どもだったので
母はわたしのことを相当な「バカ」だと思い、将来をかなり心配したそうです。
母は最初は優しく教えてくれるのですが
理解不能な娘を見ているとだんだんとイライラのボルテージが上がります。それがまた恐怖で、わたしをさらに混乱させました。
「お母さんに怒られる、なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ」
考えれば考えるほどわからなくなり
言葉に詰まり
どうしようもなくなり
結果、いつも泣いて逃げる術しかなく
でも、ちょっとぐらい泣いても許してもらえないので
はい、ここポイントです。
ちょっと泣くぐらいでは許してもらえないのです。
だから、嗚咽するほど泣いて
お母さんが諦めてくれるのを待つしかなかった
苦い記憶です。
計算ができなかったわたしは母の手に負えず
「くもん」に入塾することによって
徹底的に訓練され
結果計算ができるようになりました。
なんでわたしが数を理解できなかったのか、それを理解できたのは
学校で障がいのあるお子さんと一緒に算数の勉強をしていた時でした。
わたしと同じように数の意味が理解できない。
つまり、数の概念。
わたしと同じだー!
そしたら自分への理解に繋がって。
そしたら数の概念が理解できない目の前の子どもたちに
すごく共感できた。
わかんないよね、こんな法則誰が決めたん??って。
わたしは結局「計算」という訓練で
できるようになったけど、結局訓練なんです。
こうやって訓練されて
みんなと一緒の教育をされていく。
みんなと一緒じゃないとダメ。
外れちゃいけない。
そんな風に価値観の共有と強制をされてきたのかな~って。
なんだか、言葉にするのが難しいけど
あの頃、わたしは自分がバカだと思っていたし、
勉強できないのは恥ずかしいと思い込んでいたし
だから、お母さんの為になんとか頑張ろうと努力していました。
それが自分を守るためだと思っていたし
お母さんもそれが娘の為だと強く信じていたんだと思う。
だから、今も頭ががっちがっちで自分の人生を生きようって言われると
恐怖感がでてくる。
それだけ自分の感覚を無視して周りに合わせようと
まともな人間になろうとしていたんじゃないかな~と思う。
今ならわかる。
あの頃のわたしはわたしのままでよかったんだと。
算数できなくても生きていける。
そして、ネガティブなわたしのつらい体験は
わたしに関わる人たちへの勇気に変わっていく。
その為にわたしはこの地球に存在しているのかもね。